同和はこわい考通信 No.24 1989.5.27. 発行者・藤田敬一

《 採録 》
部落解放運動・1988年
師 岡 佑 行
[概観]1988年の部落解放運動は、運動のうえで競い合う大きな争点なしに終わった。部落解放運動ばかりでなく、およそ運動と名のつく社会運動が、民衆に根ざし、その人間的な欲求の実現を目ざしてきたとするならば、いかなる社会体制の下にあっても国家との対峙は避けられない。この限りにおいて、部落解放運動は、敗戦の翌年46年2 月にその再編をはかって、部落解放全国委員会を結成して以来、初めて最大の難関にぶち当たったといえる。というのは、86年の地域改善対策協議会の<中間報告書>、<今後における地域改善対策について>と題する<意見書>、87年の政府による<地域改善啓発推進指針>の提示、<地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律(地対財特法)>の制定、さらに同年10月7 日の公益法人<地域改善啓発センター>(理事長・佐藤邦雄全国人権擁護委員会連合会会長>の設置に見られるように、86年から87年にかけて、国のリーダーシップで部落問題の解決を目ざす方針と政策が、政府によって積極的に打ち出されてきたからである。いわば、国家主義的同和政策の登場である。この新しい状況に即応した運動を、部落解放運動の側は何ひとつ展開しえなかった。(略)

[基本法制定運動](略)解放同盟は、この(基本法制定要求国民)運動によって<意見具申>や政府の<推進指針>に打撃を与えたと主張するが、その事実はうかがえない。竹下内閣となって、中曽根前内閣のような声高な同和政策の提示は見られなくなったが、中曽根内閣当時に次々と打たれた同和政策は、部落に対する橋頭堡として確実に存在する。88年の政府の同和行政はこの政策に基づいて進められている。(略)

[反差別国際運動](略)

[リクルート問題]政官界はじめ各界に株券をばらまいたリクルート問題は、現代日本の政治・社会の本質にかかわる大きな疑獄である。その手は社会党にも及んでいるが、部落解放運動も無縁ではなかった。88年11月4 日秘書が株券を受けとったとして国会議員を辞職した上田卓三は、解放同盟副委員長、大阪府連委員長である。辞職について解放同盟中央本部、大阪府連は決断をたたえる声明を出したが、上田は解放同盟の役職を保持したままである。

[意見具申・啓発推進指針の支持]全解連は3月4~5日に第17回大会を開き、21世紀に差別を持ち越させないとする綱領的文書<21世紀をめざす部落解放の基本方向>の総学習、総実践を強調した。この大会では糾弾の正当性を主張する解放同盟を<新差別主義>としてそれとの戦いを呼びかけている。全解連はまた、政府側の<意見具申><啓発推進指針>を基本的に支持し、その活用を促していることにおいて、事実上国家の側に立っている。この大会の第1 分科会で、糾弾否定の方針について、すべてを公的機関にゆだねることになりはしないかとの疑義が生じた点は、全解連内部のこの姿勢に対する批判として注目される。(略)

[二つの判決](略)

[天皇制問題]88年9 月に天皇が重体におちいって以来、ことさらに天皇を重視、賛美する動向が強まった。この風潮に対して部落解放同盟は、具体的な方針を示すことなく、ようやく11月21日付の《解放新聞》が天皇制強化反対の<主張>を掲げたにすぎない。これは解放同盟が、<貴族あれば賤族あり>の見地から、<天皇、皇族などのいっさいの貴族的特権の完全な廃止>という天皇制批判の綱領をもつほとんど唯一の大衆団体として、ふさわしいものではない。これに対して全解連は10月1日<天皇賛美に反対する>と声明、報道の内容についてマスコミ各社に抗議を申し入れ、その後解放同盟が声明さえ出さないことをからかっている。

