同和はこわい考通信 No.4 1987.9.16. 発行者・藤田敬一

《 波紋・波紋・波紋 》

『こべる』で論議がはじまりかける

 京都部落史研究所所報『こぺる』9月号に土方鉄さん(部落解放同盟中央本部機関紙「解放新聞編集長・作家〉の「まさに一本の楔−小森龍邦さんに」が載っています。これは小森さんの「地対協との違いはどこに」(同誌7月号)にたいする懇切丁寧な批判です。土方さんはこういっておられます。

…驚くことに、小森さんは、藤田さんの論旨は・地対協と「同一」だとするのである。…もし小森さんの主張のとおりだとすれば、『同和はこわい考』を推薦する私は、間接的に、地対協の意見に同意したことになる。私が、小森論文を無視し得ないのは、いうまでもなかろう。(p2)

 このような視点から土方さんは具体的に小森論文を検討し、その主張がなりたたないことを明らかにされました。詳細は『こぺる』9月号をお読みください(お申し込みは〒603 京都市北区小山下総町5-1 京都部落史研究所宛.1部200円.年間購読料3000円.郵便振替 京都5-1597.電話075-415-1032)
 ところで本冊子にたいする批判的な意見や不満、戸惑い、違和感を漏らしている人びとがおられます。わたしは、そうした意見がぜひ公表されるようおねがいしたい。もちろん、どんな感想をお持ちになろうと、それは自由ですが、できるだけ公開の場て議論して、わたしにも弁明の機会を与えてほしい。そうでないと、「対話」にならないからです。「サッ」「パラッ」読みの印象批評でないかぎり、そこから何かが生れるはずです。
 その意味で小森論文が出たのは、その内容はさておき大変喜ばしいことでした。そして土方さんの厳密な検討によって『こわい考』をめぐる論議の前提ができました。しかしAの主張→Bの批判→Aの反批判があってはじめて論議は初歩的に成立します。小森さんのご意見が待たれる所以です。
 なお、本『通信』でくりかえし申していますように、ある程度、批判的論点がでそろった段階で、わたしの考えを述べるつもりです。もっともその時期がいつになるのか、見当がつかないので困っていますが、来年1〜2月ごろには『こぺる』に寄稿できるのではと思っています。

《 各地からの便り 》

その1.「内容は“あたり”ですね」

…私はセンターのSさんが教えて下さったので先生の「同和はこわい考」をさっそく読ませて頂きました。先生のつけた本の題はイメージとしては「いやーな題をつけてくれたなあ」と思ったのですが内容はあたりですね。私も運動はかけ出しもので、何も知らないに等しいのですが、いつも私が思ったり考えたりすることがいっぱいつまっておりました。… (三重・Kさん)

被差別部落の婦人からのものです。彼女のところへいって話をしていらいの知り合いです。題名に「いやーな」感じをもったものの、内容に同感・共感するところがあったと、率直に伝えてくださったわけで嬉しくなりました。「またくわしい感想はハガキじゃなく手紙に書こうと思っています」とありました。Kさん、待っています。

その2.「言葉の美しさに安易に妥協してはならない」

…一読後の感想を求めるようにしています。「最近読んだ本の中でこれほどスッキリしたものはなかった」「数年、一昔前やったら糾弾もんやろうな」「この本読んで嫁さんと言い合いになった」など、これからのあらたな対話のいとぐちが出来そうな感じがします。
…それにつけても狭山共闘会議を無理矢理に解散に追い込んだ裏表からの理屈なき強要、横暴は、すでに古い話とはいえ、今もはっきりと思い出されます。それを阻止し得なかった彼我、特に我の非力さを思う時になお一層鮮明に思い出されます。共生だとか両側から超えるだとかの言葉は簡潔明瞭で、流行語にもなりそうですが、この言葉の美しさに安易に妥協してはならないと思います。
昨日は12時より狭山デーのビラまきを行いました。見出しは同じでも内容を少しでも工夫しようと思っています。…ビラを手にした通行人の「まだ狭山やってんのか」二人の子連れの母親が「昔学校で先生から聞いたわ」何も言わず頷き、軽く会釈してビラを取る人、たちに勇気づけられながら、がんばっています。… (兵庫・Nさん)

こうした体験を「例外「一部」だとしてかたづけることができる人がまだいそうだからこそ、Nさんは「共生」とか「両側から超える」という言葉の美しさに惑わされまいと、おっしゃるのでしょう。すべてを個別性・特殊性の闇のなかに閉じ込めて、いい気になっている人に幸いあれ。
 狭山デーの話、よくわかります。岐阜でも12年やっています。それにしても威勢のいい人ほどいち早く姿をかくしましたな。理屈で入ったものは理屈で出てゆくものなんでしょう。

