同和はこわい考通信 No.165 2004.3.26. 発行者・藤田敬一
採録

卒業式によせて − メールあれこれ
  (高知県立高岡高等学校『学校だより』No.79、04/3)
校長 野町 均
1.
 さる一月十四日に一年生の総合的学習の時間の講師として藤田敬一氏をお招きして話しをしていただいた。
 藤田さんは二〇〇二年三月まで岐阜大学教授の職にあった中国近代史の研究者、また京都大学の学生時代に京大部落問題研究会の創設に参画し、以後も部落解放運動に参加してこられた方だ。大学を定年退職した現在については御自身が設置しているホームページで「部落問題の解決のためにも豊かな人権感覚の広がりと深まり、『響き合い、重なり合う』感性、人間らしい人と人との出会いとつながりが不可欠と訴えつづけている。講演のほか、執筆と編集活動に専念し、最近では小中学生に話をさせてもらう機会も増えた。それが楽しくてしかたがない」と語っている。
 本校では「人間について」と題した講演をしていただいた。そのなかで、たとえば、満員電車にいても携帯電話の電源を切らない人がけっこういるという現象には、マナーの欠如に止まらず、自分の隣にはもしかすると心臓のペースメーカーを付けている人がいるかもしれない、携帯電話がペースメーカーに影響を及ぼすとどうなるのだろう、といった想像力が欠如している人間が多くなってきているという問題が含まれており、想像力の欠如の延長線上には、人と人とがともに生きあっているという意識が稀薄になってきている社会の姿がある、といったふうに具体的な事例を挙げ、そこから思考を進めるスタイルで話を進められた。
 講演は理解しやすく、また聴いている生徒に大きな共感を呼んだと思う。藤田さんのホームページには講演当日から二三日のあいだに数名の生徒が感想や主張を書いたメールを送っていて、氏のコメントとともに掲載されている。
 ある生徒は「〈大人〉というだけでどこが偉いのでしょう?今のすべての大人がそうとは言いませんが、大半の大人が人にとっての対等な心と心の会話を忘れてしまっているように思います。私はもっと時間をかけて本当の意味の大人になりたいと思いました」と書いている。
 もうひとりの生徒は「今日の話を聞いて私は自分のものさしがすごく狭くて短かったことに気づかされました。今の私は守られた環境の中であぐらをかいて自立した!!と思い込んでいたということにも気づきました。生きていることが当たり前、健康なことが当たり前と思っていた自分がすごく寂しいと思いました。人はなぜ生きるのか??私は今日自分なりの考えを見つけました。誰かに必要とされ誰かの支えになるために生きているんじゃないかと思います。人は必要とされるから生まれて来るんだと思いました。私は今日の講演での話をいつか親になった時に自分の子供に話してあげたいと思いました。今日のお話でまたひとつ私の心の引き出しが増えました!!またお話しが聞きたいと思いました!!今日は本当にありがとうございました」と感想を寄せている。
 それに対して藤田さんは前者には「年齢や社会的地位なるもので『えらっそうな顔をする』のは最低です。でも最近、そんな『大人』が増えてきたようです。『子ども』とされる人たちは、そこを見抜いている。一人の人格をもつ人間として『子ども』と対等に向き合わない『大人』のいうことを受けつけないのはあたりまえではないでしょうかね」と応えている。
 また後者には「みずからの物差しが狭くて短いと省みる姿勢がまぶしい。『誰かに必要とされ、誰かの支えになるために生きたい』という希望。そうありたいと、わたしも思う。ところが、なかなかそうはいかないのが現実です。そこで思いたどりついたのは、『誰かを支えようとする』のではなく、『誰かに支えられていることの実感からはじめる』ということです。『生かされてあるわたし』という事実の確認からの再出発。まだはじまったばかり。この先、まだまだ迷うでしょうね」とのコメントをしてくれている。
 生徒たちのメールはいずれも教室ではなかなか表白されにくいことがらで、大人を「対等な心と心の会話を忘れてしまっている」と見る意見は、教員に一考、自省を迫るものがあるし、「人はなぜ生きるのか」の答を一所懸命見つけようとするひたむきな姿勢には心うたれる。

