No.161 2003.3.22.


『同和はこわい考』の十五年
                         藤田 敬一
1.
 「『こわい考』が品薄になっている。ついては、そのまま増刷するか、あるいは別の形にして出すか、ご返事たまわりたし」と、阿吽社の森芙美子さんから電話が入った。聞けば、年に百数十部は出るという。ほそぼそとではあれ、いまだに新しい読者があるらしい。あれこれ考えたあげく、略歴などを訂正してもとの形で増刷してもらうことにした。第八刷千部。これでしばらくは在庫切れにならず、『こわい考』は二十周年を現役で迎えられそうである。
 第一刷は八十七年五月だから、十五年と十ヶ月になる。『こわい考』と『通信』は、わたしのその後の生き方と方向の概略を決めたように思う。「思想は、生きられてはじめて思想になる」。心底、そう考えるようになった。こざかしい議論を弄する人はたくさんいるが、わたしには関係ない。「他人の褌で相撲をとらない」、「天下国家から論じない」と思い定めるようになったのも十五年余の歳月がもたらしてくれたものだ。
 数年前だったか、五月の連休明けのある日、講義を終えて帰ろうとすると、ひとりの一年生らしい女子学生が近寄ってきて「何をしたいのか、わからないんです」という。そこで、わたしはこう答えた。「十八や十九で、何がしたいのかわかれば苦労はせん。わたしが何をしたいのかわかったのは四十代の中ごろで、それまでは、なんとか折り合いをつけて生きてきたようなもんだ。ひょっとしたら、人生は、したいことを模索する過程かもしれん。したいことと仕事が一致する幸福な人生を送る人もいるやろけど、そんな人は珍しいのであって、おお方の人は苦悩してるんとちゃう。焦らんこっちゃ。」学生が納得したかどうかはわからない。しかし、わたしはそうとしか答えられなかった。四十代の中ごろといえば、『こわい考』につながる考えが次第に形をとり始め、交流会への参加を各地の友人に呼びかけたころである。それからもう二十年。いや、まだ二十年しかたっていない。いまもって模索の過程にあり、これからもうろうろするだろうが、大筋のところはみえてきている。
 わたしにとって『こわい考』は、生き方と方向の原点である。そして『通信』の発行は日々の思索と実践の確認となっている。

2.
 さて『こわい考』は、一部で共感と同感をもって迎えられる一方、反発され非難もされた。運動団体の幹部、活動家の多くからは、二つのテーゼ(「ある言動が差別にあたるかどうかは、その痛みを知っている被差別者にしかわからない」「日常部落に生起する、部落にとって部落民にとって不利益は一切差別である」)の検討は事実上拒絶されたとみていい。「もし上記の二つのテーゼの検討がなおざりにされるとすれば、共同の営みとしての部落解放運動とはいったい可能なのかと考えざるをえない」と書いたが、十五年たってその可能性はほぼ絶望的である。
 「現在の状況は部落解放運動の「運動としての存在根拠」を問うている(略)。部落解放運動は六十五年の歴史をふまえ、この問いかけに答える必要がある。そのためには他を糾(ただ)すだけでなく、みずからをも糾す思想が求められる」とも書いた。しかし、いまにして思うのは、運動体に「みずからを糾す思想」を求めることには無理があったようだ。
 部落解放運動は、「真に部落解放を展望した人権行政の一環としての同和行政の創造を」というかけ声のもとで、人権をかかげながら特別措置的施策の継続を要求する運動をつづけようとしている。昨年十月、鹿児島で開かれた部落解放第56回全国研究集会で発表された三つの報告案には、まことに結構なことが長々と書かれているが、要するに運動の先祖帰りが透けてみえる。そんな運動にとって吹けば飛ぶよな小冊子『こわい考』などとっくの昔にごみ箱に投げ捨てられている。
 では行政はどうか。先日も名古屋市の幹部職員が「出版された当時、借りて読み感銘を受けた」ともらしてくれたけれど、自治体総体としては「格差は差別」だという主張に立ち向かえていない。「流出・流入問題を度外視して定点観測をすれば、格差が数字として出てくるのはあたりまえで、それが部落差別に起因するかどうかが問われているのではないか」と反論できる職員はいそうにない。また「部落問題の解決は行政の責務」という行政責任論に対抗できていない。行政施策はあくまでも問題解決の条件にすぎないし、行政には「しなければならいこと」と「してはならないこと」があり、「できること」と「できないこと」がある。ところが同対審答申によって「行政の責務」が公認され、問題解決をそれこそ丸投げされ、結果として「してはならないこと」「できないこと」まで引き受け、自縄自縛に陥っているのが現状である。そうこうしているうちに政府が特別措置法を終了させ、同和事業から一切手を引くことになり、「時代は人権へ」という風向きになった。各自治体はいま「股割き」にあっている。「一般施策と人権へシフト」といってはいるものの、その苦悩は深い。ここでも『こわい考』は「感銘」の段階で終わっている。
 そこで長野県である。部落解放同盟中央本部機関紙「解放新聞」(03/2/24)の記事によれば、1 月22日に行われた県交渉で、田中知事は次のように語ったという。
  
