同和はこわい考通信 No.23 1989.4.15. 発行者・藤田敬一

《 各地からの便り 》
その1.人間の尊厳が問われるのでないのなら
李 正子(三重)
 「通信」有難うございました。/この様な通信を発行されているご努力は実に大変なものと思います。
 私自身、…活動家?になりそこね歌読みのところでしか立つことが出来ないでおります。この様な文章をよみますと、どこか心の隅がうずく思いもいたします。
 運動家にも活動家にもなりそこねた私にはよくわからないながら、どの様な問題であれ、人間が人間として生きてゆくとは何なのか、その意味が、人間の尊厳が問われるのでないのなら知識は単なる知識としてとどまり運動理論として過ぎてしまうように思います。
 たとえば同和地区、一般地区という言葉で両者が表現される矛盾など私を苦しめてしまうのです。藤田さんはそのようなところで、この通信を発行されているのではないでしょうか。…

コメント.
 李さんは三重県上野市在住の歌人で、歌集に『鳳仙花のうた』(雁書館.1984.)があります。このお便りにも七十数首の歌が添えられていました。
 わたしは学生時代いらい、どちらかといえば“運動人間”“活動家人間”でしたから、運動や組織の中で語られる言葉に違和感はなく、むしろそれらを使って人間や社会を論じていました。
 調子がおかしくなってきたのはここ十年ほどのことです。しかし、李さんが鋭く見抜いておられるように『こわい考』の枠組みは、これまで通りの「差別-被差別」の立場、資格、側の区分け、命名を前提にしています。
 数年前、ある席で『こわい考』で述べたようなことを話したところ、高史明さんから近代的人間観に立つかぎり駄目でしょうねといわれたことがあります。その意味するところは、まだよく分っていないのですが、立場、資格、側を前提にしていては、その先は行きどまりであるとおぼろげながら感じています。
 ただ、わたしとしては「部落民」「一般民」、「同和地区」「一般地区」といった区分け、命名が不可避的にともなう立場、資格、側の固定化の危うさを認める一方、区分け、命名を支える実態があるならその実態を、もしくは実態あるものと観念させている根拠があるならその根拠を凝視したいと考えているのですが。

その2.同和教育運動の沈滞状況を前にして
S・T(大阪)
 …正直いって具体的提案や行動提起がないことに、何となくものたらなく思ったものでしたが、その後第5回部落問題交流会に参加したり「こわい考」通信を通読して、そのような具体策を性急に求める前に、自分なりに納得のいく解放運動のあり方を求め、あれこれ考えていく中で自分のできることから始めるほかないと考え直しました。……
 私は高等学校に10年余り勤務しておりますが、今年度たまたま同和主担のポストにつくことになり、市内の同研活動をはじめ部落解放研究集会や全同教大会等々にも参加しましたが(これらの出張費はすべて公費で負担してくれました)、身銭をきって出かけた全国交流会ほどのインパクトを与えてくれた集会はほかにありませんでした。同和教育運動はすでに確固とした基盤をもち量的には規模は拡大しているにもかかわらず、その内容の点で人をひきつける魅力が弱まっており、形骸化しているように思えてなりません。
 思い起こせば10年前、解放教育についての取り組みが私の勤務校でも活発に行なわれ、参加している教職員にもそのことに内面的な充実感をもたらしていたことは事実ですが、ここ数年間に急速にそのような活動が沈滞していった状況が続いております。
 私自身もその中にあって自分自身の変化(惰性化した日々)を考え、そのことを反省しているのですが、同時にこのような閉塞状況の原因は運動自体の中にもあったのではないかと思っています。その原因についてあれこれ考えてみるのですが、まだ明確にできません。大状況としては、日本社会の全般的な保守化傾向があることはまちがいないでしょうが、固有の問題としては、学校制度=公教育体制に対する批判的視点の弱さ、行政に対する過度の依存、差別の現代的形態に対する洞察の弱さ等々が考えられます。
 しかし同時にこれまでの同和教育運動において教師が被差別の生徒の状況のすべてをしょいこんでしまい倫理的責任感にさいなまれながらしんどくなっていく傾向があったのではないかと思います。教師自身がのびのびと活動でき豊かになっていく運動でなければながく続かないし拡がっていかないと思います。この点で藤田さんの“差別・被差別関係総体の止揚にむけた共同の営み”論は、運動が落ちいりがちな政治主義的傾向や倫理主義的傾向を越える視点を提示されているように私なりに感じ、意を強くしました。……

