同和はこわい考通信 No.148 2001.5.23. 発行者・藤田敬一

《 各地からの便り 》
○ むずかしいですね、両側から越えるのは
福田 典子(広島)
 葉桜のかたわらにはツツジと藤の花が開花し、ツバメの巣から新しい命の声が聞こえてきます。季節は確実に一つの時を越えたのだと、自然を見ることで感じます。
 お久しぶりです。随分とご心配をおかけしましたが、自分の与えられた条件の中で何とか工夫しながら生活しています。体調は今ひとつ思わしくないのですが、以前よりは良くなっています。ただ、療養専念を要求している肉体とは別に様々な事柄があり、「あまり深く考えると早死にするぞ」と自分に言い聞かせながら、深刻さから遠ざかる努力をしています。
 両側から越える……むずかしいことです。解放運動に身を寄せた頃から、既成の運動の展開に疑問を持ちつつずっと感じてきたことですが、糾弾という行為はもちろんむずかしいものであることは間違いないにしても、その方法論や具体的展開、そして良い方向での解決の糸口や結果が形や言葉として出ても、何かその裏にひそむ虚しさがいつも付きまとってきます。
 私はよく親友に「相手と関わりを持っては、結果的にしんどいことを抱え込む」と批判されます。私の対応は一見愛嬌があり相手に優しすぎるから、相手が誤認するとも言われます。しかし、私は同和問題や部落差別事件に、思わぬ形で会ったとき、いつも思うのです。私がたとえ愛嬌があろうが、優しそうであろうがなかろうが、全然脈絡のない不意打ちの形で部落問題が浮上してくる。これは幼いときからの体験から確信を持って言えます。構えていようと構えていなかろうと、来るものはある日突然であって、なんでこのような会話や場面で部落問題が出てくるのかと言いたいぐらい突如出てきます。そしてその過程で、部落や部落解放運動にともなう誤解や怖い・関わりたくない、とにかく早く問題から逃げた方がいいという反応は、どんなに私がこの未熟な頭脳を百パーセント駆使して、その人とその場とその状況ごとに配慮して対応したとしても、「同和はこわい、同和はすぐに言葉にこだわる、同和自身が同和問題をことさら気にしてこだわりつづけるから同和問題がなくならないんだ」という相手の感情が伝わってきます…。淋しいことですが。要は、どんなにこちらが冷静に相手を諭し、相手に理解できる形で語って、結果として解りあえたような雰囲気があっても、どこかで「同和はうるさい」という感じがジンジンと伝わってきます。痛み分けなんですねえ。
 つい最近も私は病院で顔見知りになった方が指を四本示して差別言動をするという場面の当事者になりました。辛抱強く、感情的にではなく論理的に相手の思いや生活状況や理解のレベルまで細かく考え、一応解ってもらったのですが、私は最後に「あなたが私の話を冷静に聞いてくださり、理解してくださったことで私も救われました。同和だ、同和でないとか、国籍の違いじゃなく、その人間の人格をもってたがいに付き合い、笑顔が交わせるような社会になればいいですね。私はあなたの同和問題に関するひとつの事象をもって、あなたという人格を総否定しません」と締めくくりました。
 でもこれは真にしんどいセリフです。私は手のひらをカッと広げて自分の指をまじまじと見たり、悲しいからこそ異常な笑いを連発してひとり部屋の中で悩みました。この人にどのように話すべきであったか……と。そうした経緯は抜きにして表に出るのは「優しい、物わかりの良い私」なのです。そしていくら相手との会話が成立したとしても、相手の心と社会一般に存在する「同和は被害妄想だ、考えすぎだ、こだわりすぎだ。すぐにからむ」という、形として見えないけれど相手の言葉や声のトーンや会話の間合いから洩れ出てくる、そうした感情はやはり辛いですね。こんなことは随分と体験してきましたが、体験馴れするものじゃない…。その上、友人にそうした思いを語ると、「あんた、そういうこと解ってるから運動してきたんじゃないの!」と怒鳴られて…。すると、一番信頼している友人なのに「責めないでよ。あなたは部落民じゃないから解らないのよ」と言ってしまう私。
 体力も精神力も駆使して向き合っていながら、虚しさが残る恒例の結末。この虚しさを埋めることのできない私に、「だから運動してきたんだろう」とは、キツイ言葉です。そしてその言葉に「責めないでよ。私は一生懸命差別した人間でも傷つけないようにしたのに。でも虚しさ、結果の中にひそむ部落問題への誤った根強い意識にも虚しい心にふたをして向き合ってるのよ。あなたが部落じゃないからそう言うのよ。疲れたでしょうくらい言えないのか」と言い返し争ってしまう私……。 差別事件の当事者間もそうですが、それを取り巻く無数の人たち、その人たちと私。そして表の言葉と裏にひそむ本音の見え隠れ。むずかしいですね、両側から越えるのは。でもこんなこと、真剣に考えていたのでは、療養の邪魔になるし、本当に私は「早死にして」しまいそうです。だから思考を停止しようとしたものの、今夜は眠れずメールを送りました。お元気で!(01.4.28.)

