同和はこわい考通信 No.147 2001.5.3. 発行者・藤田敬一

《 各地からの便り 》
柴谷篤弘氏の著作を読んで
F・O
 先日は、「『同和はこわい考』通信」№30~32を送っていただき、ありがとうございました。最初の手紙で、柴谷篤弘氏の著作に関心があると書いたところ、早速、先生が『反差別論-無根拠性の逆説パラドックス』に関する随想を書かれ、特集した「『こわい考』通信」を送ってくださったわけで、本当に感謝のほかありません。学問的な背景を何ひとつ持ちえていない私のような義務教育現場の教師にとって、たとえば柴谷氏の書かれたような難解な著作は、それを体系的に読み解くなどということはできません。記述された内容を部分的に、それこそ「点」として理解するしかないわけです。(おそらく、藤田先生の著作にしても、私自身その全体を理解することなく、「両側から超える」という主張を、まるでコマーシャル・コピーのように記憶して、「緊張感のない、たんなるスローガン、合い言葉」に矮小化してしまっているものと思います)。ですから、通信の「柴谷篤弘著『反差別論-無根拠性の逆説』を読む」のように、体系的に整理してくださると、なるほどと納得できるわけです。

 前回の手紙で私は、柴谷氏の〈「階級意識」にかわるものとしてだされた概念としての「帰属意識」論〉に関心があると書きましたが、それもその論が柴谷氏の『反差別論-無根拠性の逆説』の中でどう位置付けられて記述されているか、ということを全体的に理解した上での興味・関心ではありませんでした。学生時代(全共闘華やかなりし頃)にたんなるシンパとして、少し興味を持ったマルキシズムやアナーキズムの概念とはちょっと感じの違った「帰属意識」論に個人的に興味を持っただけなのです。そして、学生時代に私自身が認識(?)した「階級意識」論が、現実から遊離した空疎な概念でしかなったように、柴谷氏の言う「帰属意識」論も切実に自分の身体に腑に落ちるように入ってきたものではありませんでした。(言うまでもなく、マルキシズムの「階級意識」論や柴谷氏の「帰属意識」論がそれ自体、空疎で非現実的だというのではなく、私自身の理解が空疎で、現実に根をおろしたものになっていなかったという意味です)。
 藤田先生はこう言われています。

非女性、非在日韓国・朝鮮人、非部落民、非障害者、非アイヌ人、非沖縄人、非朝鮮人、非中国人、非黒人、非ナニナニ、非某々…と、否定形の言い方でしか己れをいい表すことができないように感じる心理状態、被差別の立場から逆照射される関係のなかでしか自己の存在を確認できないと思ってしまう、じれったい状況。ここからの脱却の道はあるのかないのか。あるとすればどのようにしてあるのか。(『こわい考』通信No.32)

 このような「じれったい状況」に私もあったわけです。ただその「じれったい状況」というのは、私自身に即して言えば、「被差別者の立場から逆照射される関係のなかでしか自己の存在を確認できないと思ってしまう」という「じれったさ」ではなく、「ある一つの立場に身を置き切ることのできない」という状況の「じれったさ」だったように思います。すなわち、被差別の立場はもちろん、「逆照射される関係のなかでしか自己の存在を確認できない」立場にも、どこにも「帰属」し切れない不安定さが「じれったさ」の中身だったのです。その頃は、自分自身が被差別の立場に身を置き切ることができれば、おのずと自己確認はできると信じていました。(いま藤田先生が主張されているのは、己れを「被差別の立場」や「加差別の立場」に身を置く=帰属するのではなく、「両側から超える」相互関係の中に身を置く、相互関係に帰属する、ということでしょうか。あるいは私の誤解かもしれませんが。)
 じつは、私の祖父母は障害者でした。祖父は「くる病」で背が完全にくの字にまがっていました。祖母は、子どものときから全くの「唖者」でした。ですから、私の祖父母は「非障害者」ではなかったのです。それでは、祖父母が障害者であれば、孫の私は「非障害者」ではなく、障害者の立場に立ち切れるかと言うと、もちろん、そんな簡単なものではありませんでした。私は、あらゆる形で、祖父母から切れた関係を維持する(関係を切るというのとは少し違うように思います。現実生活の中で関係を完全に断ち切ることはできません。でも意識の上で関係を切りたいのです。それが切れた関係を維持するということです)ことに努めたのです。そしてそのことに対して私自身、ある後ろめたさを持っていたのも事実です。この無関係の維持と後ろめたさのない交ぜになった「じれったさ」が、先に書いた「被差別の立場に身を置き切れない状況の『じれったさ』」だったように思います。
 このどこにも帰属し切れない「じれったさ」からの脱却は先の手紙に、