過去において私はいちじるしい部落差別というものがこの日本において、社会においてあったと認識している。かりにみなさまが部落問題の差別がまだ無くなっていないとおっしゃるのならば、いままでの行政あるいは、みなさまの運動体としての活動が、ともに社会に暮らす当事者として市民の側に理解されていないということではないでしょうか。(差別を)受けつづけるだけでなく、みずからも自立的に良い意味で乗り越える姿を見せ、ほかの(差別に)気づかない方がたにも理解していただき、ともに乗り越えていくようになることだ。
テレビで聞く田中康夫知事の口振りに似ているところからみて、テープからおこしたものだろう。それはともかく、この発言のどこが問題なのか。自治体の長としては誰も触れなかった重要な論点を提起している。「部落問題の差別がまだ無くなっていないととおっしゃるのならば」という部分は、わたしがこれまで繰り返し主張してきたことと重なる。「自立的に良い意味で乗り越え、ほかの方がたにも理解していただき、ともに乗り越えていく」というのも、「両側から超える」と響き合う。ところが、部落解放同盟長野県連は「行政責務放棄の姿勢だ」、「部落差別の存在を認めない知事の姿勢に悔しくて眠れなかった。力いっぱい抗議していく」、「みずからの結婚差別を車座集会で訴えたにもかかわらず、知事の態度は許せない。われわれは差別されるために生まれてきたのではない」、「まさに私たちにつばを吐きかけてきたもの。断じて許せない」と反発しているらしい(同上)。なんとも情緒的な反応である。自らの運動の責任をかえりみず、一途に行政の責務・責任を追及しているかぎり、とてものことではないが「両側から超えた共同の営み」はむずかしい。
 そして部落問題・同和事業がらみの「闇」・不正をめぐる報道である。高知県・京都市・大阪市・四日市市…。溝口敦「『食肉の王』ハンナン・浅田満という男」(「週刊現代」9/14〜12/14)は「雑誌ジャーナリズム大賞」を受賞し、『同和利権の真相』は昨年の1 につづいて2 も出た(宝島社、03/3)。しかし、部落解放同盟は「ワレ関セズ」の風情である。
   
