同和はこわい考通信 No.168 2005.10.16. 発行者・藤田敬一

 『こわい考』をめぐって 

大きな思想史的流れに位置づける
黒川 みどり
 いつも通信をお送りくださり、ほんとうにありがとうございます。そして過日は、通信に、私が『解放新聞』のインタビュー(05/5/23)で『同和はこわい考』に言及させていただいたことや、拙著『つくりかえられる徴(しるし)』(解放出版社)で述べさせていただきましたことについてご返答くださり、ありがとうございました。うれしく拝読させていただきました。すぐにお礼を申し上げるべきだったんですが、たんなるお礼ではなく、それに私もお返事しようと思って意気込んだのがまちがいで、雑事も重なり、今に至ってしまいました。失礼をお許しくださいませ。
 改めてご指摘に気づきましたが、もうずいぶん年月が経ちますのに、まったく論究がなされないで推移してきたのですね。私は、藤田さんの『同和はこわい考』による問題提起は、部落史、あるいは部落解放思想史上の一つの事件だと思うのですが、たいへん残念なことです。『解放新聞』で採り上げられたといっても、たまたま私が話したから掲載されたというのでは、少々悲しいですよね。
 「部落民とは何か」の件ですが、おっしゃるとおり、藤田さんが、実態が変わってきたから、それを目の当たりにしてその問いを発せられたのではないということは、よくわかっています。「何か」と「誰か」を一色たにしてしまうのも正確さを欠いており、ご指摘の通りだと思います。ただ、思想史的な流れのなかにあえて位置づけるとすれば、この時期にそうした問いが出てきたこと − もちろんそれぞれもっと以前から考えてこられたことなのだと思いますが、それが世に問われるということ − は、そのように位置づけられるのではないかと思い、あのように書きました次第です。やや乱暴な整理かもしれません。
 それから、「明確な展望を出していらっしゃるわけではない」などといった注文がましいことを申し上げ、申し訳ございません。誰も展望を明確に打ち出している人はいないと思いますし(かえって確固たる方向性が出されることもこわいと思います)、そのようなものが容易に提示できるとも思っていないのですが、問題提起が革新的であっただけに、その次を求めてしまい、あのような注文をつけさせていただきました。
 私には、今もって、本が出されたときに読んだある種の感動が忘れられません。部落問題の議論にやや辟易
(へきえき)していたときで、どれを読んでもなかなかおもしろいものに巡り会えず、失望していたのですが、やっといい本に巡り会えたという思いでした。そのような本であるだけに、何とかそれを思想史上の文脈に位置づけようとしてきましたし、これからも、部落問題の戦後史を書くことがあれば、『同和はこわい考』は、私のなかでははずすことのできない大きな位置を占めていくと思います。そのことは、おわかりいただでけましたらうれしいです。(下略)
 いつかお目にかかれます機会がありますことを、楽しみにしております。どうぞくれぐれもご自愛ください。2005年9月6日

コメント.
 黒川さん(静岡大学教育学部)のお許しをえての掲載です(見出しと文中の補記は藤田)。ところで実をいいますと、黒川さんとはお会いしたことがないんです。いつぞや静岡県浜岡町へ出かけたとき、同じ時間帯に同じ建物に居合わせたそうですが、すれ違いになりました。だからお顔も存じ上げず、『解放新聞』の写真ではじめて知ったくらいです。「いつかお目にかかれます機会がありますことを楽しみに」は、わたしの願いでもあります。
 さて、黒川さんは『こわい考』を部落解放思想史上に位置づけたいとおっしゃる。わたしはいまだかってそのような発想をしたことがないので、ちょっと面食らってしまいます。歴史を勉強してきたはずなのに、こと部落解放運動となると、どうも時間の流れにそって考えるより、共時的に、つまり時間軸をこえて一緒くたに考える癖があるらしい。だから全国水平社創立期の人びとや戦後部落解放運動をリードした人びとの思想は、わたしにとって過去のものではなく、いまも格闘の対象です。高橋貞樹がそう、朝田善之助がそう。ただ部落解放中国研究会『紅風』の編集をしていた70年代中ごろから80年代初頭にかけて『こわい考』の原点になる文章を書いていたとき、これが将来、議論の対象にならないのなら部落解放運動は必ずダメになるという確信はありました。あれから二十数年、わたしの確信は現実化しつつある。その意味で、わたしの思索と実践は時間に検証されているともいえます。人は、やはり時間から逃れられない存在なんですね。

