同和はこわい考通信 No.31 1990.2.7. 発行者・藤田敬一

《 随感・随想 》
未来にではなく、現実の運動に「解放された状態」を求めるユニークな運動論
  ──柴谷篤弘著『反差別論-無根拠性の逆説パラドックス』(明石書店)を読む②──
藤 田 敬 一
1.
 部落問題をめぐる今日の状況は、部落解放運動の存在根拠、つまり部落解放運動は、なんのために存在するのかを問うている。水平社創立大会の宣言をもじっていえば、「過去20年間、さらには40年間に種々なる方法と、多くの人々によってなされてきた運動が、いかなる効果をもたらしたか」を真剣に検討するよう迫られているのである。しかし残念ながら、この問いに正面から向き合い、公然と語る人はまだ少ない。そのこと自体あらためて考えるべき問題の一つですらあると、わたしは思うのだが、その詮議はしばらくおき、部落解放運動の局外者であったと自認する著者が、あえて運動の現状について総括的な評価を与え、目標の転換を提起しているのは、論議の新しい展開として注目される。
 ところで、いわゆる部外者からの、既成の運動や組織の核心にふれる批判について、往々にして論者の資格、立場、経歴が問題にされることがある。曰く「あなたにそんなことをいう資格はない」と。この種の論難がどれほど人びとの意見を封じてきたことだろう。わたしは、岡目八目も大切だと考えている。鏡を鼻先においていては、自分の顔もみえないではないか。異なった立場からの、さまざまな視点にもとづく問題提起があってはじめて、新たな部落解放論の構築も可能となる。
 また著者自身、本書は部落問題と部落解放運動に関して必ずしも網羅的な資料収集と立ちいった研究にもとづいていないと述べているが、これに対しても「あなたは、どれほど部落解放運動の現状を知っているのか」との反問が予想される。だが、こうしたもの言いは、とどのつまり組織の最高幹部、指導者にしか運動の現状は把握できないとする独善につながりやすい。かりに論者に誤解や認識不足があるなら、具体的に指摘すればよいのであって、門前払い、とば口での排除は、論議の回避にしかならないだろう。著者の意見も一つの現状認識として尊重されなければならない。
 さて著者によれば部落解放運動は「社会的・精神的な差別の実体を明らかに」し、「部落差別がいかにいわれのない、非論理的なものであるかを、一般の知識として普及し、それを通じて、差別の現実をなくしてゆこうという見とおし」のもとに、「差別行為について部落からの問いつめと改善要求」および「差別の結果として生じた経済的な悪循環をたちきるための、就職、教育、住宅などの改善のための、政府による経済援助」要求としてなされてきたという(P95)。つまり教育・啓発、糾弾、同和対策事業である。
 もちろん著者は「過去の部落解放運動がなんの成果もあげなかったといおうとしているのではな」く、むしろ「いくつかの分野で眼に見える成果をあげ」、部落差別とはなにかについて、被差別部落外の人びとや政府に対する「教育」はある程度成功し、差別言語のおおっぴらな使用はずっと減少し、被差別部落の経済的な改善のための法律などによって、実態はあらためられたとする(P97~98)。
 しかし著者は、これらの運動にともなう副産物として

1)外部の者が糾弾をおそれ、部落解放の問題から積極的に眼をそらす方向への心の動揺(いわゆる「同和はこわい」とされる内容)をつくり出し(P95)、政府機関がそれを逆用するという事態を生じたこと(P113)。
2)また内部の者に対しては「自分たち、あるいは個人にとって不利になる現象は、すべて差別の結果と見る、主体性のなさをよびおこしもしたようである」こと (P96)。
3)経済援助は外部の低所得者の心のなかに、部落内部の人々への嫉妬心をかきたてたこと(P96)。