「法」失効ということで一部の行政に見られる同和行政の混迷状況やこれを機に一気に同和行政を打ちきろうとする反動勢力の策略があるなかで、部落解放運動こそがその明確な方向を押し出していくことが肝要である。日本共産党の「身代わりオンブズパーソン」活動やそれに追随する傀儡(かいらい)雑誌によって、悪質な「解放同盟潰し」の策動やキャンペーンが行われている状況のもとでは、部落解放運動の基本姿勢や基本方向を真正面から打ち出して社会的に対決していくことが重要である。(「解放新聞」03/3/7)
「反動勢力の策略」「解放同盟潰しの策動」。相変わらずの発想、語彙の乏しさにあきれるほかない。「社会的に対決する」というが、新聞や雑誌でつぎつぎとあかされる部落問題・同和事業がらみの「闇」・不正は部落解放運動と部落解放同盟の社会的信頼を傷つけつづけてきているのある。
 たとえば京都の「同和担当経営指導員」十人が部落解放同盟京都府連の専従者として勤務していることがあかるみになったとき、府連の幹部が「そういう事実はありません」とコメントしている新聞記事を読んで情けなくなった。六十八年のスタートいらい、この制度が専従活動家確保の手段になっていることは公然の秘密であり、親しかったMさんもその一人だった。コメントを読んで真っ先に浮かんだのは勤務先であるはずの商工会議所、商工連合会の職員のことだ。職員はそのコメントがウソであること知っており、まわりの人びとにウソだと伝えたとしたらどうなるか。五十人の職員がいれば少なく見積もって五百人に、百人いれば千人に伝えられたことになる。食言はアッパーカットにはならないけれど、確実にボディーブローとなって効いてくる。かくして運動と運動団体の社会的信頼は崩れる。社会的信頼は、言動と姿勢の誠実さに比例する。社会的信頼の回復をはかろうともしないで、「社会的に対決していく」と豪語しても説得力はない。
 「同和事業をめぐる不祥事件、金融などをめぐる刑事事件は、またたくまに全国に伝播され、結果としてどれほど部落解放運動、部落解放同盟の社会的信頼を傷つけたことだろう」と、『こわい考』に書いた。しかし幹部、活動家は高をくくっているとしか思えない。彼らにとっては『こわい考』の指摘など蚊のひと刺しにも価しないものだったのだろう。

3.
 こう見てくると、『こわい考』は単なる一服の清涼剤(「スカッと爽やか」)でしかなかったのではないかと思ってしまう。
 「『こわい考』は、部落問題についての言論の場を民主主義の精神で裏打ちしようとしたところに最大の意義があるのではないか」と野町均さんはいう。しかし、「部落問題についての言論の場」とはどこにあるのか。大手ジャーナリズムは相変わらず「部落問題タブー」で腰が引けているし、「解放新聞」や雑誌『部落解放』では部落解放同盟中央御用達の論調が幅をきかせている。情報公開にもとづく不正の告発や「闇」の刑事事件化が続発しても、「個人の問題だ。組織とは関係ない。私的利益や便宜供与要求に応ずる方が悪い」というだけで、運動本体はビクともしない。「真相の暴露」が興味を引き、関心を呼ぶ背後には人びとの鬱屈した心理がうごめいている。
 部落解放運動と行政との関係も、部落問題をめぐる人と人との関係も硬直したままであり、部落問題にかかわっての人びとの意識・心理に根本的な変化はおこっていない。そんな政治的社会的心理的な土壌に支えられて「私的利益と便宜供与要求」事象が激発する可能性が強まっている。このままいけば、人びとのホンネは潜在化し、屈折し、匿名による非難が高まる可能性がある。
 事態は、『こわい考』が前提にしていた部落解放運動の枠内では収まりきれないところにまできている。「両側から超えて差別・被差別関係総体の止揚に向けた共同の営みとしての部落解放運動の創出」を願ったけれども、その道はほとんどふさがれていることがはっきりした。
 いまや部落問題の相対化、つまり部落問題を人権の個別課題の一つとして位置づけ直すことによって「部落問題第一主義」からの脱却をはかることが求められている。そのためには発想を根本的に転換しなければならない。「部落問題をはじめとして」「日本における人権問題の最たる部落差別」という呪縛から解き放たれる必要がある。だいたい、「人権同和」「人権・同和」という理解不能のことばを我慢して使っていては健康に悪い。早急にやめるべきではないか。「闇」や不正の摘発に拍手喝采しているだけの行政職員や市民の責任も問われていい。公共事業受注の紹介役を果たしている議員に、部落問題がらみで公共事業に介入する連中のチェックを求めてもそれはどだい無理というものである。
 あれやこれや考えているうちに、ここは部落解放運動から一旦離れて、情報の全面公開と市民的合意を基礎に、既成の部落解放運動を包み込むしかないという考えにたどりついた。
 部落差別への対応は文字どおり応用問題である。基本は「人間をどう見るか。人と人との関係をどう変えるか」にある。「人権の個別課題に重い軽いはなく、優先順位を争わない」、「百人の人がいれば、百人の哀しみがある」、「大事なことは、それぞれの哀しみが響き合い、重なり合うことではないか」。そんなことを各地に出かけて語っている。「部落問題を自分の問題として受けとめなければならない」といくら叫んでも心に届くことはむずかしい。「人権といえば同和問題」と錯覚し、ウンザリしている人が多い。そこをなんとか突破したいのである。
 『こわい考』から十五年。予想していた地点からはずいぶんずれたという気がするけれど、これでいいのだと思っている。多勢に無勢ははじめからわかっている。数と力からいえば勝負はついている。しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。『こわい考』で追い求めた「共同の営み」への夢を手放さないのはもちろんである。



