同和はこわい考通信 No.3 1987.8.18. 発行者・藤田敬一

《 波紋・波紋・波紋 》

その1.部落解放同盟中央解放学校でとりあげられる

 さる7月30日〜8月1日、部落解放同盟第44期第1回中央解放学校(大阪)第二日日第3講「解放理論をめぐる諸問題」(村越末男・部落解放研究所理事長・大阪市立大学)で『こわい考』が、師岡佑行さんの『いま部落解放に問われているもの−現代部落解放論−』(明石書店)とともにとりあげられたということてす。聞くところによりますと、その要旨は以下のとおり。
 1) 表題に問題がある。向こうが「こわい、こわい」といっているのに、われわれの仲間が「こわい、こわい」「こわい考」という必要はない。
 2) しかし藤田君の本の功績は差別の根深さ、生理的にまで「こわい」という意識が貫徹することを明らかにした点にある。差別意識の現状にかんする彼の分析は非常に的確だと思う。差別というものの絶対的な姿を差別者側に立って分析するということは非常に重要であるし、積極的な面だ。
 3) 二つのテーゼとして、彼がとりあげる解放理論というのは、すべて朝田理論である。それが彼の部落解放運動にたいするイメージになっている。しかし、それはいわは歴史的過去の経験である。
 4) 腐敗現象批判の問題について。批判には、もっともな面がある。問題は批判が客観的に果たす役割である。その認識が欠落している。師岡君や藤田君がきわめて良心的な敏感な思想で、一つ一つの現象を鋭く批判していることは事実だが、今日の情勢を的確に把握していない。そのために部落解放基本法制定要求国民運動の偉大な意義を見失うと同時に、民主主義・人権確立運動を批判する、これを分裂させる可能性をもっている。まさに今日の解放運動に敵対し、日本国民の人権確立の運動を挫折させる危験性をもつものである。

 「統一と団結を守らなければならないときに、民衆を錯覚させ、戦線を混乱させる役割を果たすものとして批判しなければならない」というのが、その結論ですが、大いに討論しようとの立場も明らかにされたということです。
 もっともある中執は「組織的に整理すべきものは整理すべきだ」と発言されたとか。「組織的に整理する」とはどういう意味なのか、わたしにはよくわからない。禁書にせよ、もしくは組織をあげて批判運動を起こせといいたいのでしょうか。もしそうであれば、残念ながら『こわい考』にかかわる開かれた議論は不可能になってしまいます。なりゆきを見守るほかないのですが、わたしとしては村越さんが「国民的大同団結を生みだそうというとき、これぐらいの本が包容できなければ運動は失敗する」「批判はするが、組織的に排除はしない」とおっしゃったことに期待をかけたいと思います。
 それはともかく村越さんのご意見について申しあげたいことは多々あります。しかし、いまは本冊子が「差別意識を的確に分析している」と評価してくださったことに感謝するにとどめます。ただ、つぎの二点だけはどうしても指摘させていただきたい。
 第一は、村越さんまでが「同和はこわい考』という書名にこだわっておられることです。わたしが「同和はこわい」と主張しているかのようにとるのは誤解でなければ曲解てす。「考」に「考証」「考究」「論考」の意味があることは、村越さんなら先刻ご存知のはずです。そこには、なんら肯定的意味はふくまれていません。まして中身を読んでもらえば誤解のしようがない。話を面白くさせるために、そんなことを申されたとするなら、冗談がすぎます。
 第二は村越さんが状況論、客観的可能性論をもちだし、本冊子が「民主主義・人権確立運動を分裂させる可能性」「解放運動に敵対し、日本国民の人権確立の運動を挫折させる危険性をもつ」といっておられることです。たしかにわたしは、部落解放運動の現状をふまえ“地対協の「自然解消論」「部落責任論」「部落更生論」に反撃するためにも、部落解放運動の存在根拠を明確に主張していくためにも、いまこそ「両側から超える」努力がなされなければならない”“部落解放運動は…他を糾すだけでなく、自らをも糾す思想が求められる”と述べました。また「被差別」側の一部の対応や部落解放運動においていまなお生命力をたもっている二つのテーゼを批判しました。その克服なしには「共同の営み」としての部落解放運動は創出できないし、したがって地対協の攻勢には対処できないと思ったからです。こうしたわたしの考えのどこに部落解放運動に敵対し、国民運動を分裂・挫折させる「可能性」「危険性」があるのでしょうか。
 もっとも村越さんの講義が『こわい考』批判に終止したわけではなく、わたしの考えに「共感を覚える」「客観的には正しい」とも、あるいは「味方であって、けっして敵てはない。仲間だ」ともいっておられて、苦衷が察しられます。しかし、村越さんはどうも、この世の中には味方と敵しかいないという善悪二元論、したがって味方を批判することは敵を利するという思考の枠組から抜けでておられないように思われます。そんなことでは「革新」政党や大衆運動の通弊から部落解放運動もまぬがれないという批評をうけることになりませんか。組織とか運動に不可避なものかもしれませんが、もうそろそろ、こんな論法から卒業してもいいころてす。批判は自由だというのなら、なおのこと。組織防衛、運動防衛の観点が強すぎると、えてして批判拒否になりがちです。実例はいやというほどあります。村越さんの意見をぜひお聞かせねがいたい。