コメント.
 『通信』の読者にはS・Tさんはじめ教員の方が多くおられます。一度集まって自由に議論したいですね。次の交流会で相談しませんか。

《 採録 》
加茂 進「藤田敬一著『同和はこわい考』批判」
 (全国部落解放研究会連合・全国部落青年戦闘同志会機関誌『荊冠』第16号.1989.1. 荊冠社刊)
はじめに
 「地獄への道は善意でしきつめられている」とは、よくいったものだ。藤田敬一氏のこの著書での主観的意図は、利権主義的・経済主義的腐敗を深める解同・反動派と既成解放運動への内側からの告発であり批判であり、解放運動の再生である。しかし、こうした彼の主観的意図にもかかわらず、これがもたらす政治的帰結はきわめて反動的、かつ許しがたいものである。その政治的無責任さは、厳しく断罪されなくてはならない。(略)

1.転向者の心情
 藤田氏の著作全体を読んでもっとも大きな印象は、この著作のなかに日本帝国主義への階級的怒りと批判がまったくないということであった。こんにちの日帝の戦争国家化攻撃、国家体制、統治形態のボナパルティズム的転換の攻撃にまっこうからたちむかう戦闘的立場、そしてこうした日帝の攻撃との関連で地対協攻撃をとらえ、日帝の侵略戦争準備の攻撃の全体系と戦闘的に対決する姿勢が根本的に欠落しているのだ。(略)
 藤田氏の著作につらぬく思想は、つまるところプロレタリア人民の革命闘争はもとより、部落解放闘争への底なしの絶望感である。闘ってもダメだ、展望ないという、諦め、挫折感、消耗感である。小ブルインテリのどうしようもなく腐りきった心情であり、ある種の転向者の心理が著書全体につらぬかれているのだ。(略)
 藤田氏は左翼でもなければマルクス主義者でもない。だから部落解放闘争を帝国主義打倒のたたかいのなかに位置づけることも、階級闘争の一環として部落解放闘争をたたかうという主張も、それからそもそも帝国主義を階級的に批判することもまったくできない。そのようなマルクス主義的な問題意識がはじめからないのである。藤田氏じしんは、マルクス主義や帝国主義批判は前提であってといわれるかもしれないが、まったく前提にすらなっていない。(略)