《 再録 》

第32回奈良県部落解放研究集会(9/3〜9/4)から
 ○第2分散会「地域共同体の再生」 − 報告者 藤田 敬一
 地域共同体の再生。なんとも言葉が硬い。聞きなれないという人もおられるはず。しかし「NPO たすけあい佐賀」の西田京子さんは、それを「遠くの親類より近くの他人」という古いことわざで表現した。江戸時代からあるらしいこのことわざには、隣近所での相互扶助、たすけあいの習慣が生きていた時代が背景にある。わたしの住む岐阜県には世界遺産に登録されている白川郷があり、茅葺き屋根の葺き替えには村人が総出で働く。アメリカ合衆国に住むアーミッシュの人びとも同じ。相互扶助を結(ゆい)という。結とはつながりのこと。結納はそこからきているとか。しかし、都市化の波は「隣は何をする人ぞ」、無関心と無関係意識を生むことになる。それが極点にまで達したのが、今日ただいまの状態だ。そこで、「地域共同体の再生」が課題として浮上する。基本は地域の相互扶助、結の再生・蘇生である。
 第2分散会は、この課題とまっすぐに向き合うグループから話題を提供していただいた。佐賀の西田さんからは、知り合いのいない土地に来ての心細さをバネに、目の前で苦しむ高齢者をなんとかしてたすけたいという願いから、「宅老所」を11年前につくる。「はじめちゃいました」という言葉のうらには想像をこえる苦難があったはずだが、それを感じさせない軽やかさが印象的だった。「ひまわりの家」の渡辺哲久さんは、三宅小学校の教員がはじめた障害者福祉作業所の経過と課題を語りつつ、地元の言葉「ほどらいに」、のんびり行こうという合い言葉の意味をたどりつつ将来の希望を語ってくださった。川西町子育てサポーターの柳林和美さんは、知り合いのいない孤独感にさいなまれ、「密室の育児」に悩む中で、ご近所の方から声をかけられたことに救いを感じた体験から、次第に育児中の母親同士の触れ合いと会話の大切さを学び、それをまわりに広げたくなったいう。「NPO なら人権情報センター」の森田明美さんは、「老人指導員」という堅苦しい肩書きとは関係なしに、認知症の高齢者と向き合うことから学ぶ日々を語ってくださった。
 話題提供のあと議論になったのは、まず第1に法律や制度のことだった。法依存、制度依存に陥った部落解放運動の苦い経験がこのような危惧を生むのだろう。しかし法律や制度に縛られる部分とそこからはみ出す部分とがあり、はみ出した部分が縛られる部分を包み込む力量があるかどうかが問われているのではあるまいか。第2はボランティアをめぐる、いわゆる有償と無償の問題。この国には「贈与と報酬」の文化が根づいているから、無償は気高く、有償はけちくさいと感じやすい。しかし有償と無償にはそれぞれ利点もあれば欠点もある。大事なのは、有償・無償に関係なく「人間の問題」として正対できる感性だろう。第3は、人と人との関係の問題だ。それは、まわりの人びととまっとうな人間らしい関係をどうつくってゆくかという問題でもある。全国水平社創立大会の宣言は「勦
(いたわ)るかの如き運動は、かえって多くの兄弟を堕落させた」という。しかし相手を勦る人も相手から勦わられる人もともに人間としてダメになる。「まっとうな人間らしい関係」とは何か、自分の言葉で語りはじめるしかないのだろう。
 「地域共同体の再生」。言葉は魅力的である。だが、地域共同体とは何かの議論はまだ半煮えのままだといえる。地域そのものが見えてこない。そして地域共同体の「毒」を見据えた議論も必要だ。「うるわしい地域共同体の再生」を語るだけではすまない問題が、そこにはある。近代的個人主義を含みつつ新たな共同性、人間的連帯の「交感・共感・同感」体験を回復する試への模索がはじまったことを第2 分散会の議論はしめしていたのではないか。