○ 「同和はこわい」をめぐって
福田 典子
 『同和はこわい考』を拝読したとき、心の底から抵抗がありました。自分自身も既成解放運動や同和問題の取り扱い方について疑問を感じ、別の道をひとり選択しましたが、「同和はこわい」という文字だけは胸にナイフを突き立てられたようで、その文言に抵抗を感じました。それはおそらく自分自身が本日メールで送付したような虚無を感じつづけながらも、解放運動を継続していくという責任感のようなものがあったからだと思います。私の笑顔はいつも斜めに構えた笑顔であり、そしてその笑顔の裏にはどうしようもない無力感や哀しみがあった…。私が懸命に態勢を立て直し、笑顔を作っていくあいだにも同和問題に関する様々な誤った感情が襲ってきます。「考えすぎよ」「こだわりすぎよ」「なぜそんなことが問題になるのか」などという言葉に丁寧な回答を示しながら笑顔を作っていく私の時間と距離、そして大きな壁にはさまれた「同和面倒」という人々のひそんだ感情と言葉の上での理解。信じるということが最も困難な条件になっていながら、そうしたものを払拭するかのように他者との関係に真っ直ぐに向き合おうとする徒労。
 この私の笑顔は「同和はこわい」という文言の中で力んで支えていた感情が流れていくという感覚…。同和問題は確かにむずかしい問題です。既成運動団体の中には、同和問題は人の生死に関わる問題であるということをもって行政的利害や自己の要求を貫き獲得することを是とする部分が存在します。でも私がこのつくり笑いの中で優しく静かに語る「生死」という言葉・内容とは明らかに違います…。今は、この間のひとつの問題の解決を終え、若干人間不信という方向に傾き、それを覆い隠すように更なる笑顔を作っているようです。いつになれば「同和はこわい」という言葉や感情がなくなるのでしょうか?いえ、そう語りながら、自己防衛のためには「同和はこわがってもらわなくちゃ困る」という思いも否定できません。人は悲しい。人は本当に誰もが美しい命を持っていながら、その命をゆがめたり傷つけあったりします。その哀しみを知るほどに人は優しくなると言いますが、私はもうこれ以上優しくなれなくてもいいなんてよく思います。
 かつて部落解放同盟広島県連の青年が「部落に生まれてよかった」と講演しました。もう28年前のことです。しかし、今もその姿を鮮明に覚えています。いい加減なやつだと思ったことも。今、奈良県連を中心に、差別してはいけないという前提で相手を糾弾したり、迫ったりするのではなく、差別が現実として存在するのだという視座で相手といかに関わっていくのかという方向があるようですね。私は何十年も前からそうした方向で運動を展開してきました。それが過去の自分の過ちを自ら実践的に糾すことでもあると思ったからです。しかし、この方向を融和主義として切り捨てる部分が存在するのも事実です。しかし、この方向は決して楽な方向でも道のりでもないと私は体験上知っています。だからこそ、水平社宣言の軸となった平野小剣の「呪いの思想」が誰よりも理解できるのだとも思います。呪詛は全く建設的ではなく、運動的に未熟さとして批判する人もいますが、私はむしろこの平野の思いの中に熱い人間への期待を感じます。期待しないものは絶望しません。初めから相手を限定した存在として向き合っている人には、呪うという感情などは無縁なものです。苛烈に悲しいまでに相手を自らと同じ人間として感じようとした平野小剣だからこそ、ひとたび差別と向き合うときに「この世は闇だ この世は鬼ばかりだ」と深い絶望を胸に水平社運動を展開したのではないかと思えてなりません。平野小剣はその文体や過去のスパイ事件(水平社内ボルシェビキによる運動的指導権のための陰謀)という「点」で解釈され、彼の思想は「線」として理解されませんでした。いわば彼の主張も行動も功績も総否定されながら、全国水平社の歴史は語られてきた観さえあります。
 そんなことを考えているとまたもや「長生きできねえぞ」という思いが昇ってきます。でも私が私である限りどんな状況でも条件でも越えて歩んでいこうと思います。広島は太陽が空全体を燃やし尽くすのかというような天候です。私は病気の関係で直射日光とは友だちになれず、月と星が友人になってしまいました。月光の中で、今まで感じることのなかったもの、見落としていたものを感じます。お元気で。(01.4.28.)