「自らへの加害者となって少数者への帰属意識を持つ」ということは、「自分の中にある劣等意識をさらし出す」ということになるだろう。そしてその「自分の中にある劣等意識」が「少数者への帰属意識」へ通底していくことになる。

と書いたような経路をたどることによってなしうるのではないかと考えたのです。「自らの帰属(意識)の転換」にかかわって、柴谷氏の「転換」論は「話がうまくゆきすぎるという気がしないでもない」「やはりわたしは、多少のフンバリはあるにしても気がつけば逸脱していた、ズレていたという感じでありたい」(『こわい考』通信№32)と、藤田先生は、どちらかと言うと否定的に書かれています。私の場合は、何かもっと自閉的な感じであったように思います。私は、自分の祖父母(障害者)に対する加害者であったわけですが、そのことによって私は二重の意味でのコンプレックスを持つことになりました。ひとつは自分の肉親が障害者であったというコンプレックス、もうひとつは自分がその障害者(祖父母)への意識の上での加害者であったというコンプレックスです。この二重のコンプレックスを晒しだすこと(実際にどのようなことをなしたかというと、私は生徒たちの前で意図的に祖父母のこと、そして自分自身の加害意識ついて語っていきました)、そのことによって私は、「自らが自らへの加害者となって、その延長に少数者(障害者)への帰属意識を持ちうる」と考えたのです。それがその当時の私なりの、「じれったさ」からの脱却方法だったように思います。はたしてその脱却方法が実効あるものだったかどうか、すなわち私自身が祖父母と一体感を持つことができたかどうか、さらに障害者と共に生きる人びとの側に帰属できたかどうかは、その当時、すでに祖父母は亡くなっていたのですから、明らかにしようがありません。
 ただこのような方法は、その後の私の同和教育の中でも実践されていきました。自らの中の部落差別意識を晒しだし、その差別意識に何らかの形で決着をつけ、そのことで部落の人たちと連帯できると私は考えたのです。しかし、自らの差別意識を晒しだし、それに何かの決着をつけると言っても、それがそんなに言葉どおりにうまくいくような簡単なことではないことは言うまでもありません。この前の葉書で、「いわば擬似的な空間である『学校』にのみいると、言葉が言葉としての重みや緊張感を欠き、現実感を失った言葉が浮遊する」と書かせていただきましたが、それは私自身の(現在も続く)状況であるわけです。

 じつは、柴谷氏の主張の中で、「帰属意識」論以外に、私が「点」として興味を持ったものに、「差別意識の生得性」ということがあります。
 柴谷氏は、池田清彦氏との往復書簡の中で、次のように書いています。

私自身は、貴兄によって展開された構造主義生物学の論理を使って、人間にとって差別するこころは生得的である、という定言をそのまま受けいれてきました。これはチョムスキー流の、人間が個々の言語を幼いときに(長じても)習得するのは、各人の脳のなかに生得的にある(深層)構造によるのであって、ひとは言語のすべての規則を学習するのではなく、学習せずにその正しい使いかたをあらかじめ身につけている、という理解と、同型になっているわけです。要約すればひとは他人から教えられなくても、自覚的かつ自律的に、他の人々を差別するすべを知っている、ということなのです。(柴谷・池田編『差別ということば』明石書店、P115)