 ○「全体集会」のまとめ − 報告者 藤田 敬一
 「奈良県部落解放研究集会」と銘打った集まりで、部落解放の課題が中心テーマとして語られないのはどうしたことかといぶかしく思っている人が参加者の中におられてもおかしくはない。それを示したのが全体集会でのある方の質問だった。 「基調提案には『部落民にとって部落問題は喫緊(きっきん)の課題ではなくなった』とあるけれども、第3分散会の討論趣旨には『昨年の児童誘拐殺人事件のとき“犯人は生駒谷筋の部落にいる”という噂が流れたそうです。また解放同盟の活動家宅に“ここらへんに変な人ばかり住んでいるところはないか。動物虐待は頻発していないか”と取材にきたマスコミ関係者もいました』とある。そこには矛盾があるのではないか」。/山下 力理事長は「部落差別は存在する。しかし部落民にとって、それは喫緊の課題ではない。部落民だけでなく、まわりの人びとの中にも、そのような偏見にもとづく噂に立ち向かう力量がしっかりとはぐくまれてきているからだ」と答えた。「喫緊」とは、ある辞書によれば、「〈大切〉の意の漢語的表現。喫緊事:急を要する大事なこと」とある。要するに「差し迫った重大事」という意味だろう。「部落民にとって部落問題は差し迫った重大事」ではなくなったのかどうか。これは本集会の隠れた最大の課題ではなかったかとわたしは思う。
 この質問には「部落差別とは何か。その実状はどうなっているか。その解決への道筋は何か。そもそも部落問題の解決とはどういうことか」という問いがふくまれている。「解放令」から134 年、全国水平社の創立から83年、同対審答申から40年、同和対策事業特別措置法の施行から36年。多くの人びとの努力と協力によって部落問題をめぐる環境は大きく変わった。にもかかわらず、偏見に満ちたマイナスイメージは消えていない。なぜこういう事態が起こっているのか。真剣に物事を考える人なら、この問いに苦慮するはずだ。もし苦慮しないというのなら、その人は極楽トンボである。そしてそれは部落問題が「部落民」個々人にとってどのような意味合いをもっているか、部落問題と向き合う生き方とはどういうことであるかを、それぞれの内面で考えることの大切さをも示唆している。それを不問に付すかぎり、相も変わらぬ告発主義に陥るしかないだろう。
 本集会の基調提案は、「わが内なる『差別性』、わが内なる『異常性』、わが内なる『悪』を凝視せよ!」という。それは「被差別の立場」に安住するなという呼びかけであり、「被差別正義」からの脱却を訴えるものでもある。そのためには、「被差別部落に起こっている現象を被差別部落特有のものだ」とする「特別枠的」発想を一旦は捨て、現代日本社会に普遍的な問題として受けとめる感性と想像力がもとめられているということだろう。換言すれば冤罪事件は「狭山」だけではないのに「狭山」にしか関心が向かず、少数者が標的にされやすい権力犯罪としての冤罪事件に無関心であることのおかしさに気づかないのと同じである。部落解放運動が「特別化」に取り込まれているかぎり、「交感・共感・同感」の生命体験が生まれないのはあたりまえだ。
 いま奈良県連が模索しているのは、課題をできうるかぎり普遍化・一般化し、そこからもう一度部落問題に回帰してゆく道ではないだろうか。それはおそらく多くの人びとにとって迂遠、遠回り、はぐらかしに見えるかもしれない。だが「急がば回れ」というではないか。人間であること、人間としての苦しみ、悲しみに心を振るわせることなくして、どうして「人間解放」を語れよう。
 大言壮語の時代は終わった。体験を盾に人に迫るのではなく、体験を経験に変え、経験を共有できる人びとの輪を広げる先にしか「部落解放」の道はない。(『なら解放新聞』05/9/25 。一部補訂)

コメント.
 奈良県部落解放同盟支部連合会(山下 力理事長)の研究集会に、はじめは記念講演の講師として、その後は1 日目の分散会と2 日目の全体集会のコーディネーターとして参加して十数年。こじんまりしたこの研究集会(参加者は2 日間でのべ1200人、つまり1 日平均600人)のいいところは、参加者の姿勢がやわらかいことです。そこから、人の話にじっと耳を傾ける雰囲気がうまれてきてあたりまえ。午前中は満席だが、午後からは閑散とするどこかの研究集会とはひと味もふた味もちがう。
 全横浜屠場労働組合のみなさんと知り合いになれたのもこの研究集会のおかげです。昨年、労組代表の発言に触発され、「屠畜解体作業は、いのちの橋渡し」「動植物のいのちによって生かされてあるわたしたち」という視点に気づき、それをある高校で話したところ、父親が食肉センターにつとめる女生徒が父親の仕事に誇りをもつことができたと感想を書いてくれました。「藤田さんの話を聞いてから食べ残しをしなくなりました」と書いた中学生もいます。小さくても中身のある研究集会は魅力的で、岐阜から出かける甲斐があるというもの。