コメント.
 闘病中の福田さんから連続してメールが届きました。それにしても福田さんはいい友人をお持ちです。アカンことはアカン、違うことは違うと言ってくれる友人が部落外にどれだけいるか。水平社宣言の言う「いたわるかの如き」言辞を弄する人が一方におれば、他方にそれが「人間を冒瀆すること」だとは受けとめず、かえってふんぞりかえる人がいる。そんな人びとによって成り立つ運動に、人と人との関係を変えることなどできるわけがありませんよね。

《 採録 》
川元祥一「コラム・太鼓の音-文明としての部落」(『部落解放』2000年10月号)
 前回いったように、部落民とはなにか、という概念や社会的意味での境界の確立が必要だと私は考えている。これまでの差別的偏見や、外からの一方的なレッテル貼りのことをいっているのではない。そうした一方的な偏見をくぐりぬけ、それを内側から破る新しい概念・思想による確立だ。そしてその新しい概念は、政治的権力や権威、あるいは何らかの社会的風潮や圧力にたよるのではなく、人々が生きてゆくための仕事や生活のなかから発想されるべきものだ。/『「部落民」とは何か』(阿吽社)という本がある。一昨年出版されたもので、本が出るとすぐ取り寄せて読んでみた。なんでも腹蔵なく話しあおうという呼びかけは当然であり、それでよいが、本のタイトルからすると内容がなさすぎて、先のような概念や境界などがあいまいなまま無にされる傾向をもつ。
 編者である藤田敬一は『同和はこわい考』(阿吽社)などにおいて、部落差別を克服する運動団体への批判においては(それも一定地域の運動団体の傾向と私は思ったが)一定の存在感をもっていた。しかし、そのことを部落民一般の問題として語ったとき、それはほとんど的はずれとなってしまう。運動体と大多数の生活者としての部落民の存在をゴッチャにしているのではないか。
 そうした感想からすると、藤田は、自分が見たり接した対象をあいまいに敷衍ふえんせず、対象をはっきり限定して発言したほうが説得力をもつと思う。(略)
 部落民という言葉を民族的な“民”にとるむきもあるようだけれど、これは、日本人が生活するために歴史的にも現代的にも欠くことのできない“農民”“漁民”“山民”“町民”と同じレベルで概念化すればよいことだと考える。それが文明の基礎なのだから───。

コメント.
 川元さんは1940年兵庫県生まれ、岡山育ちの作家。さて、『こわい考』は部落解放運動における体験と思索をもとに、運動内の人と人との関係を論じたもので、対象とテーマははっきりしている。『「部落民」とは何か』は差別-被差別関係の前提とされている「部落民」という存在自体に迫ろうとしたもので、「対象をあいまいに敷衍」などしていない。誤読です。川元さんにとって「部落民」という存在は自明で、重要なのは「明確でない」差異を発見することであり、それによって「文明としての部落」が明らかになると主張したいらしいが、話しが逆立ちしている。それはともかく自信満々、余裕たっぷりの物言いにもかかわらず、現実に立ち向う緊張感が伝わってこないのはなぜなんだろう。

