No.154 2002.2.8


わたしを揺るがした二週間(下)     野町 均

(11月21日の項のつづき)
 齋藤純一『公共性』を読みはじめる。昨年5 月に刊行された際すぐに買っておいたのに、なんと一年半もツンドクにしておいた不明を羞じた。カントは思考を他者に伝える自由を「自らの理性をあらゆる点で公共的に用いる自由」と呼んでいて、齋藤氏はその点について「自らの属する集団の利害や自らのおかれている社会的立場に拘束されず、公衆一般に向けて自らの意見を表明することである」と解説してくれている。
 もうひとつ。カントは公開性を欠くならばどのような正義もありえないと述べる。
そうして齋藤氏は「公開性は、不正を認識するための批判的尺度を提供する。公開性は正義を推定すべき根拠を直接私たち与えてくれるわけではない(中略)が、公開性の拒絶は、その意志が不正義であることを推定すべき根拠を私たちに与える。公衆の批判的吟味に対する十分な開放を拒むような立法(政治的意志決定)は、何らかの不正の要素を隠していると判断されてしかるべきなのである」と説明する。
 住田さんへのクレームやヤミ融資事件についての、哲学的というか根底的な批判の核心はカントにあって齋藤氏はそれを現代に甦らせているではないか。部落問題の世界でも何かといえば、理屈にすぎないとか、現実から離れた理論家の戯(ざ)れ言(ごと)だとかと口にする人がいるが、理論的思考とはそんなヤワなものではない。わたしは、この文章を読んで、理論的思考からくる独特の強靭さを感じた。いうまでもなく、この強靭な力は現在の部落問題をしっかりと捉えている。同和行政についての公開性と正義(正統性)はこれから問われるべき大きな問題である。

11月22日(水)
 障害児学校に勤めるU先生よりメール。
 「朝日の記事を読みました。写真入りで、しかもなかなか大きなスペースの記事となっていますね。内容も、多くの人が心では思ってはいるがなかなか言葉にしては言いにくいことをはっきり書いたということで、一般的には大いに評価されるのではないでしょうか。しかし反感を抱く者も確かにいるかもしれないしれませんね。陰湿なリアクションなどなければいいがと、その点少し心配です。どんな反応があったのか、またそのうちお知らせ願えたらと思います」

11月23日(金)
 「ご無沙汰しています。昨日の朝日新聞の『私の視点』拝読しました。平明な文体で内容も全うなご意見、感心しました」。先年高校教諭を退職した従姉からの葉書である。率直に言ってうれしい。礼状に8 月号の「こぺる」を添えて送る。
 「自らの言葉が他者によって受けとめられ、応答されるという経験は、誰にとっても生きていくための最も基本的な経験である。この経験によって回復される自尊あるいは名誉の感情は、他者からの蔑視や否認の眼差し、あるいは一方的な保護の視線を跳ね返すことを可能にする。自己主張をおこない、異論を提起するためには、自らがある場所では肯定されているという感情がおそらく不可欠である」(『公共性』)
 ここには自分自身のうれしいという気持のその底にある感情が「ある場所での肯定」にほかならないことがくっきりと示されている。それこそいろんなリアクションが予想されても敢えて訴えてみようと思うのは「ある場所での肯定」に支えられている。なぜか「魯迅は勇気というよりも勇気の素を与えてくれる」という竹内好の言葉が思い出された。
 くわえて、「他者からの蔑視や否認の眼差し」と「一方的な保護の視線」を「跳ね返す」視点は差別について考えるための大きな示唆をあたえてくれている。

11月24日(土)
 ツンドクにしてあったハンナ・アーレントの『人間の条件』を読まなくてはと近所の喫茶店へはいったところ、たまたま先客のなかに以前同じ高校に勤めていたO先生がいて、「先日の記事を読みました。なかなかよかった。頑張ってますねえ」と声をかけてくれた。英語の先生で、先年退職されている。「私の視点」欄についてよく知っているらしく、あれは投稿ですか、依頼原稿ですかと訊ねられたので、依頼はありましたと答える。
 夜、興津(おきつ)闘争で有名な窪川町の人権教育協議会のS氏から電話。よい内容だったと述べてくれたうえで、来年2 月の町の人権教育協議会大会でのコメンテーターよろしくとのこと。以前に依頼されており、ここ3 年連続して参加させてもらっている。記事は問題にならなかったようだ。