《 各地からの便り 》

○先日は真宗大谷派東別院で話を聞かせて頂き有り難うございました。私が中学3年生(1985年)の時に、文化祭で『峠を越えて』というタイトルでクラス発表しました。これが「同和」という言葉を知った初めです。その時の思いは、変えられないこと・どうしようもないことで差別するのはよくないということです。その時のクラス目標が「何でもいいあえるクラス」であり、相手がどう思おうと自分の思っていること・本音をいい、お互いの意見をぶつけあうことが大切に思えるようになり、今日まで来ています。しかし大人になって「誰々はこういった、誰々はこういっている」と人の意見を引用する人が多くて、自分の思いを自分の言葉で語る人が少なくなったと思うようになりました。批判されるのがこわいという人が増えているのでしょうか。そんな中で、「わたしから出発して、自分の言葉で考え、表現する」とおっしゃるのを聞いて嬉しく思いました。大人であれ、子どもであれ、いちばん大切なことだと思っています。(略)藤田先生が、思ったことをズバリいってくれることが嬉しいです。またやさしい言葉で話してくれることがいいです。
 「被差別部落に住む者には、差別される痛みはわかるが、そこに住まない者にはわからない」「差別された苦しみは本人しかわからない」と聞きますが、そこには、「口をはさむな」という気持があるように思えてならないのです。「それはそうかもしれないが、私があなたの立場だったら、もしあなただったら、こう思う、こう考える」といえると思っています。仏教、とくに真宗においては聞法
(もんぽう)ということをいいます。だから、お互いにいいあいたいのです。そして輝く生としたいのです。   (岐阜 A・Aさん)

コメント.
 1年前のお便りです。『通信』の発行がとぎれるうちに紹介する機会を逸していました。わたしは「〜〜しあう」というのが好き。「言いあう」もそのひとつ。いま講演で語りかけているのは「生きあう」ということ。この言葉、次第に広がりつつあるようです。

○先日はお話を聴かせていただきまして、ありがとうございます。ご講演の中味については、普段、『こぺる』やHPなどで拝見していることなので、ああ、こういう文脈でお話になるのか、など構成の仕方などに感心するという、演者にとっては、あまり歓迎したくない聴衆であったと思います。
 ただ、私がすごく驚いたのは参加している教職員の方々の何とも言えぬ空気の重さでした。今までに一度も経験したことのない「かたくなさ」でした。藤田さんは「海千山千」(ごめんなさい)で、心をなかなか開かないという場を何度も経験してこられたでしょうけど、今回は、ちょっと特別だったのではないでしょうか。
 しかし、いつまでたっても「かたくなさ」を崩さない様子を見ていて、だんだん腹立ちを覚え、藤田さんに申し訳ないと感じていました。
 でも、さすがに藤田さんのお人柄、徐々に聴き入る人も増えていき、最後には、みなさん、感謝の気持ちを持つことができたように思います。
 「学校の先生は忙しすぎる。夏休みぐらいは十分休んで、その間に、様々な文化にふれて充実した人間として、またそれを子どもたちに返していくことの大切さ」を語ってくださった時、聴衆の心が完全に開かれたのではないでしょうか。でもその時、ここに共に連なっている人たちに対して腹立ちを感じた自分を恥じました。(略)これで、「藤田敬一」という人格に興味を抱いた人たちは、確実に増えたのではないでしょうか。
 ご講演の中で印象に残ったことをいくつか。一つは莉子ちゃんに猫をなでるというしぐさを伝えたというお話。私は「なでる」というしぐさが、後天的なものであるということを知りませんでしたが、考えたら、そういうこと(大人が子どもに伝えるべきしぐさや行為)は多分いっぱいあって、その延長には、しつけや道徳というものがあるのだろうけれど、その前段での皮膚感覚みたいなものを十分、乳幼児の段階で体験させることが大切なのではないか、それが「生きる力」(私はこの言葉が嫌いではないので、そのまま使います)の土台になるのではないか、などなど考えてしまいました。
 もう一つは中坊氏のお話だったと思いますが、「庶民の持つ責任感、責任観」について。森永ヒ素ミルク被害は、私の乳幼児期と重なるので、他人事とは思えません。私の母ももしその立場だったら、会社ではなく、飲ませてしまった自分を責め続けたことでしょう。特別に教養のある人間ではなく、本当に一般の庶民として、兄と私を最低、「人様に迷惑をかけない人間」となすべく、種々様々の「ことわざ」(庶民のかろうじての教養)を駆使して育ててくれたことを思い出しました。時には「善は急げ」と言われたり、時には「急がば回れ」と教えられたり、その局面々々で微妙に使い分け、そこに大人の賢さとズルさを垣間見ることもあったな、などなど。何だか変な感想になってしまいました。すみません。
 ご講演後、拝顔させていただいた時、なんともフレンドリーな藤田さんのご表情を受けて、私は、またびっくりするくらいうれしくなりました。なんと壁のない人なのだろう。私なんて鉄壁だらけなのに。でも少しずつ変われるかもしれないな、と最近、思いはじめています。最後に、私も相田みつおや金子みすゞも読まないし、冬のソナタも見たことがありません。ティラミスもナタデココもマンゴープリンも、流行ものは絶対食べないという頑固者ですので、藤田さんに勧められても金子みすゞは読みません(ごめんなさい)。   (大阪 S・Yさん)