の三つをあげる。
 論議というものは、あまり細部にこだわらず、その核心と考えられるものを大胆に提起することによって、より鮮明になるともいえる。著者の意図もまたそこにあるようなのだが、それにもかかわらず教育・教化、啓蒙・啓発、糾弾、同対事業、いわゆる逆差別意識、被差別部落民の主体性・自主性について、いま少し丁寧に論じてほしかったという思いがしてならない。
 とくに「同和はこわい」意識と糾弾の関係については、論議の中心テーマの一つであるだけに、著者の見聞や周囲の人びとの感想などが紹介されておれば、これまでの論議に新たな視点を加えることができたのではなかろうか。たとえ「こわい」意識が糾弾などに関する情報や伝聞によって形成もしくは増幅されたものであるにしても、それは「こわい」意識と糾弾との、確実に存在する一つの関係なのだ。そうした意識のありようを提示することによって、より豊かな論議が生れるかもしれないのである。もっとも著者は、「予測・予知・予言不可能なものに対する不安・非親近性にもとづく拒絶・排除・忌避」としての差別意識を前提にして論じているのであるから、繰り返すまでもないというかもしれないが、それならそれで「予測・予知・予言不可能なものに対する不安・非親近性」と「こわい」意識および糾弾との関係についてまとまった記述があってもよかったと思う。

2.
 部落解放運動に関する著者の結論は、「被差別部落の解放は、意識的には(「意識の面では」か-藤田)成功していない」という点にある(P97)。これについては、ニュアンスの違いはあるにしても、大方のみるところ異論はなかろう。問題は、部落解放運動が目標にしてきた被差別部落民の主体形成、教育・啓発・糾弾による差別意識の克服が、なぜ成功しなかったのかという点にある。
 生活実態が偏見・差別意識を生み、偏見・差別意識が劣悪な生活実態を生む。この悪循環を断つには生活実態の改善が必要であり、かかる行政施策の積み重ねが部落差別問題解決の重要な手だてであるとの考えのもとに、行政闘争が展開されてきた。「差別糾弾を行政闘争に転化せよ」といわれたり、「行政闘争は差別糾弾の最高形態」と位置づけされたこともある。行政闘争と行政施策との関係をめぐってあれこれの議論もあったが、いつしか行政施策の積み重ねによって、部落解放が達成されるかのごとき幻想が運動の内部に広がったことは否定できない。同和対策審議会答申(1965)が、あたかも部落解放運動の指導理念であるかのような主張がなされるにいたる。
 もちろん生活実態の改善だけで部落解放が達成されると、みんながみんな単純に信じていたわけではない。行政闘争によってモノ取り主義、融和主義、幹部請負い主義、事件中心主義がはびこることを警戒する人びとがいた。糾弾や行政に対する要求闘争を通じて、被差別部落民としての社会的立場を自覚し、解放の主体としての自己を形成することが展望されてもいたのである。わたしの学生時代でいえば、勤評・安保・三井三池などの闘争が取り組まれたが、それは部落解放運動の政治的階級的立場の表明だった。「部落完全解放」には、解放、革命、社会主義への志向がこめられ、1970年代に入ると、共同の運動、闘いとしての部落解放運動を模索する過程で、被差別統一戦線、反差別統一戦線が標榜されるようになる。その中で、「部落差別だけでなく、一切の差別に反対する」「一人は万人のために、万人は一人のために」とのスローガンがかかげられたことは、記憶に新しい。
 にもかかわらず部落解放の展望は、まったくといってよいほど立っていない。差別事象はたえず、人びとのあいだに部落問題といえば敬して遠ざける雰囲気が漂い、共同闘争とはいうものの、遠慮気味で他人行儀な関係が根強い。研究集会などの参加者にみられるあの生気のない表情はどうしたことだろう。部落解放運動のどこかに問題があったとしか考えられない。目標の設定、運動の進め方、組織のあり方の再検討が求められているのである。
 著者は、「従来の部落解放運動の理論が、マルクスの理論の経済的土台(下部構造)が意識(上部構造)を規定するという定言にのっとり、経済条件の改善を主目標としてきたこと」と、マルクス主義の理論的誤りを基本的に検討し、闘争方針を改めることをしなかった日本の伝統的左翼運動の失敗に、その基本的な原因を求める(P97)。たしかに実態と意識に関するこれまでの理論が、この手の素朴な反映論に依拠し、部落差別の原因、現状の分析、解放の展望についてもマルクス主義、さらには共産党や社会党などの左翼、革新派、あるいは革命派の理論的思想的枠組みの内にあったことは事実である。「部落完全解放」路線も同様で、かくいうわたし自身、その騏尾に付していた。
 しかし、いまのわたしには、旧来の部落解放論が依拠してきた理論や思想の枠組みが、人間存在への深い洞察を欠落させてきたのではないかとしかいえそうにない。マルクスの理論、マルクス主義、日本左翼の理論・思想について、なにかものがいえるほど素養があるわけではないし、それに原理、原則にかかわって大上段から論じる気持になれないでいる。転向者と非難される所以かもしれぬ。しかし、わたしの関心はどうしても部落問題の現実、部落解放運動の現状に向かってしまう。著者のこのような指摘が不要だといっているのではない。それは大切な論点ではあるだろうが、わたしはあくまで具体的な事実の分析から出発したいと思っている。そこで次に著者が展開する部落解放運動への具体的な批判にふれることにする。

