No.156 2002.4.17.


 155 《各地からの便り》は、たいへん多彩で、興味深く拝読しました。考えるということの大切さは、口に出しても、実際に実践するのは、なかなか大変なことだと思います。いろいろなことにとらわれていると、とくに自由な思考というものは難しいのでしょう。常に原点を大切にすることの必要性を教えられているように思います。対極をなすような文章(例「質問書」−1981年北九州市における土地ころがし問題の報道をめぐる福岡県同教会長名による朝日への質問書のこと〔藤田補注〕)も収録されているのでよけいに感じます。
 いよいよ岐阜大学をご退職ですね。こちらはその日がいつなのか、おそらく現行の退職規定にある年まで職場が持ちこたえられるのか、また己の身体がもつのか、わかりませんが、未知であるだけに、かえっておもしろいと思っています。それにしても、わが職場では自らの頭で考え、工夫するという人の少ないことはあきれるばかり。近い将来どのようになるのか、想像できるような気がします。あせっても、いきりたっても仕方がないので、しんぼう強く、できることはやるということでやっていくつもりです。   (兵庫 K・Yさん)
 コメント.
 「自由な思考」「自分の頭で考える」、つまりわたし風にいいかえると「自分の言葉で考え、自分の言葉で表現する」ということは存外むずかしいものです。かつて部落解放論といえば、すぐ「身分と階級」がでてきたものですが、身分といい階級といっても、ちょっと考えはじめるだけで頭が痛くなるほどこんがらがってしまう。解説を読んでわかったような気になったときがあぶない。わからんときは、わからんままにしておく。その決断ができるかどうかが肝心なので。いまようやくそんなふうに思えるようになりました。

 鎌倉はもう桜が終わりです。今年はあれよあれよという間に春がやって来た感じです。「通信」をいつもありがとうございます。ここのところバタバタしていて目を通していなく、先日数枚まとめて読んだら、なんだか頭のストレッチをしたような気分になりました。「考える」ということをしていなかったんだ…と反省しました。小・中学生からのお手紙が載っていましたが、私まで嬉しく元気になりました。ともすると悲観的な気持ちになりがちな今日この頃ですが、新芽が出ているのを見つけたような感じです。
 大学もご退官され(お疲れさまでした!)、これからますます藤田さんの暖かいパワーが広がっていくことをお祈りします。  (神奈川 T・Aさん)
 コメント.
 「新芽が出ているのを見つけたような感じ」というのは、いい表現ですなあ。新芽はどことなく頼りげがない。しかし確実に新しい生命の躍動を感じさせてくれます。人間も同じではないでしょうか。

 お元気ですか。ここ数日は暖かいうららかな日和ですね。おかげで明るく前向きな気持ちになり、通信No.155 の中学生を見習って手紙を書こうと思いたち筆をとっています。「なぜこんなにかっこいい藤田さんにファンクラブがないのか…」というくだりには、思わずニタリ。わたしもクラブができたら入会させていただこうと思います。それにしても岐阜大学に行っても、もう藤田先生がいないかと思うと寂しいかぎりです。藤田先生はますます生き生きされるでしょうが。ここ数年(いえ、もっとでしょうが)小・中学生との交流も素敵だなといつも思っています。
 それから通信153 の「公共性」の中の一文「自らがある場所では肯定されているという感情がおそらく不可欠である。」のは、自己主張をおこない、異論を提起するために不可欠、というだけでなくて、特に議論を必要としない場において、頭で“ちょっと違うよね”と思いながらも、その場では適当にやり過ごしておく、ということができるためにも不可欠なことだな、というのが私の実感です。いえ、適当にやり過ごすことで自分が傷つき、薄っぺらになることを防ぐために不可欠、ということなのかもしれません。(略)先生の通信を読んでいると、先生の顔が頭に浮かび、口調が耳に聞こえてくるようです。ですから通信を読むのが楽しみです。それでは、お元気で。  (岐阜 S・Yさん)
 コメント.
 小学生とはまだ一回しか交流してませんが、中学生や高校生に話をさせてもらう機会はここ十数年増えました。ありがたいことです。
 ところで、わたしはね、いろんな人と出会い、交流するなかで思索してきました。
本も読んだし、人の話も聞きました。しかし、わたしにとって人との出会いと交流ほど勉強になったものはない。いつぞや友人が部落問題全国交流会に参加して「藤田の思索の仕方がわかったような気がする」といってくれたことがあるけれど、その感想はおそらくあたっている。ま、思索の方法は人それぞれであっていい。これしかないというわけのものではありません。ただ、自分にあった思索スタイルをもつことは大切だとは思いますが。