11月26日(月)
 今月はじめから柚岡正禎「行政闘争とは何であったか−部落解放運動の責任論」(「こぺる」’01・9 月号)について感想を書きはじめていた。9 月の部落問題全国交流会の席で柚岡さんから感想を求められて、さらに氏とメールでやりとりしているうちに、氏のお勧めもあり、また自分自身の考えをまとめておかなければと思い、ぽつぽつと書いていたのだが、なんとかかたちになったので、書簡形式にして柚岡さんに送った。もっと早く柚岡さんに応えるつもりが、朝日の件がはいってやっときょう書き上げた。まだ手直ししなければとも思うが、もう緊張がつづかないので、とりあえず責任解除とする。けっこう精神的には疲れているみたい。

11月27日(火)
 柚岡さんよりメール。朝日の記事の感想を添えてくれていた。
(1)まず『こわい考』をしっかり取り上げてくれてうれしかった。
(2)そして、そこから、単刀直入な言葉で「暴走を生む心理」の核心部分を取り出
  したのはよかった。あなたの大胆さ、剛毅さを感じました。このポイントをし
  っかり述べなければ何も分かってもらえない。
(3)次に、批判や議論することの大事さ(これがすべて)を最重要な点として強く
  のべたこと。これも良かった。共感できました。
(4)「一連の出来事はどうして起こったのか」
  この問いへの応えかたがわれわれの間で微妙に異なるわけですが、「暴走を生
  む構造」をぜひ展開してほしいと思いました。その「構造」というものが、時
  代情況抜きの、つまりどの時代にも当てはまる人間関係の一般的な心理構造、
  でいいのかどうか、が問題だと思います。

11月29日(木)
 Tさんの自宅に電話。土曜日の午後、お宅に伺うと約束。
 高校の教員で、友人のW氏が、きょう知ったと職場へ電話してきてくれた。心配して反響を聞くので、Tさんのことを話す。Tさんは記事には不満の口調だった。内容については議論しようと思う。というか、いまのところ唯一、反論しようとしている方なのだ。それに、なんといっても、文章に目を通してくれて、筆者であるわたし自身に電話をかけてきてくれている。
 W氏は「そうねえ、陰険なのは教育委員会とか県庁へ文句付けてくるからなあ」。
 あの教員には教育委員会としてこれまでいかなる指導をしてきたか、今後どういう指導をすればよいと考えているか、といったことを言ってくる人がいたりして……だから先日、県の教育委員会のS氏から仕事の件で電話があった際、記事のはなしにおよぶと、行政機関は憲法上の言論の自由を保障しなければならないのだと理屈ではわかっているのに、「委員会にご迷惑がかからなければよいのですが」と口にしたのだった。
 電話を切ったあとで、「お騒がせ」を嫌う日本的な?心情に自分が捉えられていることで自己嫌悪に陥ってしまった。行政職員の「お騒がせ」を避けなければならないといった気持が不正融資に走らせたのかもしれないのに、それを採り上げて原稿を書いた自分が「お騒がせ」を避けたい気持を口にしている。
 それはともかく「今回の件でそういうことがあったとはいまにところ聞いてないが、あったかもしれない。なにはともあれ緊張した心と身体を癒しに次の日曜、月曜は夫婦で東京へ「亡命」します。ANAの超割航空券も取ってあるし、それにラグビーの早明戦のチケットも取ったからね」「なに、夫婦揃って年休だと。たいした余裕じゃないかね」「いえいえ、めっそうもございません」。
 ここまでのところを反響レポートとして上丸さんに送付。