3.
 著者の部落解放運動に対する批判の中心は、運動の目標を「差別をなくす」ことに設定していることにおかれている。「差別のない明るい社会」といった標語にも示されているように、「差別をなくす」ことが、それこそ国民的な課題、目標とされているので、この批判は一見、常識への挑戦のようにみえる。

「差別をなくそう」と国家や地方自治体が、いともたやすく言うとき、私はむしろその偽瞞性にいらだちを覚える。差別は現在までの運動が示すように、そうかんたんになくなるものではないだろう。その困難を無視して、「差別をなくす」ことを標語にするような運動は、現実に対して眼をとざし、運動の失敗を保証するようなものである。(P100)

誰しも「差別はそうかんたんになくなるものではない」と感じてはいるけれど、こうまではっきり、あからさまにいう人はそう多くない。ホンネをずばっと指摘された感じを受ける人もいよう。そして「差別をなくす」とはどういうことか、あまり厳密に考えておらず、達成の困難さを棚上げにして、誰かに責任を転嫁し、運動が解放への道程のどの地点まで来ているのか、あるいは運動の成果、効果がいかなるものかについて目を閉ざしてきたことに気付きもするのである。活動報告風の「成果と欠陥」の羅列はあるものの、部落解放運動は部落解放への確かな歩みを進めているのかどうか皆目見当がつかない状況にある。どこに向かって進むのかわからぬでは、運動の混迷は避けられない。
 しかし著者のみるところ、「差別をなくす」運動の問題点は、これにとどまらない。「差別をなくす」ことを目標にしたとたんに「多数者に、根本のところでなれあってしま」うからである。言葉をかえれば、「差別をなくす」運動は、多数者への同化・同和をめざすことにほかならず、結果的には、被差別部落内外に差別を増殖させることになるという。それゆえに著者は異叛-少数者、異端のままでの解放状態をめざす運動を提唱する。正直いって、著者の意見は、まだわたしの腹にストンと納まりきっていない。資格・立場・体験の絶対化による共感の喪失、特別枠としての同対事業による特権化の危険までは、わたしなりに考えたのだが、「差別をなくす」運動の問題点までは考え及ばなかった。今後の課題とするほかない。
 いま一点は、「差別をなくす」運動が暗黙のうちに「差別のなくなった状態」を想定していることにかかわる。

「差別をなくす」ことが運動の目標になる以上、「差別のなくなった」状態が可能であることが、その前提になっている。かりにそのような状態が実現可能であるとしよう。しかし、そのような状況は決してわれわれの夢見るユートピアの実現ではありえない。…そのような状況のもとでは、いつ差別が復活するか、ということが、たえず恐れられ、人々は真実の恐怖におののき、疑心暗鬼に、たえずさいなまれているであろう。(P98~100)