○「昨日今日来たもんが、又、村の人間と違うのに、何がわかるんや」。村の集まりはとどのつまり、いつもこれで終焉になってしまいます。それ以上にエスカレートすると、付いてくる言葉が「うちの父親は水平社の時から、いちばんがんばってきたんや」。それは他人が評価するものではないかと私は思うのです。若い世代の人達は「親は姿を生んでも、魂までは生まんからな」という具合に反論しますけれど。その場には役員もいるのですが、反論はないに等しい。解放運動だって、種を蒔いたのは確かに部落の人々です。でもそれに水を遣り、光を当てていってくれたのは、有識者の方々や、それに賛同してくれた一般の方々だと私は思っています。そして花が咲いた途端、水や光を忘れ、一般の人々が中身に入ろうとすると否定する。私は絶対にそれはおかしいと思っています。      (Mさん)

コメント.Mさんご自身はその村で生まれ育った人だという。その人が「部落民」第一主義と血統主義を冷静な眼でながめておられる。部落の内と外、内の中の地下(じげ)と入り込み、地下の中の一統と一統。こうした二分法が人間集団を細分化して、その絆を絶ち、連帯を阻む。もっとも人間集団を内と外に分ける発想はどこにでもある。かつては分断の橋渡しをする協同作業(結(ゆ)い)や祭りなどがあったから共同体として統合されていたわけで、それがなくなればむき出しの排除の論理が横行するのはやむをえない。運動が細るのは当然かもしれません。

○石原英雄さんから
 160 号をいただいてから、V・E・フランクルの『夜と霧』(みすず書房)を読み、続いて『意味への意志』(春秋社)を読み、今『制約されざる人間』(春秋社)を読んでいます。『夜と霧』を、なぜ今まで読まなかったのか残念に思いました。骨と皮だけになった身体にぼろをまとい、極寒の地で塹壕を掘る重労働を強制されながらも、美しい夕焼けに感動する精神がみずみずしく健全であったこと。時間と空間を超越して愛が存在すること。「愛」とは、時間と空間を超越して「もとに在ること」である(『意味への意志』)。フランクルの心が妻のもとに在ったとき、家族全員はすでにナチスによって惨殺されていたのでした。『意味への意志』によると、過去は固定されてそのまま存在するのです。砂時計のくびれの下の部分、すなわち過ぎ去った時間の出来事は、その砂が接着剤で固定されたように固定されて動かしがたく、しかも確実に存在する喩えのように。そのもとに在る「愛」です。『夜と霧』は僕たちの戦後民主主義の最初に読むべきでした。そうすれば、「個人」という概念ももっと豊かなものになったのではないかと思います。(略)
 『こぺる』3 月号は、期せずして社会福祉特集、うれしいことです。岡崎拓巳さん(「知的障害者を援助することとは何か」)の苦しみ、中村大蔵さん(「尼崎だより−老人ホームいろ模様」)の明るさ、楽しさ。これが人間でしょう。生きて在るとはどういうことか。障害者とはなにか。わからないことばかりですが、ただ、「生きていることそのものを無上のよろこびとする」ということ。人間はおもしろい。  中村大蔵さんの待望の連載、たのしみです。(2003.3.8)

コメント.『夜と霧』の新版(池田香代子訳、みすず書房、02/11)が出たので、さっそく再読しました。霜山徳爾訳の旧版(みすず書房、61/3)を読んでから二十年、あらたに感得するところあり。池田訳はたんなる改訳ではなく、77年刊の新編原著の翻訳です。池田さんの「訳者あとがき」には旧版と新版の異同について重要な指摘があります。ぜひ一読してみてください。