2.
 メールは手紙に較べ簡便で即応性があって、岐阜県から来ていただいた講師の先生と高知県の高校生とのこうしたやりとり、メールによる会話は情報化社会のもたらした大きなメリットで、情報化が新たな人間関係をつくっている。
 高校一年生のとき、あることでわたしは気長な性格だった父が激怒するまで反抗したことがあった。
 「何事も包み隠さずはっきりと言ってみろ」と父は気色ばんだ。/「怒っている者に面と向かって何を言ってもはじまらない、なんなら手紙を書く」。
 「手紙は互いに顔が見えないから書くのであって、おなじ家のなかにいる者どうしには手紙など必要ない」。
 「そしたら家出して手紙を書きます」と口にしてみたもののそうはできないことはわかっていた。
 なんともはずかしいやりとりであるが、個人と個人が向き合える環境にあるのに手紙を書くなんていうのはおかしい、という父の言にはたしかに一理あって、そのことについては反論できないまま悔しさに泣いた覚えがある。
 かような経験があるからというわけではないが、あまのじゃくの性格も手伝って、
メールの有用性はよくわかっているがゆえに、個人が向き合える、顔が見える関係を大切にしたいとの思いがわたしにはある。だから、先生方はもとより生徒諸君にもできるだけこちらから足をはこび、あるいは校長室に来てもらって会話を交わすよう努力はしているつもりである。
 とはいえ、藤田さんと生徒たちのやりとりを読んでいるとやはりメールの力は大きいな、と実感する。それとともにわたしは自分のメールアドレスを生徒、保護者、地域の方々に公開すらしていなかったことに思い至った。〈○○○○〉/これが職場のメールアドレスですのでよろしくお願いします。
 顔が見える関係をだいじにするとともに、プライバシーには配慮しますので、メールを活用して、御意見、苦言、叱言をお願いしておきたい。もちろんおほめの言葉は大好きです。

3.
 ところで藤田さんのホームページには本校の生徒からこんなメールも寄せられている。
 「私が最近思うことを聞いてください。私はどうしても許せないことがあるんです…。それは私たちの学校の先生のことなんですが…。その先生は日頃からプライバシーは大切だ!!人権は守られるためにあるなどと言うんです。でもその先生自身は私たちを偏見の目で見ていることに私は入学当初から気づいていました。私はもっと先生たちに教科書以外の勉強が必要なんじゃないのかなと思いました。私はこのことでダラダラ積んだだけのキャリアには何の意味もないことに気づきました。長々とすいません。また暇なときにでもお返事下さい!!」
 この先生は誰だろうと詮索するつもりはない。ひょっとしていま原稿を書いている自分がそうなのかもしれない。自分だと仮定して、メールに書かれてあるわたしの偏見とはどのようなものなのだろうとあれこれ考えてみる。こうしてこのメールは教員にとって自分を振り返る素材となる。
 ただし、生徒から先生に意見を言いにくいのはわかっているし、理想論だとされるのを承知であえて申せば、もしこのメールを書いた生徒となかに書かれている先生が向かい合い、生徒が先生の観察や批評を述べ、それに対して先生が自身の考えを語り、反論する場面が、それこそ「対等な心と心の会話」が現実のものになるとすれば、素晴らしいことだと思う。すくなくともこの対話する関係にあっては生徒と先生とは対等の立場であって、そこのところをだいじにしながら双方が意見の違いを確認し、対話を進めるならば互いが理解しあう可能性はある。たとえそうならなくとも違いがどこにあるかは了解できる。
 人はみんながおなじ意見をもつなんて無理なことだしそんな必要もない。しかし理解や了解に向けての努力は貴重で、その努力をメールでやりとりするとしても、お互い匿名ではなく名乗りあってやっている場合には個人は向き合っている。顔が見える関係の可能性を重視したいゆえんである。
 それはともかくこのメールにある「ダラダラ積んだだけのキャリアには何の意味もない」という表現にはドキッとさせられる。藤田さんも「そう、『ダラダラ積んだだけのキャリアには何の意味もない』んです。その無意味さがわからんところにキャリアの落とし穴があるわけで。『教科書意外の勉強が必要なんじゃないか』とのご意見ですが、さてどうかな。勉強といえば教科書の勉強しか知らないのかもしれませんよ、その先生」とコメントしている。
 単純化していえば、学校は生徒に勉強してもらって、卒業というキャリアを与えるところだから、この意見に対しては複雑な気持を抱かざるえない。
 いまでは大学卒の力士はめずらしくないが、それでもなお大相撲の世界は中学卒が圧倒的に多い。相撲の強さとキャリアとは関係ないから学歴は必要ない。とはいえ、幕内力士さらに上位の三役、横綱に出世し、引退してからは親方や相撲協会の役員の仕事ができるのはそのうちの一部である。相撲を途中でやめて企業に就職しようとしてもキャリアの面でむずかしい場合が多い。そんなことから元関脇富士櫻が親方の中村部屋では中卒の弟子たちに通信制高校で学ぶ機会を与えることになったと昨年四月十六日の日本経済新聞が報じている。角界を去らなければならないときキャリアは何らかの役割を担う。そう考えての就学の機会提供となった次第だ。 こうした現実のなかにある学校としてはキャリアの提供はおろそかにはできない。問題は「ダラダラ積んだだけのキャリア」である。その具体的な姿がこれだと示すことはできないけれど、わが校の校訓、建学の精神として正門前の石碑に刻む「熱意、創意、誠意」に反するものだとは断言できる。
 いま卒業の季節。卒業生は高校卒業というキャリアを持って就職あるいは進学する。「ダラダラ積んだだけのキャリア」に堕することのないようこれからも「熱意、創意、誠意」を心に刻んでおいてほしいとの願いは切であり、またこれはわたしたち教員にも求められていることがらでもある。