11月30日(金)
 上丸さんからメールが届く。
 「メール、ありがとうございました。食い入るように読みました。(中略)機会があればTさんに、新聞社としては反論大歓迎です、とお伝えください。それと、『公共性』という本、私も読んでみることにします。野町さんのいわば常識的な意見が、こうした反応をもって迎えられるところに部落問題の現状が端的に表れているようにも思います」。

12月1 日(土)
 昼食後、Tさんを訪ねる。氏は今回の記事とともに、不正融資事件についても話しておきたいと言う。そしてはなしの多くはその件についてついやされた。ご自身のかかわりというか、自分がいかにかかわってないかを縷々説明された。それについてはここでは書かない。第一には、記事の反響とは関係ない、第二には、Tさんは公判の進展によっては証人として出廷する可能性があり、それを考慮に入れるとやはりみずからが機会をとらえて真相を明らかにすべきだと考えるからだ。
 ただ、記事で事件を採り上げたことじたい不満のようだったから、わたしは「記事は、事件に触れてはいますが、直接論じたものではありません。14億円の融資については詐欺・背任事件かどうかが審理中ですから、ひとことも触れていません。ただ12億の不正融資、いわゆるヤミ融資は議会制民主主義の基本的手続きからして批判されるべきであり、じじつ元副知事の逮捕の容疑はこの部分に関してだったのですから、明記しました」と述べた。
 記事についての会話の大略を以下に記しておく。

 T 大阪のYさんが記事について電話をかけてきて、Yさんの知り合いが、あれ
   はどういった人か、共産党の差別を煽る文書のようにも読めるので、心配だ
   と言っていた。それで、記事を読んで、野町さんに電話をした。
 N 読み方は自由ですし、どんなふうに読まれても、仕方のないことです。ただ、
   わたしは、ヤミ融資事件をふくむさまざまな利権、不祥事が部落問題に大き
   な影を落としていて、同和対策事業が終了しても、ひろい意味で「こわい意
   識」、イメージが部落問題に作用するであろう点を問題にしています。それ
   は、解放同盟にとっても大きな課題であるはずです。もっといえば、そうし
   た意識、イメージは「けがれ」意識よりずっと大きな問題だと思っています。
 T そうかもしれない。だが、あの記事は知識、知性で部落問題を理解しても、
   感性、感情で理解してもらっているとは思えない印象がある。
 N 藤田さんの引用箇所をふくめてのことならば、わたしは「こわい考」からの
   引用は絶対必要でした。Tさんとわたしはこんなふうに会話ができますが、
   そうでもない人だっているじゃないですか。この、そうでもない人の問題と、
   便宜供与によって平穏と安全を確保しようとする人の態度が関係しているの
   をTさんだってわかっていると思うのですが。
 T それはわかる。野町さんの気持もわかっている。ただそのような主張は共産
   党の考え方と見まがうような、紙一重のところにあるのかな。

帰りの車のなかで、数年前に京都で開催された部落解放全国研究集会(全研)で、Tさんが、共産党の批判がどうあろうとも、同盟の主体性をしっかり確立して、信頼される活動をしていこうと訴えていたのを思い出した。
 あれやこれやのやりとりのあと、わたしは「ひとつの事件がずっと報道されてきました。多くは高知新聞から見た記事でした。でもTさんから見た事件はちがった様相になるとすれば、まずそこを明確に、事実をもってあきらかにすべきだと思います。高知県連は昨年(2000年−藤田補注)末執行部が総辞職して、再建大会を開きましたが、事件についての現執行部の見解ともちがっておれば、そのこともあきらかにすべきではないでしょうか」と言った。
 Tさんは「そのとおりだ」と答えた。
 「いまだいじなのは、高知新聞やオンブズマンの活動に対して不満はあっても、情報公開に耐えられる運動でなくては信頼回復は困難なのですから、そうしたこともふくんで、Tさんサイドから見た事実をあきらにすることではないでしょうか」と言うと、氏も賛成してくれた。

