No.150 2001.7.26.
長田弘さんを読む(2)

● 「深呼吸・全体を見る目・希望」という秘密を見つけた
          坂倉 加代子(三重)


 一体、長田弘という人は、これまでにどれほどの本を読んだのだろう。著書を読むたび、登場する本の量に私は驚く。その分野の広さ、読みの深さ、確かさ、新鮮さに圧倒される。
 臨床心理学者の河合隼雄(はやお)との対談で構成された『子どもの本の森へ』(岩波書店、1998年)を読めば“子どもの本も詳しいのか”と、子どもの本にずっと興味を持ち続けてきた私が悲鳴をあげる。
 著書『本という不思議』(みすず書房、99年)の中で「本を読むことはたやすいことのように思えますが、思うほどたやすいことではありません。本を読むには積極的に心を働かさなければならないからです」とあるのを読むとよけいに長田弘の読書エネルギーが測りしれなくなってくる。
 本そのものは秘密だと彼は言う。「そこに本があるということはそこに秘密があるということです」と。そして秘密というのは「理想主義という秘密」だと説明している。
 『子どもの本の森へ』において、「秘密は『隠す』ものではなくて、『見いだす』ものなんです」と述べているから、本を手にとることは本の秘密を見い出したいという行動と言える。意識するしないにかかわらず本を読むということは、自分自身の理想を描く努力とも解釈できる。
 長田弘は言葉を重んじる。長田弘の本の世界で、とぎすまされた言葉に私はうなる。と同時にその昇華された言葉に時々私は拒否反応を起こす。読書量の割には言葉を持たない自分自身をなぐさめるための自己防衛的なアレルギー反応のようなものだ。ところが「ツンドク(積ん読)だけで読まなかった子どもの本というのを、大人が自分のなかにどれだけ持っているかが、じつはその大人の器量を決めるんじゃないかなあ」などというやわらかさに出会うと、たちまち拒否反応は消えてなくなる。
 新刊が出るとすぐ本屋に走る。そして再び長田弘の言葉に心をふるわせ、読み終わるのが惜しい気持を愉しんでいる。
 この、人を離さない言葉の魅力は何か。ひとつは子どもの目の魅力だと思う。著書『子どもたちの日本』(講談社、2000年)の冒頭に「ひとは子どもから大人になるのではありません。子どもとしてのじぶんをそこにおいて、ひとは大人というもうひとりのじぶんになってゆきます。そこにというのは、じぶんのなかにです」とある。大人になるほどに小さくなりがちな自分の中の子どもが長田弘にはキチンと存在しているように私は感じる。それは、彼が「子どもにとっても、大人にとっても原点なんですよね、子どもの本が」と語っているように(前掲『子どもの本の森へ』)、子どもの本に親しんでいることから察せられる。
 河合隼雄は子どもは人間の原型だと言い、養老孟司は子どもは自然だと言っている。長田の言葉の裏側に人間の原型と自然を私は直感する。
 もうひとつの魅力は、彼の散文詩『深呼吸の必要』(晶文社、84年)を取り上げた「天声人語」の言葉を借りれば、長田弘の作品には“時代の魂”があるということだ。
 八四年発行の『深呼吸の必要』では、人生に深呼吸が必要なように今まさに時代そのものが深呼吸を必要としているのではないかと問うた。
 九八年の『子どもの本の森へ』においては「大人の本だと、いちばんの関心事がどうしても人と人の関係みたいなところだけにいってしまいがちになるけれども、子どもの本はちがう。人に対する関係と同じように、動物に対する関係とか、川に対する関係とか、お月さまに対する関係とか、さまざまな物と深い関係が結べて、しかもそれはとても大切なんですね。(略)装丁、タイトル、さし絵、人物や物の名前、言葉のリズム、そういうもの全部が、子どもの本では意味をもってるんですよね」と言い、また名作『赤毛のアン』を語る場面では「ぼくがうまく言っているなあと思ったのは、なぜ庭とか果樹園とか小川とか森がすばらしいかというとき、一つ一つのものではなくて全部で『大きな、なつかしい世界』をつくっているからだとアンが言うところです。もしかすると二十世紀はそれをずいぶん失ってきたのかもしれない」と自問している。長田弘は切り口を変えながら全体を見る必要を淡々と語っているのではないか。
 さらに二〇〇〇年に著した『子どもたちの日本』では、ロシアの作曲家ムソルグスキーが残した「子どもは幼い人間なのではない。独特の小さな世界をもった人間なのだ」という言葉に続けて、「子どもを独特の小さな世界をもつ人間にするものは、希望です」と彼は言い切り、「ほとんどの大人たちは希望というような言葉を、いまではちゃんとじぶんではつかえなくなっています」と嘆く。そして「希望というのは、たとえそれが何かいまははっきりとわからなくとも、じぶんというものが明るく感じられるような何かです」と説く。
 私は子どもの頃、近くの野山や路地で、仲間と身ぶるいするほど遊んだあとに、「あーおもしろかった。またあした」とさよならした原風景を思い出し、なんとも言えないしあわせな気分が込み上げてきた。
 長田弘の本から時代の魂である「深呼吸」と「全体を見る目」、さらに「希望」という秘密を私は見つけた。そして私は考える。二十一世紀、秘密の鍵は、子どもが握っているのではないかと。

