同和はこわい考通信 No.30 1989.12.27. 発行者・藤田敬一

《 随感・随想 》
「差別の無根拠性」または「いわれなき差別」について
  ──柴谷篤弘著『反差別論-無根拠性の逆説パラドックス』(明石書店)を読む ①──
藤 田 敬 一
1.
 わたしを差別者、転向者よばわりする人がいた。「部落解放運動を指導する立場に立つ者としての視点がない」「部落解放運動の展望、方針がない」との批判も受けている。非難や批判は自由だから、いっこうにかまわないのだけれど、その多くが部落解放運動の現実から出発しないのはまだしも、旧態依然とした理論、思想に拠っていることに、なんともいえない空しさを感じてしまう。
 10年まえ、わたしはつぎのように書いていた。

いま多くの人びとが差別の問題に焦点をあて、人間解放の真のあり方をさぐる上で差別の問題を抜きにしてはならぬことに気づきつつあるのも、差別が人間存在の根本にかかわると考えているからだろう。民主主義の外皮のうちにひそむ差別の問題こそ、われわれの社会における人間と人間との関係、あり方の根底を問うているのである。…部落解放理論の批判的検討がすすみ、新たな路線がうちたてられるまでには、長期にわたる試行錯誤と激しい闘いが必要なのかも知れぬ。しかし、いずれにしても、今日の部落解放運動の直面している諸矛盾への深い洞察に支えられた活動家と研究者との協力がかんじんであろう。…
(「部落解放運動の現状に切り込む論争を-『解放新聞』紙上の師岡・大賀論争を読む-3 」、『紅風』No.27,79/12)

いかにも気負った文章で恥ずかしいが、当時のわたしは、「部落差別とは、どういうことであり、どういうものか、部落差別の現状はどうなっているのか、部落差別からの解放とはどういうことを指し、それにいたる道すじはどのようなものか、といった点について運動の内部ではあまりにも議論が少なすぎる」ことにいらだっていた(同上No.25,79/9)。
 新たな理論的創造へとつながるためには、なによりも「これまでの理論を完成されたもの、権威あるもの、学ぶべき対象ではあっても批判的に検討すべきではないとするがごとき考え方、風潮をまず一掃しなければなら」ず、部落解放論として定式化され、運動のなかで定着している朝田善之助さんの「三つの命題」を議論の俎上にのせるべきだとも主張した。そうしてはじめて横井清、堀口牧子、網野善彦、盛田嘉徳などの人びとの仕事から多くのものが吸収できると考えたのである。しかし、わたしの意見はなんの反響もよばなかった。わずかに1985年になって師岡佑行さんが『戦後部落解放論争史』でふれてくださっただけである(第5 巻442 頁以下.柘植書房)。
 それはともかく、わたしはここ十余年らい、部落解放運動が依拠している理論や思想の枠組みではもうダメではないかと考えてきた。遅すぎたかもしれないが、『こわい考』は、それらにたいするひそかな訣別宣言だった。
 山下力さん(部落解放同盟奈良県連書記長)は、『こわい考』について「部落解放運動への様々な思いをこめて刻印しようとした“惜別の詩”ではなかったのか」とおっしゃっているが(『こぺる』No.118,87/10 )、旧来の理論、思想への訣別宣言であっても、部落解放運動への惜別の辞であろうはずがない。  そして岐阜の太平天国社や部落問題全国交流会での活動や討論を通じて、運動と組織についても、わたしなりの考えが次第にまとまりつつあるように感じている。
 *以下の拙文を読んでくださればありがたい。

「地対室の正体見たり枯尾花-『啓発推進指針』を読む-3 」
  『紅風』No.94,87/9.
「自らの課題をまさぐる一つの試み-第五回部落問題全国交流会から-」
  『こぺる』No.133,89/1.
「第6回部落問題全国交流会を終えて」
  『同和はこわい』通信.No.27,89/9.
「太平天国社の十五年-ひとつの独断的感想-」
  『天国つうしん』創立15周年特別記念号,89/12 .

“差別・被差別の両側から超え、人間解放につながる共通・共同の課題達成に向けた共同の営みとしての運動態、個々人の自立・自発・自主を基礎とし、「自分以外の何者をも代表しない」「結論を急がない」「組織や運動の方針を人に求めない」「多数をめざさない」を一応の了解事項とする不定形の集合体=結合態”が、その大枠の見取図である。
 これが現在の状況のなかでどんな意味をもつのか、狭い世界でしか生きていないわたしには見当のつけようもなかったのだが、柴谷篤弘さん(京都精華大学)の新著を読んで、わたしの考えが全体としてそれほど的はずれのものではないと知ることができた。