[萠芽としての動き]国家主義的同和政策の登場という80年代後半の新たな局面に対して、部落解放同盟はなんら有効な運動を展開しえず、全解連はそのとりことなっているとさえいえる。この政策は日本経済の高度成長を背景とする社会-部落の変貌を基礎としている。部落解放運動の思想、理論がこの変貌を正確にとらえることなしには、とうてい現状に有効な運動を構築することはできない。だが、戦後大きな役割を果たしてきた部落解放運動の流れには、その問題意識さえなく、歴史的使命の終わりさえ感じさせられた88年であった。藤田敬一の《同和はこわい考》(阿吽社刊)は、小冊子ながら、部落解放運動の理念、理論、運動について再検討を求め、差別の解消のためには差別・被差別の両側から越えるなどの重要な問題提起がなされている。解放同盟中央本部はこの本に対する批判的見解を発表したが、《朝日ジャーナル》上でこの本をめぐって論戦が展開し、藤田のもとに多くの人々から意見が寄せられているのは偶然ではない。7 月末に開かれた第5 回部落問題全国交流会は、この問題提起と深くかかわって開かれた。この動きは新しい運動の構築を求める小さな火だが、その将来は未知である。

コメント.
 これは『平凡社百科年鑑1988』(1989.4) の「部落解放運動」から抄録したものです。

《 阿部謹也さんの本を読む 》①
『自分のなかに歴史をよむ』
  (筑摩書房.ちくまプリマーブックス15.1988. 950円)
山 城 弘 敬(三重)
1.
 第6回部落問題全国交流会の記念講演の講師を、阿部謹也さんに引き受けていただいた。主催者の一員として、せっかく講演していただくのに、阿部さんの著書もろくに読んでいないのでは話にもならないので、あわてて何冊か買いに走る。恥ずかしいというより、阿部さんには失礼な話だが、それまで阿部さんの本は、ほとんど読んだことがない。ずいぶん前に『刑吏の社会史』(中央公論社.中公新書)を読んだことと、2 年ほど前に『中世賤民の宇宙』(筑摩書房)を読んだくらいである。『刑吏の社会史』の方は、ヨーロッパ中世の被差別民の存在の描き方に感心したものの、「ヨーロッパにも、そうした賤民が存在したのか」というところに関心が向けられてしまっていた。いわば、「知識を得た」というところで記憶がとどまっていたというのが、本当のところである。
 他方、『中世賤民の宇宙』では、少しちがう印象が記憶にあった。たとえば、「現代では1 年は365 日と決まっているが、1 年が400 日近かった時代もあった」ということを指摘し、現代人の感覚・常識・考え方で、歴史を見てしまうことの過ちを説かれていることなどは、ずいぶん身近なこととして感じたものである。それはたぶん、行政などが行う「同和教育」「市民啓発」などで、江戸時代の穢多や非人が「いかに差別されてきたのか」ということを、現在の人権感覚で説明することへの反発から来たものだろう。しかし、「大宇宙」と「小宇宙」からなる中世の人々の世界観・宇宙観の提示などは、結局自分にとって縁遠いものとしてしか受け取ることができなかった。やはり知識のレヴェルに舞い戻ってしまっていたのである。
 今回、阿部さんの著書を、そのタイトルや内容とは基本的に無関係に、つまり、阿部謹也さんという著者によって選び、読むことになった。そうした読み方によるものだろうか、あるいは、以前より少しは「気」を入れてか読んだからだろうか、以前とはまったくちがう世界が見えてきたような気がする。
 「何を今ごろ驚いているのだ」と笑われるかも知れないが、ぼくにとっては「大発見」である。こうなると悪い癖で、この「大発見」を人に伝えなくてはならない、という気持ちになってしまう。さあ、どうやって知らせようか……。