その2.『こペる』8月号に書評二つ

 京都部落史研究所所報『こぺる』8月号は特集“『同和はこわい考』を読む”(4)として吉田賢作さん(京都新聞論説委員)の「ズシッときて、自ら省みるものあり」、八木晃介さん(毎日新聞記者)の「関係の迷宮構造」を掲載しています。対照的な文章で興味深く、いろいろ考えさせられます。(お申込みは〒603京都市北区小山下総町5−1京都部落史研究所宛。年間購読料3000円。郵便振替 京
都5-1597)。なお9月号には土方鉄さんの「まさに一本の楔−小森龍邦さんに」他が載る予定。

その3.京都新聞に対談が掲載される

 吉田賢作さんとわたしの対談「『同和はこわい考−地対協を批判する』を考える」が7月25日から三回連載されました。司会は村上弘光編集委員。対談がいかに難しいか、よくわかりました。意をつくしてはいませんが、『こわい考』執筆以後の状況をふまえて新たな意見を付け加えています。もしご希望があればコピーをお送りしますので、ご一報ください。

その4.『朝日ジャーナル』に紹介記事

 『朝日ジャーナル』8/14・21合併増大号に千本健一郎さん(編集委員)の“部落問題を魅力的に語る糸口は…「三十六計黙るにしかず」にいどむ『同和はこわい考』”が載っています。二時間半におよぶインタビューでしたが、なんとも鮮やかなまとめぶりに、前川さんもわたしも脱帽です。おかげで一般書店からの注文が増えているとか。(後掲)

《 採録 》

 『出版ニュース』'87.7/中の「新刊目次紹介」地方出版の欄に『こわい考』が短いコメントを付けて載りました。地方出版というのが泣かせます。それでも話によりますと、この欄に載るということは「中央」のジャーナリズムで注目されつつある徴候だそうです。どうでもいいことですが、人びとの関心を呼び、すこしでも議論が広まれは嬉しいかぎりです。

同和はこわい考
     −地対協を批判する−
藤田 敬一 著

 昨年、地対協(地域改善対策協議会)から「報告書」と「意見具申」が出された。これらは“戦後部落解放運動の総決算”を狙うものとして部落解放運動側はただちに抗議行動を起こした。が、被差別部落外の人々の間に地対協の報告が共感をうる「同和はこわい」という意識が根強いことも事実ではないか、と。
 二〇年このかた部落解放運動にかかわってきた著者は、差別と被差別の「両側から超える」試みの重要性を指摘し、そのために避けては通れない問題として〈部落民でない者になにがわかるか〉〈部落民にとって不利益は差別だ〉−この二つのテーゼをとりあげ検討する。後半は、前川む一(部落解放同盟京都府連合会)との往復書簡など。著者は現在岐阜大学教育学部教員。(A5判・一三四頁・八〇〇円・阿吽社
(あうんしゃ)=〒602京都市上京区寺町今出川上ル四丁目鶴山町一四・六月刊)