 私は、チョムスキーという人の名前は知っていましたが、その著書を読んだことがありません。「構造主義生物学」についても、柴谷氏が『科学批判から差別批判へ』(明石書店)の中に書かれていたのを読んだくらいで、その内容はまったく分かりません。とうぜん池田清彦氏の本も読んだことはありません。ですから、「構造主義生物学の論理」とチョムスキーの言語理論がどう結びつき、さらにそれらが「差別意識の生得性」とどう繋がっていくかは、漠然としか分かりません。ただその中身がよく分からなくても、「差別意識の生得性」という言葉が、〈すべての差別に反対する〉〈まったく差別のない社会を招来しうる〉という非常に楽観的な教育・運動理念を標榜する全国同和教育研究協議会(全同教)に疑問を持っていた私にとっては、たいへん新鮮に見えたのです。私が私の祖父母に持っていた「差別意識」も、あるいは仕方のないことかもしれないという「無罪証明」を与えてもらったような気がしたし、先の「じれったさ」からの脱却も、こう考えることで可能になるように思えました。
 〈人は差別するものなんだ〉という考え方は、柴谷氏も書いているように(『比較サベツ論』明石書店、P38)、部落解放運動の中ではタブーです。「いったんサベツが生得的であることをみとめてしまうと、どんなに、反サベツ運動やサベツ糾弾をやっても、サベツは避けられない本能だと居直られて、糾弾の効果がなくなってしまうように見えたからであろう」(同、P38)と柴谷氏は指摘しています。私などは、〈人は差別などしないのが本来の姿だ〉〈すべての差別に反対する〉と主張されてしまうと、自分の心根を振り返って、どうしても逡巡してしまいます。反対に、〈人は差別するもんだ〉と言ってもらえると、〈そうだ。差別意識いっぱいの私のようなものでも、差別をちょっとでも少なくする運動に参加できるのではないか〉と思えてくるのです。もちろん、〈人は差別するものだ〉と言っても、「『人間だからサベツ意識はなくせない以上、ここで自分がこの相手をサベツすることのなにがわるいのだ?』と開きなおる」(同、P39)人々に加担するわけではありません。私だって、「差別意識の生得性」論によって「人間から差別意識がなくせない以上、私が私の祖父母を差別することのなにがわるい」と居直りたいわけではありません。〈人は差別するもんだ〉という地点から出発するのが、何はともあれ、いちばん人間的だという気がするのです。
 柴谷氏は、「差別意識の生得性」と同時に、「差別意識の無根拠性」も主張されています。

しかし人がある状況のもとで、のがれるすべなくとらえられるところのサベツ衝動、その衝動の対象になるものが、とくに何でなければならない、という必然性は、どうもないようだ。そこにサベツの「無根拠性」があるわけである。
 ここのところをはっきりさせれば、サベツする主体がサベツするには、それなりの理由があるが、なにをサベツ対象にえらぶかは、その主体にとっては、結局は任意のはずだ、ということが見えてくるだろう。ここで、対象がはじめから固定している「憎しみ」や「妬み」とサベツの違いが見えてくる。だがしばしば、あるきまったサベツ対象の選択・指定がきめられるのは、社会が、言語のばあいとおなじように、個人に対して社会的合意をおしつけてくるためである。(『比較サベツ論』P36 ~37)

 ここらあたりが、藤田先生が「『同和はこわい考』通信」№30で、柴谷氏の意見を整理されている、

1)差別には「いわれ」=根拠がない。

2)しかし差別の対象にされ、差別が政治的社会的に強化されることによって派生する「現実」が、差別する「いわれ」=根拠にされる。

の部分だと思われます。藤田先生は、このあと、

3)そこで「差別されるいわれがない」というと、「差別されるいわれがありそうな人びと」を排除することになり、「差別するいわれがある」というと、差別に根拠をあたえることになる。

4)だから「差別にいわれがある・ない」にこだわること自体がナンセンスであり、「差別されるいわれなし」をもって差別反対の運動をすることは、敵を見あやまっていて、不毛である。