2.没階級的な部落問題論
 藤田氏は部落問題を正しく階級的にとらえることができない。彼の部落問題論(略)には、資本主義、帝国主義の階級支配との関係で部落問題をとらえようとする問題意識のかけらもみあたらない。結局のところ講座派以下的な封建遺制論でしかない。講座派は、「封建遺制」としての部落問題を天皇制絶対主義と、その物的基礎としての日本資本主義の半封建的要素との関連で規定づけたが、藤田氏の見解には部落問題の階級的基礎を明らかにしようとする理論的、実践的な試みがまったくみられず、戦前の講座派の主張とくらべても問題にならないくらい低水準でしかないのである。ここでは“身分差別で排除されるのが部落差別である”としかいっていないのだ。これでは部落問題規定としては何もいっていないにひとしい。(略)
 藤田氏の主張のなかでは、戦前の日共ですら指摘した「資本主義による搾取の利用論」も「分断支配論」もまったく省みられず、昇天し、それらにかわって“部落民を排除するのが部落差別”などという、およそ現象論でしかない結果解釈的主張がおしだされる。これはマルクス主義の方法とはまったく無縁である。資本主義(帝国主義)体制のもとでの政治、経済的しくみを解明し、これらとの関係で部落差別がこんにちなぜ残り、どのような階級支配上の役割をになっているのかをまずまっさきに明らかにすることが、こんにちの部落問題論の常識というものであろう。“部落民を排除するのが部落差別である”ではあまりにもさみしいのである。(略)
 こういった低水準な主張ではたしかに“さみしい”のであるが、むしろもっと重要なことは、藤田氏のこの規定のなかからは帝国主義の階級支配との関連で部落問題を位置づけることができないばかりでなく、帝国主義との対決のための運動路線をまったくうちだすことができないということである。これがじつに決定的なのだ。
 部落差別とは、<日本資本主義の体制的存立と階級支配の一環としての身分的差別>である。いいかえれば、現代の部落差別とはそれを階級的基礎との関係でとらえるならば、日本帝国主義の帝国主義としての体制的存立を維持し、再生産していくための一環であり、労働者階級人民の全体にたいして階級支配を貫くための一環であり、同時に部落問題固有の内的側面からみれば、封建制社会から再編的に継承した、政治、経済的実体としての部落、封建的差別身分としての「エタ、非人」を実体として継承した<身分的差別>というように規定づけることができるのである。部落民はたしかに身分的差別をうけてはいるが、しかしそれは日本帝国主義の階級支配(つまりプロレタリア人民の搾取、収奪と人民分断)の一環としてのそれである。だから、<身分的差別=階級支配>ということであって、「身分」と「階級」の問題をそれぞれ切り離して論じることはできない。つまり、日本帝国主義の階級支配が部落民にたいして身分的差別支配という形態をとって貫徹されるということにほかならず、部落民にとって、帝国主義による階級支配、抑圧のあり方そのものが身分的差別だということになる。日本帝国主義の「階級支配」の問題と「身分的差別」の問題を、帝国主義段階論にたった日本帝国主義の特殊な金融資本的再生産構造の解明を基礎として統一的、一体的に、しかも立体的に明らかにすることによって、現代の部落差別問題の本質が解明されうるのであり、さらにまた部落解放闘争を帝国主義を打倒するプロレタリア革命闘争の一環としてたたかうことの戦略論的意義もまた、明らかなものとなるのである。(略)

3.「差別-被差別の両側からこえる」論
 (前略)「両側からこえる」論の第一の問題点は、これが日帝・地対協の攻撃への全面的屈伏でしかないということである。(略)
 いかに既成解放運動の現実への内側からの批判とはいえ、“部落民はこわい”という差別意識の原因が部落解放運動にある、だから地対協の主張が一般に共感をうる背景がある、という藤田氏の主張はどう好意的にみても支持するわけにはいかない。いや絶対に認めるわけにはいかない。こうした主張を認めた瞬間、日帝・地対協の攻撃への全面屈伏と解放運動の内側からの解体が必然化されるであろうことは明らかである。(略)はっきりいう。<両側からこえる>論の最大の問題点は、帝国主義への戦闘的批判の精神の欠如であり、政府・地対協の反動的主張への全面屈伏にある、ということである。(略)

 ママ解放運動のほんとうの危機
 「両側からこえる」論の第二の問題点は、部落解放運動の危機の真の現実をまったく見失っているということである。
 部落解放運動のこんにちの危機は、藤田氏がいうように一般的な意味で「被差別の論理」を部落民がこえられず、そこに安住するところにあるわけでも、あるいはまた一般民の活動家が解同組織のなかで「主体なき同一化」を余儀なくされて、 「随伴者」になりさがり、部落民の使い走りをさせられるところにあるわけでもない。むろん、これらの問題が重要でない、どうでもいいなどというつもりはないが、部落解放運動のほんとうの危機の現実はもっとほかのところに厳としてあるといわねばならない。藤田氏はなぜそこに目をつむるのか、だ。
 部落解放運動のもっとも深刻な危機は、じつは藤田氏のように帝国主義と真向から対決する闘いをやりぬく路線、方針、そして理論、イデオロギーをもつことができず、激しくすすむ日本帝国主義の軍事大国化、戦争づくりの攻撃、天皇制ボナパルティズム化の反動の嵐になすすべもなく解放運動が解体されつつあるというところにある。(略)