12月2 日(日)
 東京へ「亡命」。国立競技場でラグビーを観戦。ひとやすみして、「すみれ」へ。
上京すると必ず寄せてもらう、生涯おそらくたった一軒になるだろう行きつけの店だ。お母さんが切り盛りをしていて、嫁いだ娘さんが手伝っている。十人あまりでいっぱいになるカウンターだけの素敵な店。「青刀魚(さんま)焼く煙や路地のつゆ時雨」という荷風の句を思い起こさせる、古い東京の面影を湛える根津の路地をあるいて、カウンターに座る。ビールをひとくち飲むと娘さんが「野町さんあれ見て」と言うから指先が示すほうを見れば、壁に朝日新聞のコピーが貼られてあった。



山下 力(奈良県部落解放同盟支部連合会理事長)
 
「差別解消−行政依存脱し共同の営みを」(『朝日』名古屋本社版、01/12/24)

 69年に特別措置法が施行されて以来32年間に、国と地方を合わせて約15兆円に及ぶ同和対策事業が実施されてきた。高度経済成長という追い風と相まって、「部落」とその周辺地域との生活実態面での格差は、93年総務庁「同和地区生活実態等調査」に明らかなように、ほぼ解消した。政府は所期の目標が達成されたとして来年3 月末をもって特別法に基づく同和対策事業を終了することにしている。
 確かに、住環境は著しく改善された。教育と就職の機会均等が実現して50歳以下の「部落民」は多種多様な職域に進出している。
 しかし「部落差別」がなくなったわけではない。総務庁の調査によると、「部落民」の3 人に1 人が差別をうけた体験をもっている。なのになぜ国は同和対策事業を終了させるのかと疑問をもつ運動団体や関係者も少なくない。部落解放運動は岐路にあって鼎(かなえ)の軽重が問われている。
 まず一番目に問われるべきことは、運動体が、対策事業によって差別の解消を図ろうとする69年の同和対策審議会「答申」路線と決別することである。生活実態格差の解消が差別解消に直結しないことが明らかになって「答申」の骨格が崩れてしまった。差別解消を「国の責務」とする「答申」の基本姿勢によって、解決の責任が行政に一元的にゆだねられ、運動体に著しい行政依存の傾向が生まれた。事業をめぐって利権屋のばっこを許したのもこの体質ゆえである。差別を媒介とする人と人との関係、共同体相互の関係を対等で豊かなものに変えていく営みの主体は行政にではなく、「部落民」と周辺の人々であることは論を待たない。
 二番目に問われるべきことは、解放運動や教育・啓発活動における目標の設定である。「一切の差別のない世の中」といった高邁(こうまい)な目標は大衆的な取り組みの足かせとなってきたのではないか。差別に出くわしたとき、46.6% の「部落民」が「黙って我慢した」という(総務庁調査)。「部落民」が差別されねばならない根拠は何もない。しかし、差別する側が根拠のごとくあげつらってきた「部落は怖い。柄が悪い」等々のイメージを「部落民」の側が自らの意識の中に内包させてきたのも事実だ。このコンプレックスを払拭(ふっしょく)できないままの逡巡(しゅんじゅん)がかなしくもくやしい。その場でとりあえず「異議申し立て」するための知識・スキル・態度や自尊感情の涵養(かんよう)が求められている。
 三番目に問われるべきことは、「部落」内外の人々の共同の営みである。かつて差別がいたるところで露見し、結婚をめぐって自死する人も少なくなかった。だからこそ、運動体は特別措置法制定から今日まで、まずは「部落差別」に焦点をあてたとりくみを求め、行政や教育関係者もこれを受けとめてきた。また、人々の偏見に問題ありとして学校や社会教育の場で「正しい知識」が繰り返し注入され、運動体は差別する側を「糾弾」してきた。
 しかし、行政の実施してきた啓発活動や研修は「また同和か」と揶揄(やゆ)されるようになった。「糾弾」も人々の恐怖心をあおりこそすれ意識変化に導ける場面は少なかった。これらの方策に間違いはなかったか。
 奈良県には93年から「部落解放同盟奈良県連合会」を名乗る二つの団体が存在した。その一つだった私たちは今年4 月に改称し、規約も新しくした。いじめや不登校、児童虐待など地域社会の喫緊(きっきん)の課題の解決に向けて、「部落」内外共同のネットワーク形成に有効にかかわっていけるか否かが問われている。