と続けられています。たいへん生意気な言い方で恐縮ですが、私としては、「1)差別の無根拠性」の前に、「0)「差別意識の生得性」を置く必要があるように思えるのです。藤田先生の随想の執筆意図が「『差別の無根拠性』または『いわれなき差別』について」ですから、「差別意識の生得性」は省き、「差別の無根拠性」に主眼を置かれるのは当然だと思いますが、私の関心は「運動論」へは向かわずに、どうしても個人の「差別意識」の問題に引き付けられてしまいます。個人の「差別意識の生得性」を前提にして、個人が「任意」に差別の対象を「選択」するときに、「社会」が「個人に対して社会的合意をおしつけてくる」という推移が「差別(当然部落差別も)」の本質ではないかと思っています。部落が幻想でありながら、部落差別が現実としてあり続ける真因は、ここらあたりにあると言えば、的はずれの指摘になるでしょうか。
 もうひとつ、柴谷氏の意見の中で私が興味を持ったのは、「差別意識の生得性」と裏腹な関係をなす、「反差別意識の生得性」論です。柴谷氏は、先の池田清彦氏との往復書簡の中で、次のように書いています。

しかし貴兄の構造主義生物学の理論は、相互に排除しあう構造が脳内に成立することの困難さ(当然のことですが)と、それにもかかわらず、その困難がのりこえられる可能性を明示しました。それと同時に、このような生得的な排反的構造が、ときには困難をのりこえて、個人の脳内に複数具現化しうる際に必要な条件をも明示しましたね。それは人々のあいだの社会的なふれあいを通じて、あらかじめ個々人の脳内に、ひとしく具わっている生得的な脳力が、具現化するきっかけがあたえられる、というものでした。(『差別ということば』P115~116)

 私にとってたいへん難解な文章ですが、要するに、人々の差別意識が「生得的」であるように、人々の差別に反対する意識も、それを受け入れる構造が脳内に「生得的」に存在する、と柴谷氏は構造主義生物学の理論を援用して指摘しているのだと思います。私のような義務教育の現場にいる者にとっては、これはたいへん魅力的な理論です。柴谷氏は、「ひとしく具わっている(反差別という)生得的な能力」が「人々のあいだの社会的なふれあいを通じて」「具現化するきっかけがあたえられる」と言っています。教育は、「(反差別という)生得的な能力」が「具現化するきっかけ」をあたえることができるということは、読み方によっては「きっかけ」しかあたえられないのか、ということになりますが、私としては「きっかけ」で十分だと思っています。

 最後に、「点」として私が興味を持った意見、「ユークロニア」について述べたいと思います。

ユートピアとは、けっしてどこにもない場所のことであるが、ユートピアをもとめて、精一杯努力することによって、短い時間ではあるが、解放された状況がこの世にあらわれることは、まれにおこるようだ。その瞬間はけっしてながつづきはしないが、これこそが、われわれのもとめうる最高の「場所」なのかもしれない、と感じていた。そこから場所(トポス)を消し去って、時間(クロノス)を代入すれば、「ユートピア」ならぬ「ユークロニア」の概念が生まれる。(『比較サベツ論』P54 ~55)

 柴谷氏は、この文章のあとに続けて、「人生はユークロニアをもとめてのたたかいというふうに感じなおされないものかと思い、その考えを発表した」と書かれています。その発表場所は、注釈によると、『われわれにとって革命とは何か』(朝日選書)だそうですが、私はまだその本は読んでいません。かなり文学的と言うか、藤田先生の言葉を拝借すれば、「情緒・感情に傾きすぎる」きらいがないとは言えませんが、私にとっては、たいへん魅力的な表現であったわけです。
 藤田先生は、「『同和はこわい考』通信」№31で、柴谷氏が自らの部落解放運動論をマルクス『ドイツ・イデオロギー』の一文になぞらえて表現した文章を紹介されていますが、柴谷氏は『比較サベツ論』の中で、次のようにも書いています。

ブラク解放とは、われわれにとって成就されるべきなんらかの状態、現実がそれへ向けて形成さるべきなんらかの理想ではない。われわれは現状を止揚する現実の運動を、ブラク解放運動と名づけている。この運動の諸条件は、いま現にある前提から生じる。(P54)

 「『自分以外の何者をも代表しない』『結論を急がない』『組織や運動の方針をもとめない』『多数をめざさない』を一応の了解事項とする不定型の集合態=結合態」(「通信」№30)を形成する人々が、「両側から超える」営みを進める運動が、上の「現状を止揚する現実の運動」、すなわち「ユークロニア」なのではないかと、私は勝手に思ったりしています。