その3.「通信を“利用”させてください」

…感想については、ああだ、こうだといえる力量がないので、非常に勝手で申し訳けないのですが、この通信がNO.4,5…と届くのを契機にして「部落問題」について、私が今、考えていること(もちろん“通信”に触発されつつ…)を手紙にして送ろうと思います。お忙しい時に、つまらない文章がいくと思います。私自身の考えをまとめていくのに、こんな形で「利用」させていただくのは悪いとは思うのですが、走り読みでもしていただければと…。 (京都・Mさん)

公務員で、職場研修にとりくんでおられる方です。「ご多分にもれず、研修体制はおざなりなわけです。年一回ぐらい映画をみて、その感想を語りあうといったところではないでしょうか。…これまでの職場での研修で出来たこと、出来なかったこと、職場でのこの種の研修の限界、いや、そもそも研修とは…と今、考えています」ともありました。この『通信』が少しでもMさんのお役に立てれば幸甚です。お手紙を楽しみにしています。

その4.「“藤田さんは評論家的”“読むのは今はやめておく”という友人がいました」

…友人から手紙が届きました。その手紙のなかに『こぺる』の写しが同封されていました。それは小森さんの文が掲載されたものです。…彼いわく、藤田さん・師岡さんの文(発言〉は「評論家」的で、自分は小森さんを支持するという。
…また、この夏休み中に意外な人と数年ぶりに話をしました。…運動体のことはきわめて遠慮がちでした。…私は(役所に勤める)彼に藤田さんの本の内容や活動を紹介しました。しかし彼の反応は、けっして拒絶の意味ではなく、読むことは今の時点ではやめておきますというものでした。私はやっぱりお互いの立場で感じていることなどを議論すること、とりわけ由由な討論のできる条件づくりをしていくことの大切さを、あらためて学んだように思います。… (大阪・Iさん)

被差別部落出身の青年です。Iさんの友人が、わたしなどを「評論家」的と評されたよし。噫乎。しかし「評論家的」であることは、そんなに批判されるべきことなのでしょうか。たしかに支部、地協、都府県連、中央本部にあって、日々、組織運営の任にあたっていることが、状況や事態のより深い認識にとって大切なことを、わたしは否定しません。また組織運営に責任をもつというのも、その状況判断と方針決定の正否が運動に重要な影響を及ぼすとの自覚の上に状況と対峙することであって、それが認識のゆがみを正すのに大いに役立つことも否定しない。他方、状況や事態、利害の渦から一旦自らを引き離し、自らをあたかも他人のような目でながめることも重要だと、わたしなんかは考えています。ところが組織内の活動家は組織外からの批判、意見が気にいらず、しりぞけようとするとき、えてして「評論家的」というレッテル、ラベルを相手に張りたがる。そうすることで納得し、安心したいわけでしょう。それが活動家の一つの自負のあらわれであることはわかります。しかし、そんなことをしても状況事態は少しも変わらないのです。事柄は「活動家」と「評論家」という「資格」の問題ではない。認識の中身の問題なのですから。
 もうお一人の友人は『こわい考』を「読むのは今はやめておく」とおっしゃったとのこと。苦渋、戸惑いが伺われます。その方の周辺の雰囲気に『こわい考』の意見がなじまないことを敏感に察知されたからではないでしょうか。異質なものを受け入れることで動揺するより今のままでの平穏が望ましいと感じるのは当然かもしれません。残念ですけれども。