ひろば拡大版
部落問題を魅力的に語る糸口とは…
「三十六計黙るにしかず」にいどむ『同和はこわい考』
朝日ジャーナル 1987.8.14-21

「同和」を語る声に元気がない。魅力もいまひとつ、といわれる。そのうえ、同和はこわい、というイメージが勢いをもりかえしている。その一例は、政府の審議機関である地域改善対策協議会基本問題検討部会報告書(八六年八月)や意見具申(同一二月)にも端的にみられる。
 折も折、そんな風潮にくさぴを打ちこもうとする一書が現れた。『同和はこわい考−地対協を批判する」(あうん双書、八〇〇円)である。
 A5判でわずか一三四ページ。厚手のパンフレットほどでいかにも軽装。表現も平明だが中身は歯ごたえがある。たとえば、こんなふうに。
−(同和は)「自分の問題」「国民ひとりひとりの問題」といいつつ、実のところは、「ひとごと」のように感じているのではあるまいか。
……人はみな、それぞれの「問題」をかかえているのである。
−わたしは京都市内に生まれ育ったが、父親は愛媛県出身で、差別意識の強い人だった。……家庭がそうであるばかりでなく、京都という土地柄もあって、わたしの中に差別的偏見がいつしか根づいていった。……「同和はこわい」とのイメージは直接的体験にもとづかなくても容易に形成されるのだ。
−人びとのあいだに「(めんどうな)同和問題はふれない方がいい」「三十六計黙るにしかず」という意識が強いことも事実ではないか。
 ギクッとすること、身につまされること、つい言いそぴれていたことが、つぎつぎ繰りだされる。
 こうした意識と語り口で、著者の藤田敬一・岐阜大学助教授は二つの標的にせまる。
一つは「ある言動が差別にあたるかどうかは、その痛みを知っている被差別者にしかわからない」というテーゼ。もう一つは「日常部落に生起する、部落にとって、部落民にとって不利益な問題は一切差別である」というものだ。
 前者は被差別の体験、立場、資格の絶対化だ、と藤田氏はみる。つまりは、部落民でない者に何がわかるか、何をいう資格があるかという姿勢だ。
 後者は当初から「ハシがころんでも差別か」と揶揄されたというが、これも相手の差別的恐怖心を逆用して、相手から自分の利益を引き出そうとする事態につながりかねない。著者の批判には、同和対策事業をめぐる不祥事などの裏打ちがある。
 というわけで、部落外にはむろんのこと、部落の人びとや部落解放をめざす運動にたいしても客赦ない。
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有利有理有説をめざす
 著者の藤田氏は一九三九年生まれ。京大生として被差別部落に接しはじめ、朝田善之助氏ら運動家や部落の人びとと交わり、共に闘ってきた。
その中で彼は、同和問題というと、こわさとけがれ意識でこわばる世間を痛いほど感じた。「おつき合い共闘」や「動員」で集まる人たちをも数多く見た。なぜか。いやでも疑問がつのる。
 そこへ、地対協の部会報告書と意見具申だ。運動体は当然ながら反駁した。部落差別は時の経過とともに解消するという自然解消論、部落差別は被差別部落民に責任があるとする部落責任論、被差別部落民の自立・向上の精神の涵養を説く部落更生論に対して、である。
 藤田氏は、だが、それ以上に、地対協の発言が一般市民の共感をうる背景にまでふれた反論が少ないのに不満を抱いた。「おもてむきはどうあろうと部落解放運動への信頼、信用はこの十余年のあいだに低下したとみてまちがいない」と書きつけた藤田氏は、運勤はいま戦後最大の危機に直面している、と考えるからだ。
「これを言いだすと、思わず熱くなる」と苦笑をこめて、彼はいう。
「部落外からは、成育環境は違っても、自分らと同じ喜び、悲しみ、苦しみをもった人間がそこにいるという実感と想像力が差別意識をとかしていくのだろうし、部落内には、一人の部落民の言動が六千部落三〇〇万の人びと全体の評価にかさなるという、きびしい自覚と自立心が求められる。内と外が運動の主人と客という関係でなく、互いに働きかけ合ってスクラムを組む。ともに民衆にとって有利なことを道理をもって説得し合う。いわゆる有利有理有説という共同の営みの中で、両側から超えようとしなければ……」
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内と外との率直な応酬
 それにしても、藤田氏が被差別側を批判する舌鋒は、地対協の発言すれすれに見えるほどに鋭い。どこで一線を引くのだろう。
「向こうは部落解放運動を否定、弾圧しつつ国家主義的融和運動を進めるのがねらい。こちらは、部落の人びとや運動にぜひ、部落解放から人間解放につながる道を切り開いてもらいたいと思っている。
 運動はまず、世間のかたい表情をほぐす必要がある。そのためにはつらくとも、裸の自分を鏡に映さなくては。いまは鏡があってもカーテンをして見ようとしない。これでは気がつくと、まわりにだれもおらんようになる」
 では、「同和」を魅力的に語るエネルギーをどこにもとめるか。
「部落問題にくろうとはいないという前提で、懸命に実践し、思索している人には自由にものをいってもらう。差別は部落差別だけでなく、民族・人種差別、障害者差別、女性差別などにもつながっている。その仕組みをきちんとみる。部落差別をいったん相対化した上でもう一度、はっきり捉え直す。つまり意識の展開と収縮をくり返して、大本からより人間らしい関係をつくっていくことでしょう」
 この本のもう一つの見どころは、巻末の前川む一氏との往復書簡だろう。前川氏は部落解放同盟京都府連合会専従という、まさに運動の内部の人だ。何よりも待たれた内と外との率直な応酬が、この公開の場ですでに始まっているのである。反発、留保、ためらい。そして前川氏はいう。
「貧しさはもう御免だ。差別ももう許せない。しかし、物を要求するときだけ『部落差別をいう』心のいやしさと怠惰はもっと許せない」
 しかもそれには、重い問いが、へばりついている。「私たち被差別部落の兄弟が、肩をいからせて、世間を歩くようになったのは、一体いつからのことで、何がそうさせるようにしたのだろうか」と。
 ともあれ、八五年一二月、手書きのミニコミに刻まれたかすれがちの文字が、活字になって広く世に問いを発しだした。「私は」のあとにくる「大学の教師」「中国近代史の研究者」といった補語をとっ払って、自分がどれだけ手応えのある存在でありうるか。他人の憂さ、つらさ、人間の問題とどれだけ向きあえるか。そう思いつつ、差別・被差別を軸とする藤田氏の「自己確認ドラマ」がつづく。
(本誌・千本健一郎)