 お元気ですか。岐阜大学、長い間お疲れさまでした。今はきっとほっとひと息ついていらっしゃることでしょう。講演活動で、中学生にお会いになることもあるのですね。先日の通信、興味深く読ませていただきました。今どきの若い者はという前に、まず大人が、どのように子どもに接しているのか、大人自身がどんな生き方をしているかが大切なんだと思いました。いつまでも若々しい感性を持ち続けていらっしゃる先生をうらやましく思いました。  (愛知 I・Tさん)
 コメント.
 小・中・高のみなさんと向きあって気づくのは、職種・職業・肩書き、立場・役割から立派なことをいくら語っても、ウソッパチはすぐ見抜かれるということです。その眼力はすごい。大学生も同じで、権威や権力にあぐらをかく教員はひそかに軽蔑されてました。わたしがいくらかでもそういう連中と一線を画すことができていたとしたら、それはあるがままの自分をさらけだすしかないという開き直りのせいかもしれんな。

 通信No.155 「DEAR藤田敬一さん」、中学二年生のお便りを楽しく読ませていただきました。私も人権研修の講師を約十年間担当しましたが、その都度「研修をやりましたと運動団体へのアリバイづくり」のために義務で感想文を書かせて毎年7,000 枚を読んでいました。もともと、会社が社員に研修への参加を強制して、そのうえ感想文も義務として書かせるのですから、ほとんどは無味乾燥なものです。でも、偶に、受講者の気持ちが素直に読みとれるものがあり、私自身救われたように感じることもありました。
 さて、一月末に満60歳定年退職しまして、失業保険の受給手続中で現在は無収入(略)ですが、何ものにも拘束されないこと、出勤のため早く起きる必要がないのでゆっくり朝寝が楽しめることなど、仕事を辞めたのはなんて良いのだろうと思っています。(略)体調も現在は落ち着いて通常の生活に支障は無いので、少しゆっくりして、生活のリズムが整えば、これまで折角学んだことをいかせたら良いななどとも考えています。京都の研究会へも出来るときは参加させていただきます。  (大阪 I・Hさん)
 コメント.
 人権研修はダメだと全否定するのも、素晴らしいと全肯定するのもせっかちな話。
強制と義務にもとづく研修であろうと、その場に一人でも二人でも人間の問題に心を開き、心を向けてくださる人がおられるかもしれないと考えて精いっぱい語りかけるしかない。だから七千枚の感想文のなかに一枚でも交感できるものがあったとすれば、以て瞑すべきです。I・Hさんが退職後、研修講師十年の経験をいかせる分野を見つけだされることを願っています。

