同和はこわい考通信 No.166 2005.4.11. 発行者・藤田敬一

《 近況あれこれ 》

ご無沙汰してしまいました
藤田 敬一
 お久しぶりです。お変わりございませんか。  わたしは相変わらず。各地に招かれて話をさせてもらうなど充実の日々を送っております。他事ながらご休心ください。
 さて、あれよあれよというまに『通信』発行を1 年間も休んでしまいました。心配をおかけした向きもあったかもしれません。もともと勝手に発行して勝手に送りつける、文字どおりの「私(通)信」ですから、発行しないからといって文句がくるわけではないので、それをいいことにノホホンとしていたというわけです。体調はいたってよろしい。昨年11月、風邪をこじらせて肺炎になり、点滴しながら講演を続けるというミスをおかしましたが、インフルエンザの予防注射のおかげもあってか、その後はまったく問題なし。体重も54キロ台をキープ。これはスポーツクラブでの鍛錬の成果です(アッハッハ)。最近では、水泳のほか、ウオーキングマシーンで汗を流し、バランスボールを楽しんだりしています。
 ところで『通信』休刊の理由ですが、自分でもよくわからないんです。一昨年6月にスタートした「ホームページ」の世界にのめり込んでいたことは確かです。日記「川向こうから」に、講演先での出会いについて書いたり、話を聞いてくださった方の感想を抄録したり、あるいは読みたての本や新聞記事などを紹介しながら短いコメントをつけたり…。早くて2 週間、遅くても1カ月ごとに更新する「ホームページ」にはリアルタイムの通信という性格があり、その魅力に取り憑かれて『通信』へ向かうエネルギーがそがれたのでしょう。
 それはともかく、こうして『通信』を発行しようと思い立ったのにはわけがあります。ひとつは、先日、大垣で友人たちと一杯やっているときに聞いた話。「カンパを送らないから郵送を打ち切られたと思ってました」とのこと。これには正直いってまいりましたね。「ちゃうんです。ただ発行しなかっただけです」と弁明におうわらわ。「そんな誤解を生んでいるとしたら、これはいけない」と思った次第。 もうひとつは、先ほど書いたように「ホームページ」はリアルタイムである、つまり即時性、同時性という特徴があるけれど、「顔の見える呼応の関係」をじかに感得できる『通信』も捨てがたいと気づいたこと。
 それに、年長や同輩の友人のなかにはインターネットを使わない人が多く、『通信』がわたしとの重要なコミニュケーションの媒体で、『通信』を出さないと年賀状と暑中見舞いだけのやりとりになりかねないということもある。
 そんなこんなで時間的に余裕のあるこの時期なら発行できるだろうと考えました。 「発行しまーす!」と大垣で酒の勢いを借りてぶち上げ、ついで『こぺる』の総会で表明、さらに「ホームページ」上でも宣言しました。こうして自らを縛り、追い込む。いつものやり方です。そうはいっても、気まぐれなわたしのこと。いつなんどき発行が止まるかもしれません。そのときは平にご容赦ください。(05/4/11 記)