 前回のお便りに書いたように、私は義務教育学校の教師です。何らかの解放運動に携わっているわけではありません。どちらかと言うと、運動に加わること自体苦手な人間です。そんな者が訳知り顔に、こんな文章を書き連ねるのはおこがましいのはよく分かっているのですが、「『通信』でお付き合いください」という藤田先生の言葉に甘えて、こんな「便り」を書かせていただいた次第です。先生にとっては噴飯ものの内容だと思いますが、私としては全力投球したものです。ご一読くだされば幸甚に存じます。願わくば、「柴谷篤弘著『比較サベツ論』を読む」といった藤田先生の特集を、通信誌上でやっていただけたらと思っています。

コメント.
 昨年五月にいただいたもので、『通信』に載せさせてほしいとお願いしておきながら一年もほったらかしてしまい申しわけありませんでした。これはお便りというより、一篇の論稿ですね。なによりも自らの思索をもとに柴谷篤弘さんの本と対話しておられるのがいい。ただわたしは、「自らが自らへの加害者となって、その延長に少数者への帰属意識を持ちうる」とする考え方には、やはり違和感をもちます。「差別意識・反差別意識の生得性」論についても「そうかなあ」という程度の感想しかない。現実感がわいてこないのです。一点からすべてを説明しつくすことを標榜する「唯○論」に辟易しているせいかもしれません。

《 ご案内 》
第18回部落問題全国交流会-人間と差別をめぐって-
 日 時:9月8日(土)午後2時~9日(日)正午
 場 所:大谷婦人会館[大谷ホール](京都・東本願寺北側)
 講 演:長田弘さん「人間について」

《 川向こうから 》
●お久しぶりです。146号は昨年九月、全国交流会直前の発行でしたから八か月のお休みでした。この間、お便りをくださった方、切手・カンパを送ってくださった方、そして「どないしはったんやろ」とひそかに気にしていてくださった方にはお詫びするしかない。体調が悪かったわけではありません。年度内に研究室を空っぽにすると決め、その作業に没頭していたら、ほかのことが手につかなくなってしまって。困った性格ですなあ。これからもたびたび休刊するはず。ま、それでええんとちゃいますか。

●今年も全国交流会が開かれます。講演をしてくださる長田弘さんは、著者略歴には「詩人。1939年福島市に生まれる。1963年早稲田大学第一文学部卒業。1971-2年北米アイオワ大学国際創作プログラム客員詩人。82年著書『私の二十世紀書店』によって毎日出版文化賞受賞」とあり。入手しやすい作品だけをあげますと、詩集に現代詩文庫『長田弘詩集』正・続(思潮社)、『深呼吸の必要』『食卓一期一会』『心の中にもっている問題』『世界は一冊の本』『記憶のつくり方』(以上晶文社)、『黙されたことば』『一日の終わりの詩集』(以上みすず書房)、著書に『対話の時間』(晶文社)、『詩人であること』(岩波同時代ライブラリー)、『読書のデモクラシー』『読書百遍』(以上岩波書店)、『アメリカの心の歌』(岩波新書)、『一人称で語る権利』(平凡社ライブラリー)、『詩は友人を数える方法』(講談社文芸文庫)、『自分の時間へ』『子どもたちの日本』(以上講談社)、『詩人の紙碑』(朝日選書)、『私の好きな孤独』(潮出版社)『われらの星からの贈り物』『本という不思議』『定本 私の二十世紀書店』(以上みすず書房)などがあります。『ねこに未来はない』『猫がゆく-サラダの日々』(以上晶文社)というエッセ-も。野町均さんの文章に引用されていた『深呼吸の必要』がきっかけで長田さんの本と出会い、読み続けてきました。その長田さんをお招きできることになって、ほんとにうれしい。ぜひご参加を。

●本『通信』の連絡先は、〒501-1161岐阜市西改田字川向 藤田敬一(E-Mail〈k-fujita@h6.dion.ne.jp〉)です。メール・アドレスが変わっています。(複製歓迎)

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