つまり「差別のなくなった状態」はそもそも実現不可能であるというのである。現にオーストラリア、アメリカ、ヨーロッパにおいて、法律・制度上の規制、改善の裏で人種差別事象が頻発しているではないかと、著者はいう。わたしは、さらに社会主義諸国(元社会主義諸国というべきか)における各種の差別とともに、労働運動、大衆運動、革新運動、反体制運動、革命党、労働組合など既成の運動、組織における管理、抑圧、疎外をも想起する。「一枚岩の団結」などというのを聞くと身の毛がよだつ。それもこれも、運動、革命の彼方に解放を描き、現実の運動における人と人との関係に目を閉ざしていることに起因しているのだろう。
 著者によれば「過程こそすべてである」。なぜなら「現在の管理体制のなかで、管理から解放されて自己発見にむかうべき、個々の人格の、社会的な共同作業」が課題としてあると考えるからだ(P65)。現実の運動における管理、抑圧、疎外からの解放なくして、解放を未来に求めるかぎり、その未来なるものが到来しても、新たに形を変えた管理、抑圧、疎外が生じるにすぎない。そこで著者はマルクス『ドイツ・イデオロギー』(『哲学の貧困』とあるのは誤植)の一節になぞらえて、

われわれにとって部落解放(「部落差別をなくす」)とは、招来せられるべき状態でもなければ、現実が指向すべき理想でもない。われわれにとってそれは、現実を廃絶しようとする現実の運動である。(P101)

と述べる。現実の差別・被差別の構造(関係)を廃絶しようとする現実の運動そのものが、部落解放の内実とされる。わたしは、著者の意見に共感をおぼえる。ユートピアを遠い彼方に設定することにより、解放を語って民主的民衆的にみえながら、実は非人間的な管理、抑圧、疎外が正当化される運動、組織とはいったいいかなる代物なのか。まったなしに現実の運動が人間的でありたい。未来、彼岸のなにものかに託するのではなく、人と人との関係を変えんとする、現在進行形の運動自体が人間の自立・自主・自発に根ざしたものでありたいと切に思う。だから運動態という言葉を考えてみたのだが、それは法や制度、社会体制に自らをゆだねず、両側から超えた、生々せいせいの運動状態の中でこそ、解放された関係がつくれるのではないかという予感がしているからだ。ユートピア志向の克服、「過程こそすべてである」との著者の意見が部落解放運動に対する積極的な提言であると考えるのは、そのためである。

4.
 著者がえがく部落解放運動のイメージの一つは次のようなものである。

(外部の)人たちに、差別をなくせ、というのではなく、そういう人たちと、ある契機をつかんで現状を廃絶しようとする-たとえば反核運動をともにたたかう-現実の運動のなかで、共同実践をくりかえすうちに、ふと気がついて見れば、差別意識がいつのまにかなくなってしまっていた、ということが、私の想像力では見えてくるように思う。差別意識のいわれにこだわらず、その大きさをちぢめようと特に努力しなくても、もっと大きいものが、心のなかに居すわりつづけるようになれば、相対的に差別意識-つまりよくわからない、予言できないものに対する不安にもとづく、拒絶、排除、忌避の心情-は重要さを失い、やがて千々にくだけ散ってしまう、という過程を、思いえがくことができるのである。(P108)

差別意識克服の過程は、おそらく著者の想定するようなものであろう。教育・啓発の限界を突破するには、このような共同実践を進めるほかあるまい。問題は、共同実践の契機となる課題とはなにかである。わたしも「差別・被差別の両側から超えて、人間解放につながる共通・共同の課題達成に向けた共同の営みとしての運動態」といったものを考えてはいるのだが、その具体的な姿はまだ漠然としたままである。著者のあげる反核運動もその一つかもしれない。ただ、それが従来の共同闘争とどうちがうのか、その際部落解放運動固有の課題なるものは存在するのかしないのか、あるいはそれは部落解放運動を市民運動へ解消することにならないかなどの疑問が次から次へと浮かんでくる。
 また「もっと大きなもの」とは、著者が別の箇所で触れている「全人類的普遍性」を指すと思われるが、これまでは進歩・発展、自由・平等、解放・革命、社会主義・共産主義が「全人類的普遍性」の名で語られてきた。それらに代わって、現在どのようなものが「全人類的普遍性」の内容として語りうるのか。「人間解放」と一応はいってはみても、それほどリアリティーがあるわけではない。しかし、これは著者にもとめるべきものではもちろんなく、わたし自身が思索しなければならぬテーマだろう。

