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《 網野善彦さんの本を読む 》 ④
網野さんの講演を聞きたいと思った理由
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藤 田 敬 一
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1.
本との出会いは、人との出会いにかかっていると、つくづく思う。たとえば阿部謹也さんの『ハーメルンの笛吹き男──伝説とその世界』(平凡社 1974.ちくま文庫)も、実は京都の友人から教わって読んだものだ。
しかし、ある本に関する情報やヒントを得たからといって人は必ず読むとはかぎらない。1975年のことだったろうか、同僚で日本中世史研究者のKさんから「ナントカさんの蒙古襲来という本はどうですか」と尋ねられたことがある。著者の名前に思い当たらず、そういう本が出ていることも知らなかったから、「さあ」とかなんとかいってごまかしてしまった。今から考えると、わたしが部落解放運動にかかわっているがゆえの質問だったのだが、不勉強のためにその意味が理解できなかったのである。 それが網野善彦さんの『蒙古襲来』(小学館『日本の歴史』10)だとわかり、冒頭から「飛礫(つぶて)・博奕(ばくえき)・道祖神」の話が出てきて読み手を引き込んでゆくその筆力、「海に生きた人々」「『殺生』を業とする人々」「交通と流通にかかわる人々」「道々の細工」「交通路と関所」「悪党・海賊の躍動」「天皇と差別」といった、これまでの概説書とは一味も二味も違う歴史叙述に感心させられたのはずっとあとになってからのことである。興味深い本を教えてくれる人がいくら近くにいても、こちらに読んでみようとする関心、興味、気力、余裕がないとなんにもならない見本のようなものだった。 網野さんの『無縁・公界・楽──日本中世の自由と平和』(平凡社 1978.増補版 1987)を誰から教えられたのか、定かに覚えてはいないけれど、子どもの遊び「エンガチョ」から縁切り、魔力、まじない、アジール(避難所)、そして縁切寺へとすすむ論旨展開に瞠目させられたばかりでなく、その視点、人間に対するまなざしに、わたしは強く惹かれた。
網野さんのいう「これまでの常識」とは、わたし自身がなずんできたものにほかならなかったから、その内容は衝撃的だった。 ほぼ時を同じくして、わたしは部落解放運動の中で語られる差別意識論(「偏見は実態の反映である」との反映論、「支配階級の分裂政策によって差別意識が人民に注入される」との政策・注入論、「社会意識としての差別観念を人は空気をすうように受けいれる」との空気論)に対して疑問を抱き、差別意識の問題をもっと深く掘り下げて考えなければダメだと思いはじめていた。そして啓蒙・啓発、教育・教化の場で語られる部落史の通説なるものや、アンケート形式の意識調査で正しい、望ましいとされる回答がうとましくて、我慢ならなくなったのである。 そんなわたしにとって網野さんの本は、横井清さんの本(『中世民衆の生活文化』東大出版会 1975など)や阿部謹也さんの本(『刑吏の社会史──中世ヨーロッパの庶民生活』中公新書 1978など)とともに、差別意識・賤視観念・卑賤観の歴史や人間の歴史、さらには人間存在というものを考える上で格好の話し相手となった。
2.
手もとの高校日本史教科書にはこうある。
「考えられている」とは、なかなか意味深長ではないか。 同じ出版社の高校生向け参考書、笠原一男『詳説 日本史研究』は、異人種起源説を誤りとし、職業起源説には根拠がとぼしいと記述したあと、
という。「いずれにせよ」以下には、思わず吹き出してしまった。ことほどさように教育の場では、いわゆる近世政治起源説、分裂支配政策論が有力、というより唯一のものなのである。差別意識の問題が入り込む余地などありそうにない。 だが、横井清さんは最近、つぎのように述べている。
部落史研究が当面するもっとも重要な課題が指摘されているように、わたしには思える。 横井さんは別の論稿でこうもいっている。
横井さんの意見が学界でどのように受けとめられているのか知らないが、わたしは共感を覚える。 たとえば横井さんのいうツケとは、わたし流にいえば被差別部落の生活実態が大きく変貌をとげ、啓蒙・啓発、教育・教化が広範に推進され、反差別の共同闘争がますます拡大していると声高に主張されているにもかかわらず、部落差別意識が根強く残っているのはなぜなのか、そしてその克服の道はどこにあるのか、皆目わからず、かくして部落解放運動の存在根拠そのものが問われる事態に立ちいたっているということにほかならない。それもこれも差別意識をめぐってあまりにも荒っぽい議論が横行してきたからではないのか。 政治(行政)がつくったものは、政治(行政)が解決しなければならないと本気でいう人がいる。こうなると近世政治起源説は一学説の範囲をこえて行政闘争、同和対策事業促進の理論的根拠、つまり部落解放論の一翼を担っているといわざるをえない。もともときわめて政治主義的な意図をもって主張された近世政治起源説(この点については師岡佑行さんの『戦後部落解放論争史』第 2巻第Ⅳ章 柘植書房 1981を参照してほしい)が、経済主義的な意図のもとに継承されたのである。35年前の亡霊がいまだに生きているのも理由がないわけではない。 ところが横井さんによれば「近時の日本中世史学界での一潮流は、その標的の一つに、部落差別の根源を探ることを据(す)えつけている」という。網野さんがその担い手の一人であることは、著書を走り読みした程度のわたしにも十分わかる。
3.