長田弘『深呼吸の必要』を読む
          野町 均(高知)

1.
 『深呼吸の必要』(晶文社)は、「あのときかもしれない」と「大きな木」の二章からなり、前者には九篇の、後者には二十四篇のいずれも散文詩が収められている。「あのときかもしれない」は、子どもからおとなになるというのはどういうことなのか、おとなになった「あのとき」とはどのようなときだったのかを一貫した主題としていて、こちらを交響曲と見立てるとすれば、「大きな木」の各篇はおなじ意想のもとで広く題材を採りながら、折々につくられた小品曲があつめられているといった印象である。
 八四年の刊行でいまなお版を重ねていて、現代詩のジャンルでは異例といってよいほどに親しまれている。わたしもこの十余年あまり、折にふれ頁をめくってきた。わたしにとってこの詩集の魅力はどんなところにあるのだろう、どうして惹かれてきたのだろう、といったことについてこの機会に語ってみたい。

2.
 『深呼吸の必要』には路地、公園、原っぱ、隠れんぼう、鉄棒……といった標題の詩が収められている。これを見て思うのはこの詩集がなつかしい気分につつまれている、ということだ。
 過去をなつかしむ気持すなわちノスタルジーである。過去を追慕するには慕わずにはいられない過去がなければならないから、実際に体験したかどうかにかかわりなく、それはひとつのイメージである。なんとはなしに時間の流れを振り返って眺めるのではない。過去を見る目に魅力的に映った定点のイメージを慕う心情がノスタルジーなのだから、そこには何を、どのようにイメージ化するのかについての意志や感性、知性が作用している。
 たとえば原っぱについて、長田さんはこんなふうに述べている。

原っぱには、何もなかったのだ。けれども誰のものでもなかった何もない原っぱには、ほかのどこにもないものがあった。きみの自由が。(「原っぱ」)

 おとなになったいまの風景と自身のこころに対置されているのが原っぱと子どものこころの自由だ。歳月の流れのなかで「きみ」はおとなの社会に入って行った。そこには分業にもとづく社会で、「きみ」もなんらかのかたちで機械の歯車とならざるを得なかった。この嘆きと苦さが原っぱにあった「きみの自由」をイメージ化し、喪失感とともに回想に向かわせるのである。
 「きみ」が自由だったころの遊びで思い出されるのは影を踏む遊びだ。二人ないし三人で、あらそって、たがいの影を踏んでいたものだ。