 チュウリップの花が咲き始めました。もう春です。長い教員生活、お疲れさまでした。自由人になられた感想はいかがですか。
 松江に来られると聞き、お会いできるのをとても楽しみにしていたのですが、出席できなくて残念でした。中学校での講演のことなどお聞きしたかったです。『通信』に掲載されていた中学生からの手紙(ラブレター)を拝見し、彼女のとても素直で柔らかい、いや若々しい感性の文章が、私にいろいろなことを気づかせてくれました。
 その一つはコメントの中でも指摘されていた、「藤田さん」ではなく、「藤田先生」と言ってしまうこと…。私もそう呼んでいた一人として、それは私の中で、どういったことを含んでいるのか考えてみました。(考えるまでも無いかもしれませんが…遅まきながら)
 「先生」と言ってしまうことは、対等な人間関係の中では存在しないこと。そう呼ぶことによって、自分を相手に預ける、寄りかかろうとする、楽な立場にいようとする…そんな安易な考えが働いていたナ…と思いました。彼女は、一人一人が対等な人間として、接していくことを素直な文章の中で教えてくれました。今まで言葉では、私自身そう言っていたのに…です。そして「今まで会った人の中で一番かがやいて見えました」と、そう言わせる藤田さんと、それを感じた彼女に拍手です。(静かなファンクラブなら、米子にもありますが…)
 昨年『通信』に載せていただいた手紙にも書きましたが、「一人でもできること…」については、まだ見つけずにいます。でも今はこうして藤田さんに手紙を書く中で、自分を問い直し、何かを発見していくことでも良いのではないかと思っています。  (鳥取 Y・Tさん)
 コメント.
 相手を先生と呼ぶか呼ばないかは、慣習や馴れの問題もあって一概にこうすべきだといえないところがある。みずからの内面に問うて感じるところがあれば、それを見つめる。その先はご本人がお決めになればよろしい。わたしは岐阜大学で初めのうち同僚同士で先生と呼びあうのはやめませんかとまわりにいったことがあるけれど結局ダメでした。また五年ほど前の教授会で、「藤田先生のご意見は」などとぬかす奴に「あんたに先生と呼ばれる筋合いはない」とヤジを飛ばしてやったけれど、馬の耳に念仏でした。ことほどさように慣習と馴れの力は強いのです。やはりここは「わたしはこのような呼び方をします・しません」と決めるしかないのではないかなあ。

 野町さんの記事をめぐるあれこれ、とても興味ぶかく読ませて頂きました。私も大いに刺激をうけて齋藤純一さんの「公共性」を三読し、ようやくあの本の革新性に気がつきました。教育現場で日々のくらし(仕事)に埋没していると、感性がにぶるのでしょうか。  (京都 N・Jさん)
 コメント.
 長田弘『詩は友人を数える方法』(講談社学芸文庫、99/6)をもじっていえば、「よき友は読書の水先案内人」。「こんな本があるよ」と教えてくれる友人がどれくらいいるかで、読書人生が豊かにもなれば貧しくもなる。大西巨人『神聖喜劇』(光文社、78/7〜80/4、いま文春文庫)、中野孝次『ブリューゲルへの旅』(河出書房新社、76/4)を教えてくれたのは京都の友。石光真清の手記『城下の人』以下五冊(龍星閣、58/6〜59/11)を教えてくれたのは岐阜の友だった。おかげでわたしの読書範囲がずいぶん広がりましたよ。最近では野町さんから丸谷才一『笹まくら』(新潮文庫、74/7)をすすめられて一読、久しぶりに小説を堪能しました。だから、N・Jさんも「感性が云々」などと気にしないで、おもしろそうなら躊躇することなく手にとって濫読なさればいい。

数年前、藤田さんから「般若経の全否定のことを思っています」とお便りを頂戴し、以来何十年ぶりかで「般若経」をはじめ中観派の人々の書(勿論翻訳)を読み返し、うつらうつらと考えているうちに、凄いことになってしまいました。
 何もないものも分節化し、差異を見いだし、「コレコレしかじか」と言語化してきた。経験といい知識といい、無を分け、名付け、差異を確認する作業なしには成立し得ません。そうして、それらは良い意味でも悪い意味でも、欲望が支えることで、実体化しているように錯覚してしまう。錯誤は相互主観化されることで、いよいよ強固なものになっていく。そういう頑迷な錯覚の積み重ねが、合衆国の惨劇をもたらしたひとつの要因でもあるのでしょう。「あなたの常識は私の不思議」とブレヒトは登場人物に語らせましたが、実際、元々無いものから出発しているのだから、「あなたの正義は私の不義」と言い換えても何の不思議がありましょう。でも、こういう相対化は「両側から超える」力にはならない。元々超えるべき「両側」が無いのですから。  (千葉 T・Aさん)
 コメント.
 「住所変更のペンを執って酔いに任せてすべってしまいました」ともあり。一杯やりながらのお便りらしい。酔いにまかせて気ままに書く。こういう感覚は、わたしは好きです。さて、「元々超えるべき『両側』が無い」とのことですが、それには「両側なるものはない。しかし、ある。あるけれど、しかし、ない」としか応えようがありません。命題を立てる。ところがその命題にとらわれてしまう。そこで命題を否定する。しかし、こんどは命題の否定にとらわれる。だから命題の否定も否定する。「般若心経」や「金剛般若経」から学んだのは、たしかそういうことではなかったかなあ。