その5.「人を変えうるのは“やさしさ”だと思っています」

噛みあわないところでの批判が多い中で『こぺる』に寄せられた土方さんの文章を読み、これからの展開に期待を寄せています。きちんとした議論になってほしいですね。ほんとうに、その思いでいっぱいです。私が見た現実は私が深く感動した土方さんの文章に対しても“今頃になっていうなら、なぜ10年前にいわなかったんだ”と難クセをつけている人がいるくらいですから。なんともいいようがありません。がっかりすることも多いのです。けれどもまた、私のまわりでは、なにかいつでも『こわい考』が話題になっています。“指摘は重要と思うが、批判もある。200枚くらいのものは書ける”といっている人。“部落対非部落の対立になっていきかねない(感情的なレベルで)ような気がする”という部落出身の友人。“両側から越える、なんてぼくたちはもう実践している”という足に障害を持った友人。“なんでこの本が問題に(禁書のように)されるの?”と真に解せない顔で聞いた人。その他いろいろ。“内容はわかるが状況をにらんだ時にはマイナスの作用をする”という人もおれば、文句なしに“そのとおり!”“わかるなぁ”といっている人も、もちろん幾人か。共感を語る人も批判する人も、なにか、一生懸命話をしています。その状態がいいな、と私は思います。私も“わかるなぁ”といっている一人です。
…本が出て、前川さんとの往復書簡のところまですすむと、涙が出てしばらくは止まりませんでした。新幹線の中でした。あんまり、はずかしいので読みつづけるのをやめました。“やさしさ”に触れたから、なのです。こころを打たれました。私は、人を変えうるのは“やさしさ”だと思っています。“やさしさ”は、相手の内発性を引き出すことができるから。…人間として向きあっている時は、あくまでも対等に向きあっているはずなのです。“差別する側”“される側”というと、ともすればプラスとマイナスの関係になってしまいますが、“人間として”というゼロがあるような気がします。“共に”ということは、対等であることの実感から始まるような気もします。…ホンネをいうのに“勇気”が必要だなんて、ほんとうはとてもおかしなことです。中山さんも、もしかしたら土方さんも、そして『こぺる』に意見を発表したその他の人達も、多少の“勇気”とか“覚悟”とかがあったのではないでしょうか。いつか、こんなにきばらずに、ホンネを語りあえる時がくればいいな、と思っています。 (東京・Sさん)

部落解放運動のまっただなかで活動している方です。東京の様子が少しわかってありがたく存じました。
 “部落−非部落”“差別−被差別”という二項対立的な枠組みにともなう「あやうさ」についてはもっと議論をしなければと、わたしも考えています。しかし問題は現実に人びとの意識の中に、こうした二項対立的な枠組みが厳然として生きていることです。現に小森龍邦さんは「差別にかかわって、なにが啓発のポイントかということは、いうまでもなく『差別をしている側』をどうするか、ということでなければならない。部落解放運動の長い闘いの歴史は、『差別をしている側』というのが、多くは国家権力の扇動によって、そのような意識を持たされていた、ということを明らかにしてきた」とおっしゃっている(「解放新聞」5/18)。わたしが往復書簡で前川さんに「部落外出身者」「差別する側に立つ者」「差別者」という、三つの言葉のイメージについて感じておられることがあればふれていただきたいとお願いしたのも(p.115)、実はそのことと関係があったのです。これは「体験・立場・資格」と差別意識の問題にかかわってきます。もちろん前川さんにゲタをあずけたわけではなく、その後、わたしも考えつづけていますけれども、まとまりません。一度、寄り集まって話しあえたらと思います。

《 糾弾をめぐって−東京・Uさんへ 》

 『通信』第三号に東京のUさんからのお便り「『糾弾』を聖域に残したままのところが不透明」を掲載させてもらったものの、スペースがなくなり、わたしのコメントをつけることができませんでした。Uさんの論旨は藤田も前川も「部落民が肩で風を切るようになった」ことを批判的に見ていて、その原因を「特措法→モノトリ主義の横行」においているけれども、そうではなくて「糾弾されてはかなわない」ということ以外にはない。二人とも「糾弾」を聖域に残したまま、論点を「特措法」にワープしていくところに不透明さがつきまとっていると感じられる、というものです(p.8)。Uさんの疑問にたいして、わたしはおよそ次のような返事を書きました。

「部落民が肩で風を切るようになった」原因を「特措法→モノトリ主義」にもとめる考え方は、わたしにはありません。もちろん特措法の前提である答申が行政責任論に立っていたため行政闘争の中で「どんな要求でもとおる」かのような幻想が拡がり、「思い上り」が運動の中に生れたことは前川さんのおっしゃるとおりだと思います。しかし、それだけではないと考えたからこそ二つのテーゼを問題にしたわけです。
「Mさんへの『おそれ』は、別にMさん個人の力に対してではなく、特措法(ないしは同対審答申)でもありません」とありますが、まことにそのとおりだと、わたしも考えます。問題は「糾弾されてはかなわない」という「おそれ」の底にあるものが何かということではないでしょうか。「糾弾はこわい」と感じているとして、その「こわさ」の内実を不十分ながら検討しようと思ったのです。ただ論旨が明確でないために、誤解する人がおられるようで反省しています。わたしとしては、差別概念(規定)の恣意性が許容される背景に、無限責任の恐れがあり、また差別判断の資格と基準の問題がある、つまり「部落はこわい」「同和はこわい」という意識、観念、心理と被差別側の「こわおもて」的言動との相関の問題があると考えたのでした。糾弾については、いまのわたしには手に負えぬテーマであるため、留保したことは認めます。けれども「『糾弾』を聖域に残したまま、論点を『特措法』にワープしてい」るとは思いません。不透明さはまぬがれませんが。…