コメント.
 9月7日(水)、大阪市の矢田北小学校で開かれた「05東住吉区人権・同和教育講演会」で、阿倍野区・東住吉区・平野区の教員たち360人に「よく生きあう−矢田で学んだこと・これからの人権教育」と題して1 時間半、話をさせてもらったのですが、参加者が予想外に多かったとかで担当のYさんがいたく満足げな顔をしておられたことが忘れられない。たしかにAさんのおっしゃるとおり、はじめは反応が硬く、最前列で堂々と居眠る人もいたけれど、それはきっと「仕事疲れと緊張と研修馴れ」のせいだと心得て講演を続行。それがよかったみたい。それに眠っている人を起こしても仕方がない。体が起きても心が起きないのなら意味がない。「橋のかかっていない川の向こうに逢いたい人がいるなら、逢いたいと願う者が逢うための工夫をするしかない。それと同じように、話を聞いてほしいのなら、聞いてほしいと願う者が聞いてもらえるように努力するしかない」。これが、講演歴三十年の結論です。ちょっとカッコよすぎるかな。

《 川向こうから 》
ご無沙汰しました。4か月ぶりの発行です。わたしは相変わらず元気にやっています。活力のもとは、プールと山小舎ぐらし、小学1年生から80歳代までさまざまな人びとと出会う講演と例の水、そして孫の莉子(りこ)や16匹の猫たちとの「いのちの交感」。そうそう、先日、ウイスキーの水割りをパソコンに飲ませてしまってね。お酒に弱いパソコンのこと、すっかり酔いつぶれちゃった。おかげでホームページの更新もインターネットのメールも不可能に。でも、のんびり、ゆっくり人と向きあう時間がもてたことは僥倖でした。即時即応のやりとりがなくなるとかえって想像力がかきたてられるらしい。一度、試されては如何。アッハッハ。
秋にしては暖かい日が続いています。まだTシャツを着用中。地球温暖化ではなく高温化だという誰かさんの指摘が思い起こされます。この分では、山小舎の秋の訪れはまだずっと先のよう。9月23日から25日まで出版社関係の友人など十数人が山小舎に集まり、愉快なひとときを過ごしました。円原川は水量が激減。友人たちの釣果はゼロでしたが、それもまたよし。
6月13日から9月29日まで大阪、三重、岐阜、兵庫、京都、愛知、島根の20人から計92,340円のふみカード、切手、カンパをいただきました。ありがとうございます。支出は郵送費(167号など)とルポ修理費の計48,595円でした。本『通信』の連絡先は〒501-1161 岐阜市西改田字川向 藤田敬一(E-mail<k-fujita@h6.dion.ne.jp>,郵便振替<00830-2-117436 藤田敬一>,ホームページ<http://www.h7.dion.ne.jp/~k-fujita>)です。(複製歓迎)

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