コメント.
 講演のあと、ときおり参加者の感想文が主催者からとどくことがあるけれど、それは例外で、味もそっけもないワープロによる「お礼」が普通。なかには出席していない組織の長の名前で礼状がとどくことすらある。ところがホームページを開設してからは様子がちょっと変わりましてね。話を聞いてくださった方からメールがとどくようになったんです。とくに生徒さんたちからのメールには、日ごろ感じていること、思っていることが率直に書かれている。それは福沢諭吉のいう「権力の偏重」関係から、はずれている人間としてわたしを見立ててのことでしょう。生徒と教員が向き合い、「顔が見える関係」のなかで対話がなされるにこしたことはありませんが、そんな関係が成り立つ環境が整うまでのあいだ生徒さんが匿名やペンネームで学外に向かってメッセージを発することは不可避です。
 わたしは「朝日」の「ティ−ンズメール」(『ティ−ンズメ−ル−わたしたちの気持ち−生き方に迷う10代のあなたへ』教育史料出版社、03/4初版という本が出ています)や名古屋本社版「ジーンズ丸」を愛読しております。いま求められているのは生徒の声に耳を傾けることだと思うからです。ちなみに高岡高校の生徒さんたちは全員実名でわたしにメールを送ってくれています。教員の人権感覚を問うた人も具体的な体験を書いていましたが、個人が特定できないよう書きあらためました。 それにしても野町さんが生徒さんとわたしとのメール交換に即座に反応してくださったことがうれしい。これがきっかけとなって高岡高校の生徒と教員、保護者や地域の方々と教員とのあいだで「自由で開かれた対話」が進むことになればもっとうれしい。なお「キャリア」に関しては、後日また。