4.「被差別の論理」をいかにこえるか
 「両側から超える」論の第三の問題点は、この主張が実践的には何の力にもならないということである。抽象的な一般論としては正しくても、それだけに無内容、たたかいの実践的基準としては何の力にもならないのである。(略)
 しかし、問題意識そのものが誤っているわけではない。問題意識は間違っているわけではないが、部落民が「被差別の論理」をみずからこえていく、脱却するということが、部落民のプロレタリア的な階級的主体形成そのものを意味するばかりでなく、部落解放闘争の路線問題、綱領問題、さらには革命的前衛党の組織論、レーニン主義的な前衛党組織論と密接に結びついた問題であることにまったく無自覚なのである。(略)
 藤田氏は、みずからがよってたつ既成解放運動の経済主義と改良主義の枠の中で、路線的格闘を不問に付したままこの問題に接近しようとするから、どうしようもない絶望的泥沼のなかに悶絶せざるをえないのである。既成解放運動の土俵のなかでは出口はないということに気づくべきだといっても無理であろうか。(略)
 藤田氏は“部落差別は部落民でないとわからない”論と“部落民にとって不利益は差別である”論という戦後解放運動のなかでつくられた二つのテーゼが「部落排外主義」「部落第一主義」を生みだし、その結果①部落民の被差別体験、資格・立場の絶対化、②他者への冷淡さ、③部落民の自己正当化、人間的弛緩などの諸現実が解放運動のなかに生みだされたのだという。これが解放運動のすべてだとはいえなくとも、こうした現実が深刻な矛盾、既成解放運動の解決不能な問題として存在することは明らかな事実である。だが、この事実を解放運動の現実としてはっきり対象化すると同時に、他方でにもかかわらず、このような現実をこえて戦闘的にたちあがろうとする部落大衆が広範に存在することも、また冷厳な事実なのである。解同・荒本支部を中心とした全国の闘う三里塚勢力と、それを支える広範な部落大衆の闘いこそ、何よりの証左である。(略)
 部落差別の根源が日本帝国主義そのものにあり、部落解放闘争の究極目標が部落民の人間的解放にあるいじょう、部落解放闘争は帝国主義打倒・プロレタリア革命のもとに統一されてたたかわれなくてはならない。(略)部落民と部落解放闘争は、プロレタリアートをはじめとした全人民の人間的解放の事業をまずもってみずからの基軸的な課題としなくてはならないのである。部落解放闘争の独自の課題の実現のためだけでなく、部落民の「個別利害」をこえて、帝国主義打倒・プロレタリア革命という全人民的普遍的利害の実現を部落解放闘争の基軸にすえるということである。まさに「プロレタリアートの解放なくして部落解放なし」である。(略)
 結論をいう。部落解放闘争を帝国主義打倒・プロレタリア革命の綱領、路線のなかに位置づけてたたかう展望を明らかにすることなくして、決して「被差別の論理」を実践的に克服する道すじを明らかにすることはできない。(略)実践的には三里塚闘争を部落解放闘争の基軸的課題とすることをめぐって、部落民のプロレタリア革命の主体としての形成を強力におしすすめていくということである。(略)藤田氏は、「被差別の論理を超える」という、それ自体としては間違いではない問題意識、つまり部落民の階級的主体形成にかかわる問題を、部落解放闘争の路線問題として定立しえなかったところに彼の破産性があらわになっているというべきである。(略)
 帝国主義打倒・プロレタリア革命の旗をかかげた三里塚・反帝狭山闘争の勝利の道すじ以外に解放運動の進むべき道はないことがいよいよ鮮明なものとなってきた。日本帝国主義の危機にかられたものすごく激しい軍事大国化・ボナパルティズム反動のもとで、いよいよ解放運動もまた、レーニン主義の革命的祖国敗北主義を掲げた革命派と、天皇制融和主義を旗印にした祖国防衛、戦争協力派との本格的な闘い、解放運動と日本革命の未来、日本人民の歴史を決するたたかいが開始されようとしているのである。(略)