きみはおもいだしてふと、ドキリとすることがある。ひょっとしたら子どもたちは、今日どこかに影法師を失してしまったのだろうか、と。(「影法師」)

 原っぱとおなじく影を踏む遊びもいまではもううしなわれたものだ。
 ノスタルジーには喪失感がつきまとう。だからだろう、しばしばノスタルジーはうしろ向きとか消極的とかの批判を受ける。前向きはプラス志向、うしろ向きはマイナス志向という雰囲気のなかで、世は改革ばやりである。ノスタルジーや喪失感が改革の足を引っ張るだけの感情とされるのも無理はない。しかし、前向きだけの人間はわたしにはどこか不気味である。改革しないとバスに乗り遅れるし、改革をしなければグローバル・スタンダードについてゆけなくなるから、うしろ向きは許されないとの声高な主張はどこか偏執的ですらある。喪失感のない前向き一辺倒の言辞にわだかまりを覚えるゆえんである。

3.
 「いつまでも昔のことを考えたってしかたがなかろう」と男がいえば、「昔のことがあなたとわたしには重大なんだわ。それをなくしたらあなたもわたしもどこにもないじゃない」と女が応じる。
 成瀬巳喜男監督の傑作「浮雲」のなかのやりとりで、演じたのは男が森雅之、女が高峰秀子。冒頭のせりふは戦時中に恋愛関係にあった男の不実をなじる女とそれにうんざりして反論しようとした男のやりとりで、作品の主題と構成を見事に象徴している場面だ。戦後という時代のなかで前向きになんて生きられない男女にとって「重大」なのは「昔のこと」であり、それにすがることが生きるあかしであったのだ。
 この映画の、ここのところでふと、人間には「昔のことを考えたってしかたがない」と思っているのと、「昔のことが重大だ」と思っているのと、二つのタイプがあるのじゃないかと思ったことがある。
 いまという時代に不遇であり不満であっても過去なんか振り返らず、やがて来る時代に期待する人間と、それとは反対にどんな時代にもうつろな反応しかできないとこころに感じたまま、過去にしかなじめないうしろ向きの人間がいる。おそらく「浮雲」の女はもちろん、強がりをいっている男も後者に属する人たちだった。
 冬を過ごすのに来るべき春を夢見る人もいれば、失われた春をなつかしむ人もいる。長田さんの場合はこのいずれでもない。喪失感のない前向きでもなければ過去にすがるのでもない。ノスタルジーという喪失感を抱きながら、回復と再生を求めている、この態度は長田弘という詩人の大きな特質であろう。念のためにいっておくと、いずれがよろしいというのではない。これも蛇足ながら、わたしはといえば失われた春をいとおしみ、なつかしむタイプにちかい。
 おそらく『深呼吸の必要』の深呼吸とは、失われたものが何であり、回復と再生がなされなければならないのは何なのかを確認するこころのはたらきを指している。氏の『世界は一冊の本』(晶文社、94年)という詩集を念頭においていうならば、『深呼吸の必要』という「一冊の本の世界」は、長田さん自身が覚えた、この深呼吸というこころのはたらきを、純化した、結晶度の高い言葉で表現した世界である。とりわけそのことが看取されるのは「あのときかもしれない」という長編散文詩だろう。

 子どもだったきみが、「ぼくはもう子どもじゃない。もうおとななんだ」とはっきり知った「あのとき」は?