採録

○同和問題をあらためて考える − 仕事と人権感覚
  (日本郵政公社近畿支社人権啓発室『みちしるべ』141,04/11)
人権擁護委員 藤田 敬一

1. 私と同和問題との出会い

 思い起こせば、この世に同和問題が存在することをはじめて自覚的に知ったのは、 1958(昭和33)年のことでした。もちろん、それまでに体験したことはあったのです。戦争末期の1945(昭和20)年春、疎開先のお家がいわゆる被差別部落出身の人だということで腕白坊主たちから石を投げつけられ、4 歳年上の姉は防空壕に入れてもらえなかった。しかし、この体験を私も姉も経験にできなかったのです。体験と経験は違うんですね。体験は五感による感知、経験は事象との対話と思索による認識です。おそろしいことですが、偏見を抱いていた父親が「うちの家は、そんな仕打ちを受ける家ではない」と教えたとたんに体験そのものを忘れてしまった。また中学3 年生のときに島崎藤村の『破戒』を涙を流しながら読みましたが、涙がとまり、涙がかわくと、たんなる知識としてだけ残ったというわけです。
 大学1 年のとき、新聞記事がきっかけで「同和問題ってなんだろう?」という疑問がわいたものの、そのころは書店にコーナーがあるわけでなく、身近に答えてくれる人もいませんでした。たまたま古本屋の店先にあった月刊誌『部落』をたよりに部落問題研究所を訪ねたのが58年の6 月のこと。応対してくださった男性は、私の目を見つめながら「部落問題を勉強するには、本を読むことも大切やけど、とにもかくにも未解放部落へお行き。そこで人びとの暮らしぶりを見て、人びとの思いや願いを聞かしてもらうことが肝心やよ」と諭すようにおっしゃりながら名刺の裏に紹介状を書いてくださいました。その方が木村京太郎さん(当時、部落問題研究所常務理事、部落解放同盟中央本部会計。住井すゑ『橋のない川』の主人公・畑中孝二のモデルといわれる)で、紹介状をもって朝田善之助さん(当時、部落解放同盟京都府連委員長、中央本部常任委員)宅を訪れたのが7 月中旬。それから46年がたちました。

2. 同和問題の解決に向けて

 この46年を振り返りますと、なんとも感慨深いものがあります。ご承知のとおり、 同和問題の解決は国の責務であり、国民的課題だとする同和対策審議会の答申が出され(65年)、続いて同和対策事業特別措置法が施行され(69年)、それから2002(平成14)年3 月までの32年間、「実態的差別とされてきた環境・仕事などの改善を図る事業」と「偏見・差別意識の克服をめざす教育・啓発」が、多くの人びとの努力と協力のもとに進められ、大きな成果をあげたことはまぎれもない事実です。そして、こうした同和問題解決のための取り組みが人権思想の普及と深化に果たした役割は大きいものがあります。
 では、同和問題はもう解決ずみ、終わったのでしょうか。そうではありません。まだまだ偏見の眼差しで同和地区といわれてきた地域に住んでいる人びとや、かつて住んだことのある人びととその子孫を特異視・特別視する偏見はなくなっていないのです。以前ほどではないにしても身元を調べる人がいたり、偏見にみちた言動をする人がいます。落書きやインターネット上での差別的な書き込みがあとをたたない。暮らしや仕事の中で「思わず、ふっと、なにげなく」もらす差別的な発言も多いといわれています。どうしてこういうことになったのでしょう。どこに問題があったのでしょう。
 これまでの取り組みに「人と人との関係を変える」という視点が不足していたのではないかと思います。偏見・差別は、人と人との関係に根ざすものである以上、関係を変えることが目標でなければならない。特別対策事業はあくまでも環境等の条件整備であり、教育・啓発は偏見・差別意識の克服に向けた糸口なんですね。その条件整備や糸口をいかすのは人です。そこのあたりが、あまりにも大まかにしか考えられてこなかったのではないでしょうか。