○1月23日(木) 関市。M地区高等学校PTA連絡協議会「社会同和教育趣旨徹底研修会」。3 時開会前に会場に入る。参加者はPTAの役員、校長、担当教員三十名ほど。部屋に入ってきた一人が軽口をたたいた。「今日は研修がメインなんか、それとも懇親会がメインなんか」。まわりで笑い声がおこる。終了後一杯やることになっているらしい。こういう人びとに何を話せばよいのか困惑するが、気を取り直し、「教育と人権」と題して1時間あまり話す。お疲れさまでした。
○2月3日(月) 島根。海潮(うしお)温泉仁井屋で目覚める。去年十一月にも泊まったところ。出雲風土記にもでてくるひなびた温泉だ。ぬるめの湯につかりながら庭の雪をながめる。9 時前、タクシーでD高校に。卒業目前の三年生百五十人に「人間について考える」と題して八十分話をさせてもらう。後日送られてきた感想文から。「今日はどんな話をされるのかと思って聴いていたら、私がイメージしていた同和教育講演会と違っていました。先生の講演からは、同和教育という言葉は発せられなかったし、かた苦しい話でもなかった。私の普段の生活の中で同和教育について考えることは、全くといっていいほどない。けど、それは「同和教育」として考えることではなくて、人間が生きる中で、あたり前に、普通に思い、考え、気づき…することだと思いました。」「私は同和地区の人間です。片親ということもあってか、小さいころからいじめられていました。それは同和地区だからかどうか分かりませんが、ずっとつらい思いをしてきました。私は中学のころから部落のことについて勉強しています。でもまだわからない事も多いし、時々自分が同和地区の人間だという事がイヤになったりするけど、周囲の人に支えられながらがんばっています。今日、藤田さんの話を聞き、もっと自分の暮らしている同和地区のことについて勉強したい!と思いました。そしてそのための勇気をもらった気がします。水平社宣言の中にある「我々がエタであることを誇りうる時が来た」の言葉のように、自分が同和地区の人間であることを誇れるような人になりたいです。私にこう思わせた藤田さんの話をもっとたくさんの人に聞いてほしいです。今日はありがとうございました。そしてこれからもがんばってください!」


■いよいよ待ちに待った春です。この時期は講演も少なくゆったりできる。去年は、気になりながらも読まずにいた本を手当たり次第に乱読しました。今年は何を読むか。それを考えるだけで楽しくなる。山小舎にゆけるのもうれしい。ところで今年も山小舎交流会を五月三日(土)、四日(日)の二日間開きます。ご常連は十人そこそこで、まだ余裕があります。参加ご希望の方は、わたしまでご連絡ください。円原川のせせらぎの音を聞きながら一献酌み交わしませんか。
■最近読んだ本から −− 鶴見俊輔『読んだ本はどこへいったか』(潮出版社、02/9)。「デューイは、アメリカ独立宣言をとてもいいものだと考えるが、起草したジェファソンのように、人間が平等に生まれるということを自然の事実として考えない。『人間は事実として平等ではない。しかし道徳的に平等である』という風に独立宣言を解していく。明らかに事実として平等ではない。しかし道徳的に同じ権利を持つというところに問題が生じる。そういう風に考えれば、ジェファソンの独立宣言は今もわれわれの指標になるという考え方なんです。そういう普通人の考え方から哲学を組み立てた。(略)だから高野長英あり、柳田国男あり、武谷三男あり、梅棹忠夫ありという風に考えていけば、日本には日本流のプラグマティズムがある。実は、この千年来の日本の大衆思想は、プラグマティズムなんです。それを退けたところに日本の大学の哲学がある。」(58・60頁)これを読んで、「人間はほんとうに平等ですか」と意見発表した豊田市の小学四年生を思い出した。「人は生まれながらして自由かつ平等である」という観念、ことばから出発しない感性がいい。
1月21日から3月17日まで、岐阜、神奈川、愛知、東京、富山、三重の7 人と1グループ(17人)より計104,970 円の切手、ふみカード、カンパをいただきました。ありがとうございます。支出は郵送費(160号)、封筒、セロテープなど計41,717円です。本『通信』の連絡先は、〒501-1161 岐阜市西改田字川向 藤田敬一(E-mail<k-fujita@h6.dion.ne.jp>,郵便振替 <00830-2-117436藤田敬一>)です。(複製歓迎)