 こうして長田さんは「あのとき」を探ってゆく。
 「あのとき」とは「歩くことのたのしさを、きみが自分に失くしてしまったとき」だった。
 「『なぜ』と元気にかんがえるかわりに、『そうなってるんだ』という退屈なこたえで、どんな疑問もあっさり打ち消してしまうようになったとき」でもあった。
 「きみがきみの人生で、『こころが痛い』としかいえない痛みを、はじめて自分に知ったとき」も「あのとき」だった。
 「あのとき」とは、そのときには気づいていないものの、あとになって、ひとりの人間の生き方の根拠地がつくられたと自覚した体験とその時空間である。いうまでもなく、人生経験を経るなかで根拠地は変形もすれば、いろんな成分が付け加わったり、蒸発したりもするけれど、それらが深く自覚されたときこそ、「深呼吸」の必要なときにほかならない。

4.
 長田さんはときどき「人生とは」とみずからに問いかける。

A そこだけがふっと明るい、一瞬のような記憶が、いくつも破片のように散らばっている。人生とよばれるものは、一つながりのまとまったものではなく、ほんとうは、そうしたたくさんの砕けた記憶の破片の集積なのではないだろうか。                  (『自分の時間へ』講談社、98年)
B 人生とよばれるものは、わたしには、過ぎていった時間が無数の欠落のうえにうつしている、或る情景の集積だ。
          (『記憶のつくり方』晶文社、98年)

 「人生とは」。たいせつなことがらなのに、辛気くさく、重たく、考えるのを躊躇してしまう。ところがA とB からわかるように長田さんの「人生とは」には窮屈や困惑を覚えない。それは、人により中身がちがうものの、深呼吸というこころのはたらきをとおしてだれもが「あのとき」をもっているという共通感覚があるからだろう。つまり「あのとき」の記憶が浮かび上がらせるものが長田さんにとっての人生、精確には人の世の魅力なのだ。
 Aには「何もほかに覚えていない。けれども、そのほんの一瞬の明るい光景を横切った人の横顔だけを覚えている」とあり、Bには「親しいのは、そうした情景のなかにいる人たちの記憶だ」とつづく。「あのとき」がくっきりとなるのは思い出される人びとの存在があるからだ。こうして『深呼吸の必要』は人と人の関係の手ざわりがみずみずしく表現された詩集となった。
 たとえば「賀状」という詩。親しく少年時代をおくったふたりがのちのちまで賀状をやりとりするこの詩をはじめて読んだとき、年賀状という世俗的なるものの代表格を素材にして、これほどさわやかな人間の交際が表現されているのを、わたしはまるで奇跡でも見ているように眺めていたのだった。年賀状を虚礼として、その廃止を唱える人であっても、この詩を読むと、少なくともひとたびはその主張を口にするのを躊躇するにちがいない。

5.
 もうひとつ「路地」という詩をとおして長田弘という詩人に迫ってみたい。
 路地といえば思い合わされるのが、「裏町を行かう、横道を歩まう」とその魅力を高らかに謳った永井荷風だ。

市中の電車に乗つて行く先を急がうといふには乗換場を過る度びに見得も体裁もかまはず人を突き退け我武者羅に飛乗る蛮勇がなくてはならぬ。自ら其れ程の蛮勇なしと省みたならば空しくいつ迄も空いた電車の来るを待つよりも、亀の子の歩み遅々たれども倦まずに、自動車の通らない横町か、或は市区改正の破壊を免れた旧道をてくてくと歩く方が気楽である。(「日和下駄」)

 こんなふうに荷風の場合、路地の称揚は「蛮勇の人」(「昔のことを考えたってしかたがない」と思っているタイプに通ずるだろう)への批判をふくんでいた。ただし生活者としての荷風は路地には住めなかった。住もうとはしたができなかった。「蛮勇の人」の空間にも住めず路地にも住めなかった。芸者や娼婦、踊り子たちとのつきあいはずいぶんと重ねはしたものの、全体として見れば人間交際のあり方はまことにいびつだった。つまり社交精神を著しく欠いた、たいへん偏った個人主義者として屹立した人が荷風という人であった。
 ここで長田さんの語る路地を眺めてみよう。

そこに花ばながおかれている。ただそれだけなのに、花ばなのおかれた路地をとおりぬけると、ふっと日々のこころばえを新しくされたようにかんじる……おたがい、いい一日をもちたいですね……ふっとそんな声をかけられたようにおもう。花ばなをそこにおき、路地をぬけてゆく人びとへの挨拶を、暮らしのなかにおく。誰もいないのだが、花がそこにある。そんな路地の光景が、好きだ。(「路地」)