2.
 『自分のなかに歴史をよむ』は、「ちくまプリマーブックス」の中の一冊である。これには、「十代におくる書き下ろしシリーズ」のコピーがついているように、少なくとも専門書のたぐいではない。本の奥付には「中学生から」と書かれており、本当に中学生以上なら誰でも理解できる程度になっているかは疑問があるのだが、かなり多くの人が読めるような本であることはまちがいない。文体も、論理の展開もわかりやすくなっているし、おまけにルビまでふってある。これなら、ほとんどの友人に薦めることができる。ぜひ、読んでもらおう。
 肝心の内容であるが、全十章、タイトルだけでも紹介すると、第一章 私にとってのヨーロッパ、第二章 はじめてふれた西欧文明、第三章 未来への旅と過去への旅、第四章 うれしさと絶望感の中で、第五章 笛吹き男との出会い、第六章 二つの宇宙、第七章 ヨーロッパ社会の転換点、第八章 人はなぜ差別するのか、第九章 二つの昔話、第十章 交響曲の源にある音の世界、となっている。第九章の「二つの昔話」とは、ヨーロッパの被差別民と日本の部落民の昔話である。部落の方は田中龍雄さんの『被差別部落の民話』(明石書店)からの紹介と解説だ。部落問題に関心を持つぼくとしてみれば、第八章と第九章に関心を奪われそうなものだが、まったく反対であった。第一章から第七章までが、おもしろかったし、人に薦めたい部分である。どうしてそうなのかを、この本の主題にそったところで考えてみたい。

3.
 この本の裏表紙には、「なぜ日本人がヨーロッパの歴史を学ぶのか。……歴史とは過去の事件の流れを追うことと考えられていたなかで、著者が確立した新しい歴史学の方法について語る」と書かれている。ここでは「新しい歴史学の方法」とあるが、むしろ「新しい歴史学の思考方法」ではないだろうか。いずれにしても、「なぜ、(ヨーロッパの)歴史を学ぶのか」が、この本の主題と言ってよいだろう。
 この問いは、今のぼくにとって、二つの意味を持っている。一つには、部落史をはじめとする日本の歴史について、ぼく自身がそれなりに関心を持ち、学ぼうとしてきたことについての問いである。だいたいぼくは、「歴史」が嫌いだ。中学校の頃から、歴史に限らず、社会科の勉強が大嫌いだった。行きがかり上と言おうか、部落問題の勉強をやろうとすると、ある程度歴史をやらねばならないので、やってきたにすぎない。だから、「なぜ歴史を学ぶのか」とは、時折悩む、ぼく自身の問題なのである。
 もう一つは、阿部さんを「交流会」の講師にお願いしようとしたことと関連する。確かに阿部さんは、中世ヨーロッパの賤民問題を取り上げておられるが、それだけで「ぜひ、阿部さんに来ていただこう」ということにもならなかっただろう。「交流会」のこれまでの議論の流れと、「阿部謹也さん」という人との関連を「交流会」の主催サイドの一人として、ぼく自身考えなくてはならない問題である。
 そうしてみると、この本の第一章から第四章、および第五章から第七章、第十章は、一つの答を与えてくれたような気がする。もう少し考えてみよう。
 まず第一章では、阿部さんの大学生時代、恩師との出会いが中心の話題である。ここでは歴史に限らず、そもそも学問・研究ということが、自らどのように問われてきたかが、書かれている。ある意味で、決して目新しい問題でないし、「どうでもいいことだ」と切り捨てられやすい問題である。特に、ぼくのような形で部落解放運動に関係している者にとってはなおさらでもある。「現実世界に無関係な、学者先生の頭の中の世界」という形で…。
 ところがここで阿部さんの主張していることは、学問・研究をあくまでも自分自身との関わりで問い続けるということである。換言するなら、自分自身を大切にするということだろうか。いや、自分自身というより、人間を大切にしていると言っていいだろう。これは、阿部さんの数多い著書全体を通じて現れていることである。たとえば、この第一章においても、学問・研究への問いが、自身ではなく、恩師からの問いとして書かれている。きっと、阿部さん自身がこうした同じ問いを感じており、そうであればこそ、その問いを主体化できたはずだから。
 もちろん恩師に対して、敬意を払ったとも読むことができるし、それも事実なのだろう。しかし同時に、阿部さん自身の問題意識についての考察が、自分一人の内面だけで完結しているのでなく、他者との関わりのなかで深められていったということを「恩師からの問い」として表現されているのだと思う。人間の問題意識などというものはその人一人が孤立した世界に住んでいるわけでもなく、そのまわりの人々との直接・間接的な関わりの中から生み出されてくるものである。当然のようなことであるかもしれないが、このことにこだわり、「人間」というものについて、自分自身と、自分がめぐりあった人々とを大切にしながら考え続けるというのが、阿部さんの基本姿勢なのだろう。