ところで前述したように啓蒙・啓発、教育・教化の場では政策・注入論的色彩の濃厚な近世政治起源説が正当かつ正統な学説として流布されていて、これに異を唱えることはなかなかにむずかしいらしい。部落解放研究所編『部落問題概説』(解放出版社 1976)に、落合重信さんの論文「近世皮多部落の形成と庄園村落」が紹介されていて、こんなふうに書かれている。
戦国期成立説を「問題である」と断定するところなんか、学説上の違いを政治問題化しかねない当時の雰囲気をそこはかとなく伝えていて、それこそ興味深いが、いまもこの雰囲気は残っているようにみえる。これでは旧来の「枠組みを少しずつでもゆるめて、長く、幅広い歴史と文化の視界の中で部落の起源、部落差別の根源を問い直すための大らかな議論」が困難であるばかりでなく、啓蒙・啓発、教育・教化はもとより、部落解放運動自体がひからびたものになってしまう。だからこそ交流会に横井さん、阿部さん、そして網野さんをお招きして、まずはわたしたちの頭を柔らかくし、心をしなやかにしたいと思ったのである。 網野さんの著書は多い。しかも一般的な読者を対象にしたものでもレベルを落とすことがない。加えて生の史料がど~んと引用され、日本中世史特有の用語がフリガナなしで使用されたりするので、わたしなんかにはとても歯がたたないところがある。しかしキセル読み・トバシ読みしながら部落史にかかわって今回の講演でお聞きしてみたいと思ったことの二、三を記してこの稿を終えたい。
いずれにしても網野さんには、被差別部落の起源、部落差別意識の源流について率直な意見をお聞きしたいのだが、わたし個人としては、石井進さんが「日本中世史学界の新しい波」「新しい歴史学への模索」と評した網野さんの学問が、人間存在の根源に対するどのような視点転換の上に成り立ったのかということを、いくらかでも聞かせてもらえればありがたいと思っている。 *網野善彦氏著作目録(追加) 網野善彦責任編集『日本海と北国文化』(『海と列島文化』① 小学館 1990)
《 随感・随想 》
「指四本ポスター事件」顛末記
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柴 田 則 愛(三重)
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まあ聞いてください。笑うに笑えない、だけど腹を抱えて笑ってしまう、なんとも恥ずかしいお話です。ぼくの勤める四日市郵便局で先日、全逓北勢支部青年部女性部のイベントのお知らせのポスターが、局内掲示版に貼り出されました。そのポスターには、いくつかのスポーツをする青年の姿が描かれていたのですが、よく見るとラケットを握ったり、スパイクをする手の指がすべて四本なのです。もっとよく見ると、どうも小指が省略されているようです。
ポスターが掲示されて一週間ほどたったとき、単局の窓口(当局と組合の交渉の地ならしのために、労務担当者と単局担当執行委員の調整の場)で、労務担当者からポスターの件が出されました。さまざまな公示物に神経過敏になっている管理者は、小指のない「四本指」にも当然のように注目したのです。「四」という数字と、指による差別的しぐさ、差別的言葉が、かれの頭のなかで直結したのでしょう。 しかしぼくは、労務担当者が絶対的自信をもって、ポスターをはずしなさいと言ったとは思いません。むしろ「誤解を受けるかもしれないという意見がありますが、どうですか」といった話だったのではないでしょうか。 疑われただけでも許せないと考えた組合の幹部は青年部の役員S君にはずすよう命じ、同時に支部内全局に取りはずしの指令を出しました。S君と組合幹部との間で当然すったもんだがありましたが、幹部は差別ときめつけているので話しになりません。S君はとりあえずポスターをはずしました。