《 紹介 》
奈良県部落解放同盟支部連合会「規約と運動基調」01.4.22.(抄録)

規約第2条
 本会は、いわゆる「部落民」であることをひきうけるものが中心となって、部落差別を媒介として成り立ってきた人と人との関係及び共同体相互の関係を解体し、やさしさとぬくもりのある関係に再構築することを目的とする。

第3条
 本会は前条の目的に賛同する「部落民」とそれに共鳴・連帯する「非部落民」をもって構成する民主的運動団体である。

「部落差別のくびきから自らを解き放つための21世紀初頭の新しい運動基調」

1.いま、なぜ新しい運動路線なのか。

 生活水準における部落内外の較差はなくなった。しかし、部落差別は存続している。故に、65年同対審「答申」路線の時代的役割は終焉したと理解するしかない。これまでと同じ運動の繰り返しでは、人と人との関係を再構築していける見込みがなく、“百害あって一利なし”として決別する。(略)

2.これまでのわれらの運動のどこに問題があったのか。その隘路を打開するための発想の転換のポイントは何か。

①少なくとも、「部落とは何か」「部落民とは何か」「部落解放とは何か」を定義づけること。

②ユートピアや社会主義革命への幻想を捨てること。“部落差別をはじめ一切の差別のない世の中を実現しよう”などのスローガンを掲げないし、いまだかつて人類の歴史の中で実現できなかった高邁なテーゼをわれらの運動の目的や目標に据えないこと。

③個人間であれ集団間であれ、相対的な生活実態の較差は、いつの時代でも、世界のどの地域でも差別を生む大きな要因である。しかし、そこの較差が是正されることで差別意識(感情)が自ずと払拭されるという保障はどこにもない。すぐる30年余のわれらの運動が明確に立証した教訓を忘れないこと。

④ひとは誰でも「差別する立場」にあったり「差別を受ける立場」にあったりする。われら部落民も例外ではない。この両面の立場を自他の弱さとして知るものだけが、自他共々にその弱さを克服していく道を切り拓いていけるものと確信すること。

⑤教育や啓発の場で、「差別がいかなる理由をもってしても絶対に正当化されない最大の社会悪であり、人間の尊厳を犯す犯罪である」と規定し、「差別しない、させない」ことを目的として、「正しい知識」なるものをくり返し注入してきた基本的パターンは空回りしてきた。建前と本音のかい離を固定化し、それらを接近させる具体的な営みを放棄させてきたこの規定を見直すこと。

3.新たな発想で、「なにを」「どうする」のか。21世紀のわれらの運動の基本理念と路線

(1) 「部落とは何か」「部落民とは誰のことか」「部落解放運動とは何をすることか」。いま、敢えて、定義を試みに提起し、その豊かな肉付けを期す。
 わが社会では、明治以来このかた、かつて近世の時代に「カワタ」「エタ」と称せられた身分に地縁的血縁的な系譜をもつことを口実として賎視され、交際、交流を忌避され排除される対象となってきた集落がある。その対象となってきた被差別部落がいわゆる「部落」であり、そこに現に居住するもの、又はかつて父母や祖父母が居住していた系譜をもつものを「部落民」といってきた。そして、部落解放運動は、賤視、忌避、排除等の形態で出現する部落差別を媒介として成り立つ人と人との関係及び共同体相互の関係を解体し、共生と連帯の関係として再構築しようとする営みである。

(2) 部落差別は存在する。しかし、われらは解放の領域に到達できる。
 部落差別は、これからもかなりの期間、われらの周辺に存続するに違いない。しかしながら、敢えて部落民であることをひきうけての個人的あるいは社会的な戦いを通して、われらは部落解放の領域に到達できるとの確信を共有することが大切である。
 そして、われらにとっての部落解放とは、かつて差別の根拠にあげつらわれた「部落は怖い。柄が悪い。程度が低い。貧しい」等々を自らの意識の中に背負いこんできたコンプレックス(劣等感)を払拭することを土台とした人と人との関係を創出することである。