3. 同和問題を考える視点について

 そこで同和問題をあらためて考える、つまり同和問題を人権問題、人間の問題として位置づけなおすにあたって大切なことをいくつかあげてみます。
 第1は「人をどう見るか」という視点(人間観)です。それは「人はみな自由な意志で選んだわけでなく、個人の努力では変えられない事柄(人種・民族・国籍・性差・生まれ・身体的特徴・障害の有無・病歴など)をもってこの世に投げ出された存在だ」ということの確認にほかなりません。仏教でいう四苦(生老病死)に 「生=生まれること」が最初にあげられているのはそのためでしょう。誰もその責任を問われることができない事柄だからです。同和問題はまさにその「生まれ・生い立ち」にかかわる偏見・差別のひとつです。そしてこの「人間をどう見るか」という視点は、人を学歴・学校歴・職種・職業・肩書きで判断する「ものさし」をも問うはずです。
 第2は「人とどう向きあうか」という視点(社会観)です。他者不在・傍若無人の世の中であろうとも、人間らしく向きあいたい、よく生きあいたいという願いそのものが人権感覚だといえるでしょう。「人間」は、もともと「世の中・世間」を指す言葉だったといいます。それが「個人」「人類」を指す意味になってしまった。しかし、人はみな「生きあっている」、そのなかで「生かされてある私」がいるのです。その実感がないところでは同和問題はもとより人権問題が心に届くことはむずかしい。
 第3は「どう生きるか」という視点(生き方観)です。阪神・淡路大震災のとき、 ある新聞社が被災者に「大切な『もの』って何ですか」という質問をしたことがあります。それに対して高価なものではなく家族や友人との思い出の品をあげた人が多かったという。つまり震災を経験してはじめて自分にとって一番大切な「もの」を再発見できたわけです。それは、大きくは「誰かに代わってもらうわけにいかず、誰かに代わるわけにはいかない、掛け替えのない、一回かぎりの人生をどうどう生きるか」という「生き方観」に、小さくは「その人の属する集団で決めつけない」「人をひとくくりにしない」「ウワサを広めない」「点字ブロックの上に自転車やバイクを乗せない」「障害者用駐車スペースに車を止めない」「降りる人がすむまで電車に乗ろうとしない」「荷物は膝か網棚の上に乗せる」「自分が出したゴミは自分で片づける」といった、ささやかではあるけれども大切な「生き方の選択」につながっている。
 こうした視点が同和問題や人権問題と無縁のように感じられるとしたら、それはこれまでの、人と人との関係を考えることを見落としてきたとらえ方に問題があることのあかしです。同和問題・人権問題を考えるということは「人間」を考えることなのですから。

4. 仕事と人権感覚について

 以上のことを前提にしてはじめて「仕事と人権感覚」という主題が立ち上がってきます。
 いったい仕事とはなんでしょう。私の考えでは、「仕事とは、商品とサービスを仲立ちにした人と人との出会いとつながり」なんです。1 円切手1 枚をお買い求めになるお客さまがおられるとして、その方との出会いが人間的でありたいとの思いがすでにして「よく生きあいたいという願い」に根ざすものであり、それが人権感覚にほかならない。
 みなさんの職場である郵便局の窓口におみえになるお客さま、外務職員がお伺いするお客さまのお宅はさまざまです。そうしたお客さまと向きあうとき、みなさんの人間観、社会観、生き方観がもろに出る。だから「こういうマニュアルにそって」というのではありません。そうではなくて、にじみ出る人権感覚を、私は期待したい。「心と心をつなぐ」というすばらしい郵便文化を担っていることの自覚と誇りと責任感。これこそ人権感覚そのものです。
 最近、マニュアルを読めばプロになれると錯覚する人が多いらしいけれど、プロとはそんなものでありませんよね。きびしい自己鍛錬によってはじめてプロになれるのです。「利潤と効率」「費用対効果」がもとめられる企業にあって、職員一人ひとりの人権感覚がいかに研ぎ澄まされるかは、これからの大きな課題になるでしょう。危機管理的で警戒的・対策的・防衛的な「心の硬さ」をほぐし、伸び伸びと仕事を通して人権を考える。そんな職場環境がもとめられています。そのとき同和問題は人間の問題にかかわる応用問題として深く理解され、適切に対応できる人びとの輪が生まれるにちがいありません。人権問題は、「人間への人間らしい対応を忘れるとき、自らの人間性がそこなわれる」と教えています。そのあたりのことをもう一度考えてみませんか。(中見出しは『みちしるべ』編集部。一部補訂)

コメント.
 日本郵政公社近畿支社管内で毎年開かれている「人権を語る夕べ」の講師として招かれるようになったのはここ数年来のこと。昨年は10月13日、福知山郵便局担当の集まりに出かけました。その後しばらくして届いた依頼に応じて書いたのがこの文章です。聞くところによれば結構反響があったらしい。