 伏見憲明ほか著『「オカマ」は差別か−「週刊金曜日」の「差別表現」事件』
 (ポット出版、02/2)

野口(勝三) 反差別運動全体の今の中心的な考え方というのは、「差別の問題をマイノリティがマジョリティに対して説明する責任なんかはない。マジョリティがマイノリティの立場に立って自分の抑圧性というものを深く反省しないといけないのだ」というものなんですね。これは、僕が恣意的に言っているわけじゃなくて、例えば、上野千鶴子さんが編者をされた『岩波講座 現代社会学15 差別と共生の社会学』(岩波書店、1996年)という本があるんですが、収録されている論文の多くがそういうトーンで貫かれています。ですがこれは、やっぱり間違い。変えていかないといけない。
伏見(憲明) どうして間違いなんですか?
野口 この論理を徹底していくと、マジョリティはマイノリティから抗議を受けた場合、「弱者の意見を聞かないといけない」ということだけが、義務として要請されますが、適切な異議申し立てを逸脱したと思える抗議に対しても反論することができなくなってしまいます。
  「最も弱い弱者」とか「一番傷つきやすい人」というのは、理念として想定されるだけで、現実には存在しないんです。存在するのはあくまでも、特定の「問題意識」から見出される個別の弱者です。そして、この「問題意識」が妥当なものかどうかは、互いの議論の結果、同意として得られるものであって、それはマジョリティの一方的な反省によって導かれるものではありません。(略)差別の問題で重要なのは、ある絶対的な弱者っていうのがいて、その言うことをみんなが聞かないといけないということじゃなくて、それが本当に差別に当たるかどうかについて開かれた議論を常に行って、共通了解を作り出す努力を続けることができることなんです。
松沢(呉一) つまり、本人が判定するんじゃなくて第三者も含めて判定していくしかないということですね。ところが、既存の差別反対運動の中に、当事者が唯一絶対の判定者だっていう考え方が非常に根強くあります。もう十何年も前に『同和はこわい考』(阿吽社、1987年)っていう本が出て、著者の藤田敬一さんは二つの思い込みに対して疑問を呈してました。一つは、【ある言動が差別にあたるかどうかは、その痛みを知っている被差別者にしかわからない】。もう一つが、【日常部落に生起する部落にとって、部落民にとって不利益な問題は一切差別である】(同書57頁)というものです。これに対して藤田さんが異議を唱えたわけです。『週刊金曜日』の「性と人権」の中でも、「差別された者にしか痛みはわからない」といった言葉はずいぶん出てますよね。これは差別された者は間違いをしないっていう前提で成立する話じゃないですか。これに対して、抗議された側は、反論のしようがないわけです。つまり、議論を拒絶することでしかないんです。この発想は、差別されたと思った人は「被差別者」というグループに属し、彼らが差別した側と見なした人は「差別者」というグループに属し、差別という事象を判定する権限は「被差別者」のグループにしかないということですから、実は差別の構造の逆転なんです。どのグループに属するかの属性だけで、その発言が決定されてしまうんですから。(略)
野口 (略)「差別を受けた人間以外はその痛みはわからない」という言い方は、一見正しいように聞こえるんだけど、やはり問題で、もしそれがまったく想像できないものだったら、結局抗議を受けた人は、その問題を自分の問題として考えることができないということになってしまう。(略)大事なことは、「痛み」の絶対的な了解不可能性を強調することではなく、相手の立場に立ったとき、自分の問題に引き付けて考えることができるように、問題を提出することです。このとき抗議を受けた側は、はじめてその問題を自分の問題として受け止めることが可能となり、そこでは差別をなくす可能性が拓(ひら)かれるんです。(略)
 コメント.
 前号に、本書の「発行にあたって」という沢辺さんの文章をコメントなしで採録したため、みなさんのなかにはとまどった人もおられたかもしれません。申しわけなし。『週刊金曜日』という雑誌の特集記事中の「オカマ」という言葉をめぐって議論がおこっており、そこで『こわい考』が取りあげられているとは、沢辺さんから本が送られてきるまでまったく知りませんでした。『こわい考』に書いた「差別判断の資格と基準」にかんするわたしの考えが、こうして振り返られるのはやはりうれしい。しかし、差別問題をめぐる情況にあまり変化がないことも知らされたわけで、前途遼遠、焦らずやっていくしかないなと、あらためて感じ入った次第。
 なお、上に採録した発言者の肩書きは、本書記載によれば野口さんは文筆業、伏見さんは評論家、松沢さんはライター。