●カメムシが多い年は大雪」という言い伝えどおり山小舎のあたりは積雪が1 mをこえたらしい。今年は四月にならないとゆけないかもしれません。五月初めの山小舎交流会までにはティーピーの幕を張ったり、ダッチオーブンの準備もせんとあかん。ああ、春が待ち遠しい。
前号本欄で紹介した小学生とは三重県員弁(いなべ)郡の六年生十五人です。おたずねがあったので記しておきます。ついで十二月中旬には岐阜県垂井町の不破中学校へ。「みんなはあの後から一生懸命“思いやり”について考えて、自分なりの良い答えが出せたと思います。僕にとっての思いやりは、やしさの中にある厳しい心です。やはり人間、厳しくないといけないと思いました。男・女ではなく一人の人間として生きていきたいです。」生徒会長のTさんからもらった賀状の一節。三月には島根県斐川町の中学校へ。どんな出会いが待っているか楽しみです。
最近読んだ本から   朝日新聞西部本社社会部『土地ころがし』(葦書房、82/12)を再読。これには「文化人四氏(野間 宏・井上 清・奈良本辰也・日高六郎)による解放同盟への要望書」が収録されている。「『朝日新聞』は(略)北 九州市の同和行政をめぐる土地転しについて報道していますが、部落解放運動に強い関心を抱き微力ながら協力してきた私たちの見過ごせぬところとなっています。同紙は、この事件を部落解放同盟の地方幹部と北九州市当局との癒着によって生じた『構造汚職』と断じて鋭く批判し、かつそれを実証するかのように小倉地協役員の総辞職と臨時大会の開催を伝えております。これらの報道が事実であ るとすれば、部落解放運動六十年の歴史において、これ以上に由々しい事態はありません。/(略)推察を逞(たくま)しくすれば、あるいは当該地方幹部の交替によって責任を取らせたごとくでありますが、このようなことでは、到底、『朝日新聞』の批判に答えたことにならず、また同紙の記事によって読者に刻まれた悪印象を 拭いさるわけにはいかないと考えます。(略)人間の全体としての解放をもとめ、全国水平社創立以来、いかなる受難をも恐れず闘いつづけてきた部落解放運動は日本の最底辺に発しているが故に根元的であり、今日、文明の危機に直面した私たちが心から期待を寄せるところでもあります。これこそが、私たちをひきつける所以であり、この運動を主導する諸先輩と手を携えてきた根拠です。/『朝日新聞』の報ずる事態は部落解放運動の理念に背き、私たちの期待に全く反するも のであり、したがって黙視できないところであります。私たちは全世界の未来を切り開くためにも部落解放運動と共にあり、ますます連帯を固めたいと願っていますが、このためにもいま貴同盟が真実を明らかにし、抱いておられる見解を十分示されることが不可欠だと考えます。(略)」81年12月10日付のこの要望書にもられた四氏の期待はかなえられなかった。それから二十年、四氏のうち三人は亡くなられたが、いまとなっては部落解放運動は「人間の全体としての解放をもとめ」、「日本の最底辺に発しているが故に根元的であ」るとする文言は読む者を戸惑わせる。それは高知県の事例をはじめとして深刻化する事態そのものが発想、思想、理論の新たな枠組みをもとめているからにちがいない。
12月24日から2 月8 日まで、愛知、埼玉、東京、大阪、鳥取、岐阜、三重、福岡の延べ10人の方から計54,400円の切手、カンパをいただきました。多謝。支出は郵送費(153号)38,890円。本『通信』の連絡先は〒501-1161岐阜市西改田字川向 藤田敬一(E-Mail<k-fujita@h6.dion.ne.jp>, 郵便振替<00830-2-117436藤田敬一>)です。(複製歓迎)