採録

○寺園 敦史 「藤田敬一さんの発言−〈同和利権〉形成の当事者性(2)」
  (寺園敦史Web サイト「マリードフットノート」04/6/13)

 荷物整理をしていると部屋の隅っこに雑然と積み上げていた書類の山から『論座』 2004年1月号が出てきました。めずらしくこの号を購入したのは、詩人の金時鐘さんと、月刊誌『こぺる』の編集人で、『同和はこわい考』(阿吽社)の著者で知られる藤田敬一さんとの対談記事が掲載されていたためでした。/(略)ぱらぱらページをめくっていると、こんなくだりが目につきました。藤田さんの発言部分です。


 ・・・部落問題の解決に限って議論すれば、解放運動はいまや目標を見失っていますね。02年の3月で特別措置法の期限が切れましたけれど、その前後から部落問題解決のためのはずだった対策事業をめぐって不祥事がたくさん表面化してきました。例えば、京都市営の改良住宅に住んでいる市職員のうち99人が3カ月以上家賃を滞納していたことがわかった、と報じられました。(略−藤田)
 住宅手当を取っている市の職員が、それも10年以上滞納しているケースが11人もいた。早くからわかっていたことなんですが、放置されたままで、最近になってやっと表に出た。どうしてこういうことが自らの手で正せなかったのか。ともかく情けなくて。「人の世の冷たさがどんなに冷たいか知っているわれわれだからこそ、心から人生の光と熱を願求礼讃する」という「水平社宣言」を掲げる運動が、まあ、本当に私は悲しくてやりきれなくて。

 こう指摘する藤田さん自身は、1980年代中頃より、部落解放運動(解放同盟)の現状に強い危機感を抱き、運動の再生のための発言をくり返してこられた人です。近年の発言は、既成組織による運動には絶望してしまったかのようなトーンが色濃くなっています。
 おそらく、藤田さんとわたしとでは、部落問題についての意見は、対立する点も多々あると思います。それでもわたしは、藤田さんの姿勢には敬意を抱いています。意見の対立にもかかわらず、信頼もおいています。
 行政と運動の逸脱した姿に、藤田さんは強い当事者性を自覚しているからです。「どうしてこういうことが自らの手で正せなかったのか。ともかく情けなくて」という嘆きは、そのことの現れだと思います。わたしが『こぺる』から原稿依頼を受けると、できるだけ応えようとするのも、こういう発言を公の場でされている方が、編集長をつとめているからです(ちなみに藤田さんが言及した京都市職員の家賃長期滞納は、わたしの属する市民ウオッチャー・京都が、住民監査請求という形で問題化させたものです)。

コメント.
 インターネット世界を散策する習慣がないわたしは、娘からコピ−が送られてくるまで寺園さんがこんなことを書いてくださっているとは知りませんでした。「知らないことは、存在しないことだ」という箴言がふと思い出されて。それにしても「当事者性」とは言い得て妙。「近年の発言は、既成組織による運動に絶望してしまったかのようなトーンが色濃くなっています」。10年ほど前、「もう遅すぎるかも」とつぶやいた人がいた。わたしの心情もそれに近い。さりとて代わるものがあるわけではない。いまわたしは、「一人でできることは高がしれているけれど、一人だからこそできることがあると信じて生きよう」と思い定めています。

○本田 豊 「『部落解放』運動の二面性−現代の部落問題/番外編」
  (本田 豊 『人・交差点−出会いを求めて』No.133,04/6)

 特別対策としての「同和対策法」が失効して2年目に入る。04年の現在は、特別対策ではないが部落問題も含めた法律は、憲法を初めとして人権擁護施策推進法、人権教育及び人権啓発の推進に関する法律が制定されている。/特別対策としての法律がある間は、部落解放運動に関するさまざまな意見や、理論上の諸問題についても、議論が深まらなかった。一石を投じ、今も輝きを失っていないのは『同和はこわい考』(藤田敬一・著)だけである。特別対策としての法律が無くなった今、改めて部落問題の有り様を考えてみた。(下略)