『同和はこわい考』 − 部落問題に関心を持つ人すべてにお薦めの一書
  (インターネット「Amazonカスタマーレビュー」おすすめ度:★★★★★
   レビュアー:東京都三多摩地域、03/06/03)
 この本が出版されたのは15年以上も前のことになるが、その問題提起の意義は今もなお、まったく失われていない。本書が生まれた切っ掛けは、1986年の地対協部会報告・意見具申で政府の側が事態の変化をそれなりに反映した方針転換を示してきたのに対して、部落解放運動の側が、旧来の発想に固執したまま、反論することに終始していることについての、著者の危機感にあったといってよいだろう。
 本書で著者は、部落解放運動に関わる二つの代表的なテーゼ「ある言動が差別に当たるかどうかは、その痛みを知っている部落民にしかわからない」「日常部落に生起する、部落民にとって不利益となる現象は全て差別である」を批判し、「両側から超える」新たな部落解放運動のあり方を提唱する。本書に対して運動団体は、顕著な拒否反応を示したが、それだけ事の本質に迫った提起だったと言える。
 著者は本書出版後、今日に至るまで「『同和はこわい考』通信」を発行し続け、発言を継続している。本書の個々の論点を現在でも全く著者が維持しているわけではないが、部落問題に関する公式的な物言いになにかしっくり来ないものを感じている人はぜひ一度、本書に目を通して頂きたい。小冊子ながらそれだけの価値のある本である。

コメント.
 『こわい考』の発行から16年余、いまだにこうして一読をすすめてくださる方がある。ありがたいことです。いつぞやもどこかに書いたように、出せばオワリということにならなかったのが『こわい考』。「わたし書く人、あなた読む人」という壁をとっぱらって議論できたことは、ほんとに幸せです。ま、わたしがしつこいだけかもしれませんがね。アハハ。


各地からの便り

○今、『黒坂愛衣のとちぎ発《部落と人権》のエスノグラフィ』Part1 ・2(2 冊)(コメンテーター=福岡安則、創土社、2003年)という本を読んでいます。埼玉大学教授で社会学者の福岡さんが、修論のために栃木県連で参与観察を始めた黒坂さんと、メールでやり取りした記録なのですが、そのなかで、福岡さんが、『同和はこわい考』に言及している部分があったので、ご紹介します。(Part1,148 〜149 頁。2002年9 月27日付の福岡さんから黒坂さんへのメール。人権研修の情景をきちんと記録しなさい。江嶋修作さんの講演はすごいんだ、福岡さんご自身も江嶋さんから、部落問題の講演で聴衆を寝かすなと言われ、そう努めているというエピソードを紹介して)
 「こういうことを書いたのは、10年くらい前に、藤田敬一さんという人が『同和はこわい考』という本を書いて、かなり評判になったことがあるのを思い出したからです。この本、いま書架をさがしたけど、すぐには見つかりませんでした。  たしか、そこで、藤田さんは、同和問題の講演では、聴衆の大部分が寝ている。聴衆が同和問題の講演を真剣に聞こうとしないのは、同和問題にあいそづかしをしている人びとを無理やり動員で集めているからだ。そして、同和問題に人びとがあいそづかしをしているのは、部落解放運動がむちゃなことをやって、「同和はこわい」とみんなから思われているからだ……というふうに議論を進め、そして、一般の人びとに変われと要求するだけでなく、部落の側も変わらなければならない。両側から越えていくことが必要だ、という論理の展開をしていたはずです。
 藤田さんの議論を読んでいて、違和感をおぼえたのは、同和問題の講演では聴衆の大部分が寝ている、と言うけど、それは、藤田さん自身が講師となった講演のことではないか。自分が聴衆を寝かしておいて、寝かせてしまった講師としての自分を自己批判することなく、運動批判をするなよ、というふうに思ったものでした。  もちろん、運動批判は批判としてあっていいのですが、それは自分を棚上げにした批判じゃダメだ、ということです。」
 このメールはここで終わりです。「両側から超える」が「両側から越える」になっているのは、原文のママです。  (大阪 H・Jさん)

コメント.
 福岡さんが、わたしと『こわい考』をどのように批判なさろうと、それは自由、つまり勝手です。しかし、批判は確かな根拠と筋道の通った論理にもとづいてこそ、その名に値する。先入観と憶測、勘とハッタリにもとづくものは世間では誹謗といいます。『こわい考』が書架に見つからなければ、人に借りるなり図書館で調べるなり書店に注文するなりして確認するのがまっとうなやりかたでしょう。この人はそれができないらしい。わたしの講演会で聴衆の大部分が寝ていたなどという奇妙キテレツな話をでっちあげるにいたっては「オソマツ!」の一語につきる。大事なのは「誰が語っているか」ではなく、「何が語られているか」です。福岡さんは肩書きやブランドで世間が渡れると勘違いしているのではないか。学者として生きようとするのなら一から学問をやり直した方がいい。