 誰もいない路地に花がおかれた風景を見て長田さんが思い浮かべるのは「蛮勇の人」ではなく、「おたがい、いい一日をもちたいですね」と声をかけてくれるような人だ。荷風の路地が明治以降の日本の近代化とそれを推進する人間類型=「蛮勇の人」への批判が込められていたのに対し長田さんの路地は、人と人が出会って言葉を交わす、実際にそうしなくても花ばなにそうした心ばえが実感される場である。ここには、荷風が繰り広げた文明批評の要素は稀薄だけれど、しかし荷風が持ち合わさなかった健全な社交性を重んじるところからくるすがすがしい抒情がある。こうした社交性、人間交際を阻むもののひとつが差別とよばれる心性なのであろう。



百五十号。小さな本をめぐって、このように息ながく「わたし書く人、あなた読む人」の境界をこえたやりとりが続けられてほんとにうれしい。わたしのしつこい性格も関係しているかもしれないけれど、部落解放運動のなかでの体験と思索にもとづく『こわい考』の意見が一過性のエピソードなみに扱われてたまるか、という怒りにも似た思いに駆り立てられてきたことは確かです。この間いただいたお便りは四千通をはるかにこえ、そこから呼応の関係が生まれ、それに支えらた十四年二か月でした。『通信』をとおして「生きあっていること」を実感するとともに、「一人だからこそできること」の大切さを学びもしました。たかがミニコミとあなどるなかれ。手わざをバカにするとバチがあたりますぞ。アハハ。
最近読んだ本から−−−長田弘『見よ、旅人よ』(朝日選書、86年。もと講談社、75年刊)。「旅し、旅をつづけていくつもの街々で書きつぐしかたで、この本を書きすすめていたとき、人びとのあいだに身ひとつのじぶんを置いて、ざわめきや私語や身ぶりや沈黙をとおしてしか語られることのない言葉に耳をすましながら、ずっとかんがえつづけたのは、ちいさな人間にとっての歴史ということだ。/デモクラシーのささやかな長所の一つは、偉人などといった困りものの市民をつくりださないこと、そのかわりに、多様な人生を生きる多様なちいさな人間たちをそだてることだ。作家のE・M・フォースターはそういって、同時代にちいさな人間のよろこびを重んじる歴史をもとめたが、わたしたちの日常の世界の下地にあるのはフォースターのいうちいさな人間たちの体温をもった歴史なのだ。この一人の旅の経験をとおして書かれた本が、この十五年(71年から86年まで−藤田補記)の時代の変化のしるしをとらえて、じぶん自身のいま、ここをよく生きた、あるいはさりげなく生きている、同時代のちいさな人間たちの姿をつたえていることをねがう」(あとがき)。この短い文章からだけでも、長田のやわらかくて深い「人間へのまなざし」が伝わってくる。こざかしい理屈を振りまわす才子がもてはやされ、使いなれた言葉に疑問を抱かず、言葉を手荒く扱う世界の住人だったわたしには長田の詩、エッセー、評論、対談から感受される「しなやかさ」は新鮮だったし、いまも新鮮だ。交流会での講演を楽しみにしている。
7月4日から25日まで、熊本、岡山、茨城、京都、三重、兵庫、高知、愛媛、岐阜、愛知、大阪の延べ14人と、ある企業の人権啓発室スタッフから計94,810円の切手、カンパ、ふみカードをいただきました。ありがとうございます。支出は郵送料(149号)その他計61,320円でした。本『通信』の連絡先は〒501-1161 岐阜市西改田字川向 藤田敬一(E-Mail<k-fujita@h6.dion.ne.jp>、郵便振替<00830-2-117436 藤田敬一>)です。(複製歓迎)