《 各地からの便り 》

その1.「活動歴や人柄を知る者から順に」

…予想されたところとはいえ、波紋の広がりの速さと大きさに目をみはる思いです。…若い人たちが読み始めているところへ、先日、訪れましたが、少々、戸惑いの様子でした。藤田さんや前川さんのような「両側からの対話」の成立を、誰にも期待するわけにはゆかないと思いました。この場合、ある程度、藤田さんの活動歴や人柄を知る者から順に、受け入れられてゆくのではないでしょうか。  …(奈良・Tさん)

 さもありなんという反応です。ある主張や意見の評価にあたって、その人物の活動歴というか、これまでの「かかわり」などが大きな要素こなることはやむをえないとも思います。先日も「書き手が藤田さんでなかったら糾弾ものだ」と笑いながら語る青年活動家に会いましたが、そうなると、部落解放運動にたいする、わたしのこれまでの「かかわり」が一つの資格となり、しかも絶対化されているようで変な気分になったものです。しかし、これはやはりおかしい。ことがらは、きわめて微妙ですが、「共同の営み」を求めようとする真摯な立場からの意見や批判には、それが誰からのものであろうと耳を傾ける「ゆとり」がほしい。わたしの考えを、藤田敬一という人間から一旦切り離して検討してもらいたいというのは、無理な注文なのでしょうか。

その2.「意見、感想を謙虚に読ませていただいています」

 朝田さんが生前私たち同盟員に常に言われた言葉の中に「部落民は最も虐げられた生活をしてきた。それだけに生きることへの知恵は部落外の人がもっていないようなものをもっており、利害には最も弱い階層である。したがって、要求をかかげた行政闘争も、部落大衆に対する功利心を誘導することから出発しているだけに、これを充分に教育しない限り、ひとたぴ誤れば利権集団や物盗り主義集団をつくる結果を招く」とあり、部落解放同盟の組織化のむずかしさを述べられていました。
 そうした意味では、今日の現状は部落解放運動、なかでも全国水平社の伝統をうけついでいる部落解放同盟にとっては、戦後最も重要な時期を迎えているといえましょう。組織の正常化や自浄化が求められてどれ程になるでしょうか。おそらく二十年程になるのではないでしょうか。にもかかわらず、いまだ組織内に一部であっても利権主義・物盗り主義者のあることを認めざるを得ません。またそうした者を生み出す土壌が、胸を張って堂々と生きる人間をつくるのではなく、肩をいからせて生きる人間をつくってきた運動側のあり方を痛切に反省せざるをえません。
 『こわい考』が発刊されて以来、関係者、識者の意見、感想を同盟員の一人として謙虚に読ませていただいています。問題提起をしていただいた先生は勿論のこと、これらの人に対して感謝しています。  …(京都・Nさん)