2.
 本書には、部落解放論の再検討にとって示唆に富む指摘が随所にみられる。もっとも著者があげる多様、多彩な文献はほとんど読んでおらず、あわてて菅 孝行編『反差別の思想的地平』(明石書店)、江口幹『疎外から自治へ-評伝カストリアディス』(筑摩書房)などに目を通したぐらいで、まして分子生物学、構造主義、構造主義生物学、構造主義言語学などについては、まったくの門外漢だから、批評する資格などないにひとしいのだが、刺激的な論述に触発され、関心の重なる部分について感想を記し、あわせていくつかおたずねしたいと思う。
 本書の構成はつぎのようになっている。

プロローグ
第一部 「外」の問題
 Ⅰ 差別への私の関心の由来
 Ⅱ 日本人の対外意識
 Ⅲ 加害者と被害者
 Ⅳ さらにいくつかの前提
第二部 内の問題
 Ⅴ 部落解放は何をめざすか
 Ⅵ 差別の諸相
第三部 両側から
 Ⅶ 差別の無根拠性
 Ⅷ 少数者としての連帯を──同質のなかに異質をつくる──
エピローグ

“外”“内”“両側から”の三部構成から、ひょっとすると本書が『こわい考』の延長線上にあるものと即断する人がいるかもしれないが、それは著者にとって迷惑千万な話にちがいない。「第一部 『外』の問題」で、丹念に著者自身の差別問題へのアプローチの跡がたどられているのは、本書で展開されている論旨があくまで著者の思索の結果であることを示さんがためであり、著者と本書との関係を知るためには欠かせないものとなっている。

 さて著者は人間解放をめぐる諸運動の理論情況をつぎのように描く。

生産力理論と階級闘争にもとづく古典的な革命理論が現実に対して十分対応しえないことが明らかになってきた。そうしたなかで、あたらしい革新運動の諸分流は、「解放」をひとつの共通の目的としてさぐりあて、これに向かうべき過渡期の運動そのものが、目標とする解放状態を先取りする形でなされなければならない、ということを理解しはじめた。…ことに1980年代にはいってから、解放をめざす人々の運動の諸潮流がしだいに明確な形をとり、ひとつの共同闘争の形に凝縮してきている。そこでは、広い意味における「解放」が議題となり、当然、いろいろな差別に対する反対運動も、同じ旗印のもとにあつまることになる。逆にいえば、反差別の運動や闘争も、このような広い枠組みのなかでとらえなおす必要があり、またその枠組みを可能とした理論的な見とおしをたえず意識しながら、現実の行動における選択をつみ重ねてゆく必要があるだろう、…歴史的に見れば、部落解放運動は、広い意味での階級闘争や無産者解放運動の文脈のもとに位置づけられ、それを支え、貫いてきた理論の影響下に形成され、それなりの成果をあげてきた。とはいえ、このような理論が限界を示すようになれば、部落解放運動の理論も、それなりの限界につきあたり、現実との対応において、不十分さをあからさまに示すことにもなってきたのではないだろうか。(P65~66)

1970、80年代の「解放をめざす人々の運動の諸潮流」については、おぼろげにしか知らないので、このような概括が当たっているのかどうか、わたしにはなんともいえない。ただ部落解放運動とその理論にかぎっていえば、ほぼ納得できる。だから、

部落解放運動が、現在ひとつの転機にさしかかっており、新しい解放の理論がのぞまれる、という空気もでているようにおもわれるのにたいして、ただ差別反対をいうだけでなしに、どういう社会、どういう具体的な運動がもとめられているか、についての、対案をだしてゆく機運が、まだよわいように思われる…。(P3) …部落解放のあたらしい理論構築が、当面緊急の課題であることがひろくうけいれられるようになってきている、いまの時機をとらえて、この自明とされてきた、「差別をなくす」、あるいは「同和」の概念を、再検討し、もし必要であるなら、部落解放運動が今後むかうべき方向を、変えてゆくべき時機が来ているのではないか…。(P99)

という著者の考えもそれなりに理解できるのである。
 しかし「部落解放のあたらしい理論構築が当面緊急の課題であることがひろくうけいれられるようになってきている」と、わたしは思っていない。部落解放同盟の全国大会や部落解放研究全国集会などの討論をみるかぎり、新しい理論の構築がもとめられているようにはみえないからだ。研究者の集りでも事情は同じらしい。
 既成の部落解放論が限界につきあたっていると感じ、運動のすすむべき方向を模索している人は少なくないとはいえ、表だって主張する人はまだ少数である。ところによっては『こわい考』が事実上、禁書扱いにされているという。理論構築どころの話ではないのである。絶望することもないが、楽観的にすぎてもいけない。要は現実の運動や組織との葛藤に耐えて、新たな理論の創造にむけた論議を広く深く展開できるかどうかである。その意味で部落解放運動にたいする大胆な提言を含んだ本書が出版された意義は大きい。