社会からおしつけられた枠組みを拒否して、新しい枠組みをつくってゆく、…。そしてそのような新しい枠組み、新しい概念、新しい生の在り方を探りだす試みを、幅広く実践し、そしてそれを、社会のなかに広めてゆく、という課題を、みずからにひきうけることが、少数者のための運動の中心課題となる。(P212)

とも書かれている。「新しい枠組み」「新しい概念」「新しい生き方」の「新」を見つけだすためには、まずもって旧来の枠組み、概念、生き方のどこに問題があるかが、検討されなければならないのだが、部落解放運動にかぎっていえば、同和対策事業という特別措置の枠内に運動の基本がおかれ、事業の維持・継続が目標とされているかぎり、そして差別・被差別両側の隔絶された関係が存在する状況下で、はたして新しい枠組み、概念、生き方の発見は可能なのかという気もする。
 どうも運動を、集団、組織、団体のそれとしてとらえるところに無理があるようだ。運動総体からではなく、個々の人間から出発すれば、さまざまな課題にかかわる諸個人のあいだにおける共感と連帯の輪の中で、運動目標の再検討とその転換がはかられ、なにか「新しい」ものが生まれる可能性がある。たとえば「一般平均との差」にのみこだわって、それを同対事業要求の根拠とする発想などは姿を消すかもしれない。
 やはり全体からではなく、個別・個々人からの出直しが必要なのだ。そしてそれは当然のことながら部落解放運動における人と人との関係、そのありようを問わずずにはおかない。(未完)

《 各地からの便り 》
柴谷氏の「歴史研究」批判に期待する
S・Y(京都)
 柴谷氏の「差別の無根拠性・恣意性」は、御指摘のように、刺激的であるとともになんとも難解であります。刺激的であるのは柴谷氏の「差別問題へのアプローチの跡」が「生産力理論と階級闘争にもとづく古典的な革命理論」に依拠しない「思索の結果」として提示されているからであり、難解である理由はその独自な差別認識の方法が<近世政治起源説>以来ほぼ半世紀近くにわたる戦後の「歴史研究の成果につながるのか」(つながらないのか)判然としないからでしょう。/あらためていうまでもなく、部落差別問題へのアプローチが歴史研究の領域を主要な場としてなされてきたこと、したがって現在のさまざまな困難のうちで理論の問題に限って言えば歴史理論とか歴史観にまつわる問題が大きな原因になっているのは疑いありません。困難を打開せんとする意欲的な問題提起が生かされるためには、<解放理論>なるものを基礎づけてきた「歴史研究の成果」を検討する必要が常につきまとうのではありますまいか。柴谷氏の立場からする「歴史研究」批判が提出されれば、<政治起源説>を出どころとするわたしのようなものの理解も幾分かは容易になるのではと、考えております。

《 あとがき 》
*一月は、なにかと忙しくしていたために発行できませんでした。まあ、あんまり根をつめず、ゆっくりやります
*柴谷さんの『反差別論』に対する感想、いささか冗長になり、申しわけなし。次号で完結しますのでよろしく
*先日、大津で全国交流会事務局の打ち合わせ会をもち、第七回部落問題全国交流会の日程その他を相談しました。7 月21日(土)~22日(日)、京都・西本願寺門徒会館、講師は網野善彦さん(神奈川大学短期大学部教授、日本中世史)です。いまから予定に入れておいてくだされば幸甚。次々号(No.33)から網野さんの本の紹介をはじめます
*1 月19日、甲山事件控訴審最終弁論の傍聴に出かけてきました。88年10月から1 年3 カ月で結審というスピード審理でした。3 月23日(金)午前10時、大阪高裁201 号法廷で判決公判が開かれます。無罪判決を念じるのみ
*89年12月21日から90年1 月27日まで、三重(3)、京都(2)、岐阜、島根、大阪、東京、鳥取、兵庫(2)、福岡の13人の方から計62,240円の切手、カンパをいただきました。ほんとにありがとうございます
*本『通信』の連絡先は〒501-11岐阜市西改田字川向 藤田敬一です。

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