 わたしよりずっと先発の方からのものです。ありがたいというか、なんとも名状しがたい感銘をうけました。
 朝田さんが「功利心」(自分のための利益だけを求める心という意味)を利用して組織化をはかるよう指導なさったことは事実てすが、同時にそれに強い警戒心をもっておられたこともたしかです。ただ、その両者のかねあいに、朝田さん自身しくじられたように、わたしにはみえます。また数年前、「部落解放運動は差別と欲のともづれだ」と喝破した活動家と議論したことがありますが、「功利心」「欲」を組織化のテコとする方針に伴う危険性もさることながら、現在はテコにすらなりにくくなってきているのではないでしょうか。その辺りのことについてあらためて議論したいものです。

その3.「自縛に陥っているのは、藤田さん自身です」

 組合へは始め五冊を渡し、次に二十冊を購入することになったとき“二刷”であったのに、心秘かに喜びました。ところで、今日の二回目の学習会は、私が報告者ということで、私は以下次のような感想をのべました。「成稿一覧をみるとおり、情緒的な袋小路からの脱出の企図として、アンケートの分析という状況との対峙を続けたことにみられるように、藤田さんは誠実であり、学者である。「関係の客観性」のカ所では、自縛に陥っているのは、藤田さん自身であるだろう。関係は、対被差別部落だけではないのだから。一つひとつは客観であるところの重なりが個人であるのだから。」…踏まれた痛みはやはり解らないと思います。ただ、ハイヒールの踵であったり、金残、部落差別、男と女、金持と貧乏、学力、資本家、えん罪、……体験と想像力が補うものでしょう。想像力を、今の解放運動が、人間平等の視点から育んでいるのか?については私も考えるところですが。「崩壊させられていっている感性」(P94)の崩壊前の成性について書きとめておきたいし、宣伝したいものです。  …(兵庫・Yさん)

 小説を書く同盟員の方です。組合に『こわい考』を勧めたうえ、合評会を開いてくださったようです。Yさんは「関係の客観性」論や「痛みの理解不能」説を徹底的に一般化、普遍化することによって部落解放運動につきまとう「情緒的な袋小路」を相対化、対象化しようとされる。それも一つの方法だと思いますが、現実は、かかる「論」や「説」が、ともすれば人と人との共感、絆を断ち切り、しらけた雰囲気を生み、さらには「こわおもて行動」を誘発しているのです。わたしは、この現実から出発したい。あきませんか、Yさん。

その4.「『糾弾』を聖域に残したままのところが不透明」

…藤田さんも前川さんも「部落民が肩で風を切るようになった」ことを批判的に見ておられることは、疑問の余地がありません。そして、その原因については「特措法→モノトリ主義の横行」としておられるようです。ここのところが「クツの下から何とか…」なのです。タコ焼き屋を弟にもつMさんへの「おそれ」は、別にMさん個人の力に対してではなく、特措法(ないしは同対蕃答申)でもありません。まさに「糾弾されたらかなわない」ということ以外にありえないことは、明らかだと思います。だから議論がここまですすんだのなら、「糾弾路線は破綻した」と言うか、「差別に対する闘いには逸脱も許される」とするか、どちらしかないと思います。ただご両人とも「糾弾」を聖域に残したまま、論点を「特措法」にワープしていくところに、不透明さがつきまとっていると感じられるのです。それはともかく、『心の
あり方』として考えますと、『両側から超える』ということになります。ポクは制度として考えてみて、『糾弾の対象を限定すること』(私人・個人は糾弾ではなく、別の方策をとる)、『糾弾にデュー・プロセスの原理を導入すること』の二点に思いを巡らせています。  …東京・Uさん)

本日、第二弾が飛来。しかしスペースがなくなりました。次号に、わたしの返事を書かせてもらいます。ご容赦ねがいたし。

《 あとがき 》

*『紅風』92号に「地対室の正体みたり枯尾花−『啓発推進指針』を読む」(1)を寄稿しました。三回連載です。一読していただければ幸甚です(〒606 京都市左京郵便局私書箱45号.部落解放中国研究会宛.1部200円)。この号には前川さんの「人の優しさ/考−映画・人間展・『同和はこわい考』の日誌」(1)も載っています*『こペる』7月号の小森論文と本冊子をノートにとりながら検討された方がおられます。「きちんと討論するように」とお手紙にありました。そのつもりでおります*今号、《日誌》《お知らせ》は休みました*『同和はこわい考』通信の連絡先は〒501-11 岐阜市西改田字川向 藤田敬一です。

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