3.
 まず、わたしにとって興味深かったのは、生物の同類認知現象をふまえた差別論もしくは差別意識論である。

人間も、当然同類認知をおこなうが、人間のばあいはとくに、発達した記憶の能力によって、自分によく知られた、親近感のある対象を、未知の対象から、個別的に、知人たちなら、ひとりひとり区別することができ、その現象が普遍的に見られる。…親近性は対象の行動・運動形態の、予言可能性につながり、それは直ちに、それに対する、自分の反応・対応を、あらかじめ準備しておける、という安心感につながっている。したがって人間は、より親近なものに惹かれ、よく知らないものに対しては、警戒心または敵対感情をもつ。(P76~77)

ここから「よくわからない、予言(予測)できないものに対する不安にもとづく、拒絶、排除、忌避の心情」としての差別意識が説明される(P109)。「差別の原因は、無知、あるいは非親近性にもとづく予想不可能性への忌避にある」(P125)ともいわれる。ところが、人が生まれ育つ環境が多人種・多民族・多言語・多文化であれば、その多様であることが親近性の内容となるように、親近性の内容はけっして固定的なものではない。つまり成育史によって人の親近性の範囲と内容は異なるのだから、その基準は恣意的といえる。恣意的なら、その変更も可能だというわけである。これは著者の運動論、組織論につながるので注意しておきたい。
 難解になるのは、これからである。
 社会レベルについて、著者はつぎのようにいう。

問題は社会が…いわば行き当りばったりに、出まかせに、無根拠に、ひとつの区分法(たとえば「男と女」「障害者と非障害者」のような二分法-藤田)を使用して、他を採用しないこと、そしてその区分法を、社会的に因習化して、それを社会の掟のようにして(言語と同じ強制力で)、社会の成員におしつけ、あたかもその区分法が唯一の、かけがえのない、必然的な区分法なのだ、ということを、てんで最初から、社会の成員に、無根拠に強制してしまうことなのである。(P173~174)

つまり差別の無根拠性である。無根拠とは「他の、違った、別のやりかたでもかまわなかったのに、この、いまのやりかたにきまってしまった、そのきまりかたには、特別の根拠があったわけではない、つまり恣意的だ、ということ」である(P75)。
 もっとも著者は無根拠に成立した差別が二次的に根拠を発生させることにも注意をはらう。

部落差別は、身体的でなく、ほとんど人為的、政治的にしつらえられた基準によるものであった。しかしそれは社会的に、歴史的に強化され、ついでその現実が二次的な差別の根拠になって固定した。ここにこそ差別の無根拠性を根本から解きあかすべき典型がある。そうして政治的に、社会制度的に、差別の根拠がすべてとりはらわれたあと、差別意識そのものが、まったく無根拠に定着している、という…おどろくべき無根拠な社会意識が残ったのである。(P179~180)

こうした差別の成立と確立もしくは原因にかんする著者の見解が、歴史研究の成果とどうつながるのか、わたしにはよくわからない。
 それに、ある区分法を採用して忌避、排除の対象を選択する社会という場合の社会とはなにか。「人為的、政治的にしつらえられた基準」とはなにか。それはその時代、その社会の観念・意識・習俗とどのようにかかわっているのか。恣意性一般、社会的因習一般では平板な歴史叙述にならないかといった疑問が浮かんでくる。おそらく構造主義に無知な人間のトンチンカンな疑問なのだろうが、それにしてもなぜ著者は、差別の無根拠性(いわれなき差別)を強調するのだろうか。
 著者によれば、差別には正当な根拠も、理由もなく、根拠らしくみえるものは、二次的に派生したものにすぎないから、それにとらわれることはナンセンスの極みであり、したがって差別の根拠、理由を始源にまでさかのぼって論じても意味はなく、差別の根拠、理由とされるものの無意味化が重要だというのであろう。
 そうかもしれない。しかし、わたしは二次的な根拠にもとづくものであろうと、歴史的に形成され、現実の人と人との関係によって支えられている差別意識と、忌避・排除の実状にどうしてもこだわってしまう。前川む一さんから「ぼくの先祖がなんで差別されるようになったのか教えてくれませんか」とたずねられるたびに、「それがわからんのです」というしかないわたしだが、「もともと根拠なんてないんです」といって、さて前川さんを納得させられるかどうか、自信がない。
 そんなことを考えているうちに、どうもここらあたりに著者の仕かけがかくされていて、その運動論、組織論にかかわってくるらしいことに気づいた。この点についてはあとでふれることにする。