4.
 では、その阿部さんにとっての歴史とは、何だろう。ぼくがまったく勝手に解釈すれば、「人間の差異」だと思う。もともと歴史とは、その時代の生活や社会の仕組みの差異を明らかにし、「流れ」を明らかにするものといえるだろう。しかし、阿部さんの場合、生活や社会の仕組みけでなく、そこでの人間のものの感じ方、考え方、世界観にまで立ちいたり、それと現代(日本)人との差異を明らかにすることが、一つの主題となっていると思うのである。
 「中世ヨーロッパ」を研究することは、時代も場所も大きく離れた現代に生きる日本人と、中世ヨーロッパの人々との差異を明らかにしていくことだろう。そうした差異を、どんどん明らかにし、次々とそれらの差異をひっぺがしたところに人間としての共通性が残るということだろうか。あるいは、そうした様々な差異を明らかにすることを通じて、差異を持つ人間すべてを人間として理解しようというのか。いずれにしても、そのように考えてみれば、中世ヨーロッパが、とたんに身近なものと感じてくる。また、「流れ」としてのつながりも見えてくるような気がする。
 ここでまた、行政などが主催する「同和研修」「市民啓発」を思い出す。そこで語られるのは、「同じ人間を差別してはならない」である。しかし、この「同じ人間」とは、どのように認識されているのだろう。わかりやすいのは、「職業に貴賤なし」だ。多種多様に存在する職業をひとくくりにして、そう断定しても、まったく説得力に欠ける。職業であれ、人間であれ、現実に存在する差異を無視し、「差別はいけません」では、「道徳」「お説教」以下のなにものでもなくなってしまう。
 求められているのは、「人間」「人と人との関係」をしっかり見すえ、幾度もそこから出発しなおすことではないのか。その意味では、この『自分のなかに歴史をよむ』をはじめ、阿部さんの著作は、部落解放運動の明日を模索するぼくたちにとって、きわめて示唆的である。
 なお「部落差別」という概念の拡散状況を指摘し、「何を部落差別と規定するか」を改めて問いなおそうとするのが、藤田さんの『同和はこわい考』であるが、この議論の先には、「どうして差別はいけないか」があると思う。つまり、民主主義や人権という概念を持ち出して、アプリオリに「差別はいけない」と断定しているだけでは、結論は出ないだろう。ここは一つ、「どうして差別はいけないか」を真剣に考えなおすという、「遠回り」が必要に思える。そうした意味においても、阿部さんの主張をみんなで議論することは重要だと思う。
 いい加減な紹介になってしまったけれど、夏の交流会までにぜひ読んでおかれることをお薦めする。お読みになれば、阿部さんの講演をまちわびるぼくの気持ちがわかっていただけるにちがいない。

 *阿部謹也さんの本
  『ハーメルンの笛吹き男-伝説とその世界』1974.平凡社.(ちくま文庫にも)
  『中世を旅する人びと-ヨーロッパ庶民生活点描』1978.平凡社.
  『刑吏の社会史』1978.中公新書.
  『中世の窓から』1981.朝日新聞社.
  『中世の風景』上下.1981.中公新書.網野善彦・石井進・樺山紘一との共著
  『対談・中世の再発見』1982.平凡社(選書).網野善彦との共著.
  『中世の星の下で』1983. 影書房.(ちくま文庫にも)
  『歴史と叙述-社会史への道』1985.人文書院.
  『逆光のなかの中世』1986.日本エディタースクール出版部.
  『甦える中世ヨーロッパ』1987.日本エディタースクール出版部.
  『中世賤民の宇宙-ヨーロッパ原点への旅』1987.筑摩書房.
  『自分のなかに歴史を読む』1988.筑摩書房.
  『西洋中世の罪と罰-亡霊の社会史』1989.弘文堂.
   (以上の本は近くの書店に注文すれば現在でも手に入ります。藤田)