(3) 部落問題を政治課題としてではなく、地域社会の課題として位置づける。
 情報化、国際化が一層深まる中で封建的身分関係や家父長制、昔ながらの風習や迷信の人間関係に及ぼす影響は薄れてきた。加えて部落内外の生活実態較差がなくなった。なのに少なからずの人々がいまも結婚や交際で部落民を忌避している。しかし、彼らが差別することの定かな根拠をもっているわけではない。ここにゆさぶりをかけながら部落を含む地域社会がながい間抱えてきた「差別-被差別」の課題を浮き彫りにしていく。

(4)とりあえずの「異議申し立て」から戦いは始まる。
 差別との戦いは、基本的には個人的な戦いである。日常生活の場で唐突に出くわす差別や人権侵害に、その場でとりあえず「異議申し立て」をすることが何よりも大切なことである。それは、これまでのとりくみで欠落してきた本音を建前ににじり寄せていく具体的なとりくみの出発点でもある。そこでは、主体的に考えること、他者との関係や問題解決への行動力が問われることになる。そのためには知識、スキル(技術・技能)、態度、行動力や自尊感情などを育成しなければならない。『なら人権情報センター』がその条件整備を担う。(以下略)

コメント.
 この四月、部落解放同盟奈良県連(山下力委員長)は奈良県部落解放同盟支部連合会(山下力理事長)と名称をかえました。「規約」や「運動基調」には随所に新しい視点が提起されていて刺激的です。感想をお寄せください。

《 川向こうから 》
■GWは、今島こんじま地区円原川畔の山小舎に、前半は出版社関係の友人を迎えて北米のネイティブ・アメリカン(いわゆるインディアン)、スー族のテントを模した円錐形テント(ティピtipi)の組み立てに熱中し、後半は高知の野町均さんをふくむ交流会事務局メンバーを迎えてティピのなかで焚き火をしながら歓談するなどして過ごしました。後半のシェフはもちろん戸田二郎さん。参議員選挙の準備で忙しいなかを駆けつけてくれたことに感謝。いくつになっても遊ぶときの顔はみんないい。遊びの精神が躍動すれば自然に顔も輝くというものです。友人たちが帰った翌日、近くの里山(舟伏山、1040.3米)に登りました。久し振りの山歩きで、少々バテたけれど楽しかった。岩桜、カタクリ、二輪草とも出会えたし。奥美濃にはいい山があるんです。ちょっとはまりそう。

■最近読んだ本から───★長田弘『すべてきみに宛てた手紙』(晶文社、01/4)。「書くというのは、二人称をつくりだす試みです。書くことは、そこにいない人にむかって書くという行為です。文字をつかって書くことは、目の前にいない人を、じぶんにとって無くてはならなぬ存在に変えてゆくことです。」ウーン。この『通信』の郵送部数は六百。お送りしている人すべてを、わたし自身のなかで、わたし自身にとって「無くてはならぬ存在」に変えたと言い切る自信は、ないな。●松永昌三『福沢諭吉と中江兆民』(中公新書、01/1)。「わが日本いにしえより今に至るまで哲学なし。(略)哲学なき人民は何事を為すも深遠の意なくして、浅薄を免れず」という兆民の言葉(『一年有半』)をあらためて噛みしめる。

■昨年146号の発送を終えて(10/26)から今日(5/23)まで、愛媛・京都・埼玉・岐阜・奈良・愛知・神奈川・大阪・三重の延べ25人の方から計105,010円の切手とカンパをいただきました。ありがとうございます。支出は郵送費(147号)、中質紙・宛名ラベル・封筒代など計81,270円。本『通信』の連絡先は、〒501-1161 岐阜市西改田字川向 藤田敬一(E-Mail〈k-fujita@h6.dion.ne.jp〉, 郵便振替〈00830-2-117436 藤田敬一〉)です。(複製歓迎)

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