コメント.
 全文1万6千字から抄録しました。『荊冠』は革命的共産主義者同盟全国委員会、いわゆる中核派の部落解放運動分野の団体が発行している不定期刊の機関誌です。
 ところで加茂さんは「<差別-被差別の両側から超える>なる珍無類の観念的主張」と評しつつ、「問題意識そのものが間違っているわけではない」とも述べ、また二つのテーゼとその結果に関して「こうした現実が深刻な矛盾、既成解放運動の解決不能な問題として存在することは明らかな事実である」と指摘しておられる。あれこれの政治論議はともかく、部落解放運動の現状と課題について議論しうる余地は残されているように思いますが、どうでしょう。
 なお加茂論文には「中研グループの無惨な破産」との副題がついています。中研とは部落解放中国研究会を指し、前川む一さんとわたしとの往復書簡がその機関誌『紅風』に掲載されたことは『こわい考』でも明記した通りです。しかし『こわい考』は、あくまでもわたしの考えをまとめたもので、その責任はすべてわたしにあり、部落解放中国研究会とはなんの関係もない。かりに『こわい考』がその理論、思想の面で無惨な破産を示しているとしても、その責めはわたし個人に帰せられるべきです。個人を論じて他に及ぶのは自由ですが、節度を欠くと、とんだ見当違いを犯しかねません。
 聞けば派閥争いだという批評もあるとか。そんな次元で議論しているのでないことは、よく読んでもらえば分っていただけるはずです。
 『荊冠』の連絡先は〒577 東大阪市荒本862-2.荊冠社まで。

《 紹介 》
☆山本尚友「同和事業総括の一視点-戦後同和事業略史をつうじて」上
 (『こぺる』No.135.89/3、連載『同和はこわい考』をめぐって・9 )

《 第6回部落問題全国交流会のご案内 》
 今年も全国交流会を開きます。詳しくはおってこの欄でお知らせしますが、とり急ぎ日時と場所を案内させてもらいます。

★日時  :1989年8 月5 日(土)午後1 時から6 日(日)正午まで。
★場所  :京都・本願寺門徒会館(京都市下京区花屋町通り堀川西入)
          西本願寺の北側.電話075-361-4436.
★講演  :阿部謹也さん(一橋大学教授.西洋中世史)

《 あとがき 》
*三月末に島根県の木次町へ出かけてきました。伯備線の車窓から眺める大山は雪が少なく、いつもの厳しさに欠けるところはあったものの、雄大でした。伊吹山もいいけれど大山もなかなかのものです
*21号に採録した『日本を考える』誌は、例の「よど」号事件(1970.3)の人びとによって平壌で発行されている季刊雑誌です。編集委員会代表は田宮高麿さん。今号の『荊冠』と同様、『通信』の読者が送ってきてくださいました。これからも『こわい考』をめぐるニュースがございましたら、お知らせくださるようお願いします。よろしく
*まもなく米田富さんの一周忌がやってきます。「理屈と膏薬はどこにでもつくもんですわ」といった警句をスパッとおっしゃるあの間合いの妙にはいつも感心させられました
*差別意識論研究会は山城弘敬「差別概念の拡散状況について」(4/15)、師岡佑行「天皇制と新保守主義」(5/20)、嵐清治「解放運動の主体は誰か」(6/10)と続きます。参加者10人あまりのこじんまりした会で、終わったあとの一杯がまた楽しい。ぜひお出かけください
*3月14日から4月3日まで、京都(2)、大阪(3)、兵庫、三重、岐阜の8人の方から計31,280円の切手、カンパをいただきました。ありがとうございます
*本『通信』の連絡先は〒501-11 岐阜市西改田字川向 藤田敬一です。

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