《 各地からの便り 》
野間宏氏の提言について
S・M(茨城)
 …「文化会議」野間議長の提言③(『通信』22号)で野間氏は、被差別の側に徹底して立ちきるという。それはそれでいいと思うし、それだから、他方の「両側からこえて共同の営み」がダメだとたぶん野間氏は言っていないと思うのです。それぞれの立場で今できることを、ちょっとずつやっていくことが、いいことだと、ぼくは思うので、いきなり徹底して立ちきらねばダメだなどと言われたら、ぼくは困ってしまうから。野間氏のような考え方の人もいて、藤田氏のような考え方の人もいて、いろいろ考え方があるねーというところに、どうして落ち着かないんでしょうか。方法はひとつではないのになーと、外の人間だから言えるのでしょうか。傍観者ではないですよ、外の人間だってそれなりにやれることはやっていきたいと思っています。
 同伴も大事、相互批判も大事、両側からこえることも大切───なのだと思います。あの文章を読むと、野間氏が言ったのだから、これにしたがうべき、みたいな文意がほのみえていやですね。そういうのって、権威主義というと教わったような気がする。それと④のところで「藤田さんは…部落解放運動に深くかかわってきた人であり、決して差別者ではない」とありますが、一般的に言うと、深くかかわっていることが差別者でない証明にはならないと思います。ぼくは人間はそんなにかんたんに差別者であることからまぬがれることはできないと思っています。差別する側にいながら、差別する側にいるからこそ、思い悩むことが、いっぱいあるのだと思います。そんなにかんたんに、あなたは差別者ではないよみたいな言い方をするのは相手に対して失礼。たぶん要旨をまとめた方の主観なのでしょうけれど。まさか野間宏氏がそんなことを言うはずがないと思うから。これも権威主義ですね。
 ②で行政への批判が不十分というけれど、何をもって十分であるというのでしょうか。…解放同盟の考え方と一致すればというのではないと思いますが。…「部落解放運動に深くかかわってきた人」はイコール「部落解放同盟の立場を支持する人なのだ」という言い方にしか聞こえません。そんなこと、絶対にないですね。藤田さんがくりかえし言っておられるように、ひとりひとりの立場で、かかわってゆくことが大切なのだと思っています。──今、ぼくに何ができるかというと、ちょっとずつ勉強して、近くのひとに話していくこと以外に何もないとも。

コメント.
 3月以来、「差別とたたかう文化会議」からいっこうに応答がありません。なんとも残念ですが、待つしかないようです。またお便りをください。

《 紹介 》
*『こぺる』連載“『同和はこわい考』をめぐって”
  山本尚友「同和事業総括の一視点-戦後同和事業略史をつうじて」No.136.89/4
  灘本昌久「『差別語』といかに向きあうか」No.137.89/5
*住田一郎「部落解放運動の現在」
  (曽和信一など編『被差別の生活と文化』89/3、明石書店、所収)
*京都部落史研究所編『近世の民衆と芸能』89/4、阿吽社.

第6回部落問題全国交流会「人間と差別をめぐって」

日 時:1989年8 月5 日(土)午後1 時から6 日(日)正午まで.
場 所:京都・本願寺門徒会館(京都市下京区花屋町通り堀川西入る)
        西本願寺の北側.電話075-361-4436.
講 演:阿部謹也さん(一橋大学教授)
        「西洋中世史からみた人間と差別」(仮題)
分科会:Ⅰ.差別とわたし Ⅱ.差別とことば Ⅲ.事業で差別をなくしていいのか
      Ⅳ.解放運動の主体はだれか

《 あとがき 》
*発行が遅れましたが、元気にやっております。『通信』もまる二年。不定期の予定が、月一回というペースになり、われながらあきれるばかり。三年目からは少しのんびりやるつもりです*全国交流会で阿部謹也さんに講演してもらいますので、本の紹介を三回ほど続けます。次回は津田ヒトミさんによる『刑吏の社会史』です
*4月8日から5月10日まで、島根、京都、三重、岐阜(2) 、鳥取、福岡の7人の方から計52,220円の切手、カンパをいただきました。ほんとにありがとうございます
*本『通信』の連絡先は〒501-11 岐阜市西改田字川向 藤田敬一です。

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