「退職後は、どうするんですか」と心配そうにたずねる人がおられて返事に困りました。「いや、岐阜大学を退職するほかはこれまでどおりですけど」と応えると、なんとも申しわけなさそうな顔をする人がいておかしかった。例年、四月初めはのんびり、ゆっくりするので、まだ退職の実感はありません。徐々にわいてくるかもしれませんが、まあたいしたことはないでしょ。休講が多いので有名な某東大教授が退職後の朝、無意識に東大に向かって歩き始めたという話を聞いたことがあるけれど、わたしの場合はまちがってもそういうことはない。岐阜大学のキャンパスを右に見たり、左に見たりしてもけっしてまっすぐ見ることはありますまい。事後処理としてハンコを押しにこいといわれる以外はね。アハハ。
三月十一日は松江で、三十日は京都で、友人たちが「退職と出立」を祝う会を開いてくれました。そのほか岐阜でも祝ってくださる会がいくつかあり、三月末は胃も肝臓もフル回転でしたが、日ごろの鍛練のおかげで無事クリア−。みなさんには心からお礼を申します。ありがとうございました。
「敬一さんの言葉にはっとさせられることがたくさんありました。今まで人間についてふかく考えたことなんてあまりなかったので、この講演を聞いてとてもよかったと思いました。敬一さんは大学をやめるといっておられたけど、まだまだやめてほしくないと私は思いました。敬一さんの話の中でもあったように、周りの見えていない人たちにもっとこの講演を聞かせるべきだと思いました。」島根県斐川町の中学一年生の感想文です。「敬一さん」、ああうれしい。なんともうれしい。うれしいとしかいいようがない。
大学を去るにあたって一番の問題は『通信』の印刷をどうするかということでした。印刷屋さんにたのむということも考えました。でもね、わたしはこの『通信』 を自分でつくりたいと思ってやってきました。重要な制作過程を人にゆだねては、「わたしの通信」でなくなってしまう。そんなことをあれこれ考えた末、印刷機 (RISOGRAPHRP310)と自動紙折機(HorizonPF-P280)を買いました。これからはそれらの機械のためにもきちんと発行せなあかんと覚悟しとります。
3月3日から4月8日まで、大阪、滋賀、三重、和歌山、岐阜、兵庫、神奈川、京都、鳥取、宮城の延べ24人の方から計109,730 円の切手、カンパをいただきました。多謝。支出は郵送費(155号)計40,860円。本『通信』の連絡先は、〒501-1161岐阜市西改田字川向 藤田敬一(E-Mail<k-fujita@h6.dion.ne.jp>,郵便振替<00830-2-117436 藤田敬一>)です。おわびをひとつ。前号本欄で郵便振替の番号をまちがえてしまいました。ご迷惑をおかけして申しわけありません。上記番号はあっています。(複製歓迎)