コメント.
 『こわい考』がいまなお「輝き」を保っているとすれば、それは、まわりの闇がいよいよ深くなっているからではないかな。

各地からの便り

○俺は女だけどスカートをはくのがいやで学校以外ではスカートをはきません。小5のころから仲間はずれにされ、「死ね」「消えろ」は当たり前のように言われています。何回も自殺しようと思いましたが、もう思いません。自分らしく生きようと頑張っています。先生の話はとても心に残っています。(高校2年生)

コメント.
 こういう思いを抱きながら生きている高校生がいる。兵庫でも三重でも出会いました。ところがその事実に気づかず、「差別はいけない。人権大事」と唱えることが人権教育だと勘違いしている教員がいる。そんな教員には「人権を語る前に、生徒一人ひとりとまっすぐに向き合うことからはじめてよ」といいたくなるなあ。

○先生の話を聞いて何度か泣いてしまいました。先生の話の中で今まで疑問に思っていた『生きる意味ってなに?』について、ひとりの男の子の話をしてくださり、少し生きる意味が分かった気がしました。(高校2年生)

コメント.
 「人は何のために生きてるの」とたずねて、母親から「知らないよ、そんなこと」といわれた6歳の男の子が「自分の心をさがすためだよ」と答えた話(「朝日」02/6/14,朝刊、「あのね−子どものつぶやき」)は人びとに深い感動を与えるようです。6歳の子だからといって侮るなかれ。この問いにどう答えるか、66歳のわたしも考えあぐねているのですから。

川向こうから

●時や春。やっと冬眠から覚めたかのように『通信』発行の意欲がわいてきました。
 次号がいつになるか、それは誰にも分からない。アッハッハ。
●この一年、東京から島根、高知まで、小学1年生から八十数歳の高齢者まで、学校、自治体、寺院、病院、企業、各種団体で、いい出会いを重ねてきました。詳しくは「ホ−ムペ−ジ」をご覧ください。「人は生きあっている。そのなかで生かされてある自分がいる」というのが最近の口癖です。「人権とは、よく生きあいたいという願いにねざすもの」というのもそう。これらは、わたしの実感にもとづきます。こんなことを書くとまたぞろ軽薄才子がしゃしゃり出てきて「実感主義だ」などといいそうですが、そういう人はほっとくしかない。「人権なんて ウサン臭い」という人もいる。これもまた人権をめぐる歴史から何も学ばない者の放言として無視すればよろしい。そんな連中にかかずらわっているヒマはわたしにはないんです。生き急いでいるわけではありませんよ。つまらぬ人間と無理して付きあわなければならぬ義理はないということ。なお前号「各地からの便り」の福岡正則さんは福岡安則さんの誤りでした。お詫びして訂正します。
●山小舎日記抄   4月2日(土)晴れ。五位神社の春祭り。朝、山小舎に向かう。今年は結構雪が多かったようで、キンモクセイが何本も折れている。幸いイノシシの被害はなくてホッ。祭りの出席者は、わたしを入れて6人。後見人と見立てている古田さんご夫婦の姿が見えないのが寂しい。御神酒をよばれ、気持よくなって昼寝をしてしまう。夕方、目覚めると寒い。室温は5 度。暖炉に火をつけ、燗酒をチビリチビリやりながら読書する(中野三敏『近世新畸人伝』岩波現代文庫、04/11)。たった一人の山小舎開きも、なかなか乙なものだ。
●04年3月27日から05年3月24日まで、滋賀、京都、兵庫、三重、岐阜、鳥取、島根、京都、大阪、東京、神奈川の39人から計132,840 円の切手、カンパをいただきました。ありがとうございます。支出は郵送費(165号ほか)、封筒、葉書など 計68,695円でした。本『通信』の連絡先は〒501-1161 岐阜市西改田字川向 藤田敬一
 E-mail(k-fujita@h6.dion.ne.jp), 郵便振替(00830-2-117436 藤田敬一),
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