さっそくUさんからお手紙がとどきました。いわゆる第二弾です。

…ところで「『私たちが肩をいからせて世間を歩くようになった』(不正確な引用文を訂正させていただきます)原因を『特措法→モノトリ主義』にもとめる考え方は、わたしにはありません」と書かれているのは、率直にいってやや意外でした。ボクの受け止めが粗雑であったことは認めます。ただここが『そうは書いていない』というのでしたら、すぐに納得できるのです。しかし『そうは考えていない』となりますと、チョットひっかかります。というのは藤田さんの問題意識の契機になったのは、『モノトリ的風潮』や『正義の唯一の体現者』といった姿勢のヤリキレナサであると思います。つまり問題は「『風潮』(現象形態)−『特措法体制』(現象を支える構造)−『テーゼ』(原理)」の関連と切開点だと思います。ここのところで『オレは原理だけを問題にしているのであって現象形態やそれを支える構造は関係ない』ともとれる文言に出会うと戸惑うのです。ハシゴを外したと。というより、31テーゼや32テーゼを論じながら、当時の共産党の政策や行動をエポケー(カッコに入れる)していたら、戦前の共産党論として成り立つものかどうか疑問に思う次第です。…藤田さんが二つのテーゼの問題点にメスをいれられたことの重要性(しんどさ)は、解っているつもりです。ただ議論が原理的なものに抽象化されていくとキレイゴトで終息してしまう心配があるのです。『モノトリ』を運動方針で批判しながらも、自浄作用はちっとも作用しないという風に。

Uさんは糾弾には適正手続きが必要だという持論も展開してくださっているのですが、ここでは省略させてもらいます。さて、話はえらくむつかしくなってきたようです。Uさんによれば、わたしは現象形態(風潮)や構造(特措法体制)を問題にせず、原理(テーゼ)を論じていてキレイゴトに終わりかねないという。同じような意見を何人かの人からも聞きました。
 『こわい考』が部落解放運動の当面する緊急の具体的課題に答えていないという批判にたいしては「申しわけない」としかいえませんが、部落差別とはなにか、その実状はどうなっているのか、どうすれば部落解放が達成されるのか、などをめぐる議論の必要性を、わたしも認めています。だからこそ「現在の状況は部落解放運動の『運動としての存在根拠』を問うているからだ。部落解放運動は六五年の歴史をふまえ、この問いかけに答えなければならない。そのためには他を糾すだけでなく、自らをも糾す思想が求められる」と書いたのです。しかし政府・自民党・財界(企業)の自然解消論、部落責任論、部落更生論、運動不要・啓発不要論に対峙するには、「差別−被差別の両側」が隔絶された関係をのりこえて、部落問題の真の解決と人間解放にむけた共同の営みとしての部落解放運動を創出することが不可欠だと思い、まずはその前提条件を議論しようとしました。ですから糾弾や同対事業については、その限りで触れはしたものの基本的には捨象する形になっています。「そこがあかんところだ」といわれても、答えようがない。「とぎれる対話」をつなげてゆくことに、わたしの関心はあったからです。もちろんこれから「対話」がすすむにつれて具体的な課題をめぐって議論がなされると思います。機会をみつけて、わたしの考えを申しあげるつもりです。

《 あとがき 》

*先日、前川さんと一緒に米田富さんのお見舞に行ってきました。寝たきりですが、顔艶もよく、しっかりと応対しておられ、あのいたずらっぽい笑顔も健在でした。第四回部落同題全国交流会に参加された方々のお見舞金、米田さんにお渡ししておきました*『こペる』9月号で本『通信』を紹介してくださったおかげで各地からの申し込みがあいつぎ、中には切手やカンパを送ってくださる方もあり恐縮しています*三重で『同和はこわい考通信』(海賊版)が発行されました。次号で紹介させてもらいますが、発行記念臨時増刊号はB5・10頁の堂々たるもの。中身も読みごたえがあります*愛知部落史研究会『曾報』第4号、部落解放同盟池田支部機関誌『荊冠旗』第476号に『こわい考』が紹介されています。ありがとうございました*『こぺる』10月号には山下力さん(奈良県連書記長)、江嶋修作さん(広島修道大学・解放教会学会会長)の文章が載るとのことです*『紅風』93号に、わたしの「地対室の正体みたり枯尾花−『啓発推進指針』を読む」(2)、前川さんの「人の優しさ考−映画、人間展、『同和はこわい考』の日誌」(2)、「中山重夫さんを偲ぶ会の記録より」(2)(山野宗次さん)が載っています(〒606 京都左京郵便局私書箱45.部落解放中国研究会宛.1部200円)*本『通信』の連絡先は〒501-11 岐阜市西改田字川向 藤田敬一です。

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