4.
 ところで著者には差別の無根拠性(いわれなき差別)をかかげて差別に反対することへの批判、もしくは実践的な帰結にたいする危惧がある。すなわち身体的な特徴を基準にした場合の、被差別部落民などの「潜在」被差別グループによる、障害者などの「顕在」被差別グループにたいする差別の問題であり、いまひとつは「潜在」被差別グループの多数者への同化願望の問題である(P124,125,182)。「同化」の問題は別にとりあげるので、ここでは前者について考えてみたい。
 たしかに、かつて「障害者は一代かぎりで、一見してそれとわかるものだが、部落差別は親から子へ、子から孫へとつづくもので、しかもいわれなき差別だ」という意見を聞いたことがある。
 えびら 田鶴子たづこさんの『神への告発』(筑摩書房)にも、被差別部落内に移り住んだ障害者の主人公に、ある青年が

あなたのように、一目でどこが曲り、どこが畸形か判別できるものならば、忌まれようとも文句はありません。しかし僕たちはどこも変ったところはないのです。僕らにはそれが口惜しい。

と語る場面が出てくる(P197)。この青年の意識の底に「いわれのある差別」と「いわれなき差別」の区分があり、それが障害者との断絶の素因になっていることを本人自身気づかない。「いわれなき差別」を差別反対の根拠にしたとたんに共感の喪失がおこることを示す事例といえる。
 15年まえ、部落解放全国大行動隊第二班が岐阜に来たことがある。小さな被差別部落に入ったあとの行政交渉の場で、隊員のひとりが「われわれは“いわれなき差別”だといってきたが、あの町の状態をみると、“いわれのある差別”だといいたい」とつめよっていた。その「いわれ」とは、環境をふくめた生活実態の劣悪さであった。一方では「いわれなき差別」といい、他方では「いわれのある差別」という。ここにも被差別部落の人びとの揺れ動く心情がうかがえる。
 70年代のはじめ、「部落差別と一般差別とを混同するな」との意見が聞かれたが、あれも、いまから考えてみると「いわれ」の問題が含まれていたかもしれない。そしてそれが部落差別は他の差別よりも重要であるとする主張に傾き、連帯への道を閉ざしかねないものであったことも事実である。同和対策事業がらみの場合、とくに問題は深刻だ。なぜなら同和対策事業は特別枠、特別措置であって、つねに特権化の危険性をともなうからである。
 これまで「いわれ」についてつきつめて考えてこなかったので、本書から教えられるところが多かった。
 著者の意見を、わたしの言葉で整理すると、

1)差別には「いわれ」=根拠はない。
2)しかし差別の対象にされ、差別が政治的社会的に強化されることによって派生する「現実」が、差別する「いわれ」=根拠にされる。
3)そこで「差別されるいわれがない」というと、「差別されるいわれがありそうな人びと」を排除することになり、「差別されるいわれがある」というと、差別に根拠をあたえることになる。
4)だから「差別にいわれがある・ない」にこだわること自体がナンセンスであり、「差別されるいわれなし」をもって差別反対の運動をすることは、敵を見あやまっていて、不毛である(P125,182)。

ということになろうか。
 そうだとすると、著者は部落解放をめざすこれまでの運動や組織のありようを批判的に検討するだけでなく、「被差別者にとって差別とはなにか」という問いをも発しているようにみえる。(未完)

《 紹介 》

☆『全国交流会通信』 つだ・バージョン(版).No.1 ~2 (89/11,89/12)
 津田ヒトミ:連載「アイデンティティを求めて」

 *津田さんがB5,8頁だての『通信』を発行されました。各地で『通信』○○版が出て誌間(?)交流ができたら面白いでしょうな。連絡先は〒862 熊本市若葉3丁目8-33 津田ヒトミさんです。

☆京都部落史研究所『こぺる』 特集“『同和はこわい考』をめぐって”16
 高木奈保子「図書館の自由と差別表現」(No.138.89/12 )

《 あとがき 》
*太平天国社が創立15周年を迎えました。12月2 日、祝賀の大忘年会には前川む一さんはじめ三重、京都、大阪から友人がかけつけてくれて総勢49人、“天国”は久しぶりに満杯となりました
*宴のあとの寂しさはまた格別で、もうつぎの20周年が待ちどおしくなってます。困ったもんですわ*柴谷さんの『反差別論-無根拠性の逆説』について感想を少し書いてみました。このあと、運動と組織にかんする柴谷さんのご意見にふれるつもりです。なお次回の差別意識論研究会(1990年1 月20日[土]午後2 時、京都部落史研究所)で、わたしが同書を紹介・批評します
*11月1 日から12月19日まで、大阪(2)、愛知、富山、三重(3)、京都(6)、岐阜、兵庫の15人の方から計91,540円の切手、カンパをいただきました。ありがとうございます*本『通信』の連絡先は〒501-11 岐阜市西改田字川向 藤田敬一です。

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