イベントは二日後に迫っていて、はずしたところで実質的な影響はなく、ここははずして幹部の顔をたて、イベントのあとでなぜこれが差別なのかじっくり話し合うことの方が大切だと考えたからでした。 その後、S君が何度か話しても、その幹部は「『指四本』を見て痛みを感じる人がいるのだから、ああいうポスターはよくない」という意見らしいのです。もっとも幹部にそれほどの自信があるわけでなく、そこを「下級の者」からもろに指摘されたことでよけいにかたくなになったきらいがあり、「痛み論」は、当局や「下級の者」との関係で引くに引けなくなった幹部の最後の拠り所にされたように思われます。 ところでポスターに押してあった印鑑の名前が気になって、その本人にこの一件を話したんです。そうすると、ポスターを執行部として許可して押印したのは自分であり、ポスターを掲示版に貼ったのも自分だというんです。おまけにかれは「おれはあんなん差別と違うと思うのやけど、どうえ」と聞く始末です。ぼくの意見をかれに言い、執行部としてもよく話し合ってみるべきではないかと提案すると、かれは快く「そうしてみる」とうなずいてくれたのですが、「あまりアテにせんといて」といった顔つきをしたので、思わず励ましたくなってかれの肩をたたいてしまいました。 以上が「指四本ポスター事件」のあらましです。どうも笑ってしまうんですが、笑ってばかりもしておれません。第一、ここには「指四本ポスター」を見て「痛み」を感じた人はだれもいないんです。「痛みを感じる人がいるかもしれない」「痛みを感じた人から抗議されたらどうしよう」「ともかく誤解を受けそうなことは止した方が賢明だ」という姿勢があるだけです。困ったもんです。 ぼくは他者の「痛み」に対して、他人のことなんかわかるものかと開き直る気もないし、よくわかりますよと自分を誤魔化す気もありません。もちろん「表現の自由」で対抗する気もありません。さあ、ここからどう抜け出しましょうか。
《 案内 》
岐阜大学公開講座『ことば・人間・社会』
ヒトは、ことばで考えることによって人間になり、人間は、コトバで意思を伝えあうことによって社会的な存在になる。昨年からわたしたちは、ことばと人間との関わりを軸にして、差別と人権を考える学際的な授業『言葉と人間』を開講しているが、今回その一部を公開することにした。たんに知識の伝達に終わることなく、受講者と講師がこれを自分の問題として考える交流の場にしたいと思う。(開講にあたっての文章から)
日 時 1990年 8月 1日(水)~ 8月 2日(木) 場 所 岐阜大学教育学部 講義棟 3階 301号室 日 程 8/1 (9:45~16:10) 工藤力男:性差別と日本語 小川克正:障害者と人権──点字に学ぶ 神田光啓:ことばと教育関係 8/2 (10:00 ~16:30) 梶山雅史:「教科書的世界」考 藤田敬一:部落差別問題から考える 総合討議(司会:栗山義信) 費 用 3,290円 問合わせ先 〒501-11 岐阜市柳戸1-1 岐阜大学教育学部 庶務係 (Tel.0582-30-1111 内線3008・3009)
《 あとがき 》
*またもや右手を痛めてしまいました。交流会の案内を早く届けねばと無理をしたのがいけなかったらしいのです。それなのに今号も心がせいて。お笑いくだされ。学生のK君が助けてくれるので、思い切ってこれから印刷にかかることにします
*岐阜在住の詩人吉田欣一さんの詩集『日の断面』が東京の小川町企画(Tel.03-294-0471 )から出版されました。75歳の熱情に圧倒されてしまう。一読をおすすめします * 6月19日から 6月28日まで、岐阜、神奈川、三重の 3人の方から計13,138円の切手、カンパをいただきました。ほんとにありがとうございます *本『通信』の連絡先は〒501-11 岐阜市西改田字川向 藤田敬一です。(複製歓迎) |