○『こわい考通信』162号、今日いただきました。うれしい驚きと感動でいっぱいでおります。ありがとうございました。先日は、ご丁寧なお葉書をいただき、感激に浸っているところでした。いただいたお葉書を、中学3 年生の娘に読み聞かせ、親子でいろいろ話もしました。折しも、公民の授業で「同和」「差別」について学んでいて、いままで話題にもしなかったことを考えるきっかけをいただきました。 人が人を差別する。「お母さん、差別って心でするんだよ。自分の心のものさしで、他の人をはかるんだよ。悲しいね」。娘の言葉です。仕事を持ちながら、十分に手をかけられずの子育てで、心の奥底に後ろめたい思いを抱いているのが正直なところですが、いつの間にかこんな考えを持つようになったと思ったものです。親ばかとお笑いください。162の土岐津小学校の生徒さんのお便りには二人で言葉をなくすほど感動いたしました。本音で素直な心情を吐露できる感性に感動いたしました。娘が「どこで、どうすれば藤田先生のお話が聞けるの?」と申しました。どこかでご縁がありますように、と祈っております。  (愛知 S・Mさん)

コメント.
 昨年5月24日付のメールです。日付は古いけど、わたしにはいまも新鮮なお便り。
その後、S・Mさんと娘さんがわが家をたずねてくださったり、お二人そろって山小舎に来てくださったりして親密の度は深まるばかり。静岡のHさん一家も同じ。一枚の葉書、一件のメールからでも人と人とのつながりは生まれるものなんですね。あだやおろそかにしてはならぬとみずからに言い聞かせています。


川向こうから

●退職してまる二年、三度めの「春休み」です。この時期を、わたしは読書月間に“指定”していて、机がわりに使っている電気ごたつの横には由井正臣『田中正造』(岩波新書)、守田志郎『二宮尊徳』(農文協)など読みたい本が十数冊積んである。はやりものは読まないタチだから、こういう本の復刊はありがたい。古典では、隔月刊の森本和夫『「正法眼蔵」読解』(全10冊、既刊3 冊。ちくま学芸文庫)を読みすすめているところ。この分だと来春までかかりそうですが、急ぐことはなんにもない。ああでもない、こうでもないと考えながら読むのが楽しいんです。春秋社刊『道元禅師全集』も寺島書店に注文済み。四月末からゴールデンウイークいっぱいまでは例年通り各地の友人を迎えての山小舎暮らしです。前半はテントを建てたりして遊ぶ「TIPIの会」、後半は部落問題全交流会事務局メンバーなどによる「交流会」山小舎版。その間隙をぬって舟伏山に登ります。
●このところ友人、知人の訃報があいつぎ、いささかしんみりしております。岐阜大学のもと同僚で年長の友人として三十年以上にわたってわたしを見守ってくださった愛知県一宮市の永平和雄さん(03/12)。部落解放運動をめぐって忌憚のない意見を交わした大阪市矢田の西岡洋右さん(04/1)と戸田政義さん(04/2)。部落問題全国交流会の講師としてお招きして以後ずっと励ましつづけてくださった網野善彦さん(04/2)。三十年ほど前、狭山の現地調査で出会っていらいの友人だった鳥取県米子市の中川達夫さん(04/3)。浪人中から学生時代を通じてわたしを親身に支えてくれた義兄村本俊夫が亡くなる(04/3)一方で、息子夫婦に新しいいのちが誕生するということもある。寂しさとうれしさがいりまじる春。
●12月27日から3月19日まで、京都、愛知、茨城、大阪、岐阜、埼玉、三重の21人・1団体より計86,360円のカンパをいただきました。ありがとうございます。支出は郵送費(164号ほか)、印刷リボンなど計44,920円でした。本『通信』の連絡先は〒501-1161 岐阜市西改田字川向 藤田敬一(E-mail<k-fujita@h6.dion.ne.jp>,郵便振替<00830-2-117436藤田敬一>,ホームページ<http://www.h7.dion.ne.jp/~k-fujita>)です。(複製歓迎)