同和はこわい考通信 No.141 2000.1.27. 発行者・藤田敬一

《 論稿 》
カムアウトを考える(3)
柚岡ゆおか 正禎まさよし
「部落民とは何か」という問い
 現在は、部落差別の「実態」がいよいよ見えにくくなってきた時代である。またいわゆる差別側の意識と被差別側の意識の在り方──これも「実態」の一部──が相互に分離し、それぞれの内部で多様に分裂している時代である。このような時代にあってはなおさら、以前のようにあらかじめ想定された部落(民)の「実態」をどう改めるかではなく、個別の「関係」をどう変えるかを探ることによって、結果的に、全体としての「実態」の在り方も、またそれを分有している自分の「実態」も見え始める。そうしてそこからの解放も可能となるはずである。実態主義の反省から得られたことは、「実態」を差別・被差別の人格的な「関係」の中で、個別具体的に問題にしなければならないということであった。「実態」は「関係」の外にはなかったのである。カムアウトの意味は、その「関係」の中で両側がそれぞれにいだいている「部落民とは何か」という問いに対して、まず被差別者が自分を実例にして答えようとするものであり、そうすることで両側の「関係」を問い直し、発展させようとするものであった。
 だがこの「部落民とは何か」という問いは、カムアウトとそれへの応答という個別の一場面でだけ問われているのではない。近代部落の発生以来、部落・非部落の「関係」の総体、全対抗過程において──戦前の融和事業においても戦後の行政闘争においても──両側はこの問いをめぐって、すなわち“部落民”の定義をめぐって対立と合意をくりかえしてきた。この過程は先に述べたように、一見したところでは部落の「実態」をどうするかをめぐる両側の対立・合意の過程であった。両側のそれぞれが「実態」に目を奪われながら「実態」の在り方を変化させてきた。両側の「関係」ではなく、低位な生活実態それ自体を改めようとした運動の弱さ──というより両側の弱さ──が、「実態」の形だけを変化させ、最後に、現在の姿を浮かび上がらせた。住田さんが“部落民の実像”へと迫ったのも、またそれが多くの人びとの共通の認識になりつつあるのもこの過程であった。
 だがこの過程は、「実態」をめぐる両側の対抗過程である前に、より根源的には、「部落民とは何(者)か」(who)という問いをめぐる両側の対抗過程であった。部落や部落民の「実態」は何か(what)という問いや、それらが差別を再生産する仕組みはどうなっている(how)という問いの前に、「部落民とは何か」という人格的で根源的な問いが全「関係」の中でまず問われていたはずである。「実態」はこの問いに答える過程で探られてきた。両側はそれぞれに、この問いに対する異なる定義をかざして、「実態」の改善を協議してきたのである。
 この問いはなぜこの過程全体で問われ続けたのか。なぜこの過程全体が、この問いに答えようとする過程、“部落民”を定義しようとする過程、定義過程と言えるのか。それはこの問いが、一つ一つの「関係」においてはどうしても答えられない問いであり、どうしても定義し切れない“部落民”という存在への問いであったからである。定義できないのに、「実態」つまり“しるし”を基にして、定義し続けるほかなかったからである。それは人間の“業”であった。
 この定義できないということは、近代の他のすべての被差別少数者(障害者差別・女性差別・民族差別など…)についても本来的に言えることだが、部落民差別においては「実態」ははじめから不可解であり、時代を経るに従ってますます見えにくくなってきた。部落民を示す「実態」・部落民性は、血統を軸にしながらも、前近代から継承された職業・地域・共同体意識や、近代的規範から見た生活実態・文化的実態の低位性、また「内面的弱さ」や被差別意識へのとらわれなど、様々な基準をおぎなわれてイメージされてきた。そして時代を経るに従って、より後の方の特徴が“部落民”の「実態」として前面に出てきた。つまり「実態」は歴史的に変化せざるを得なかった。〈定義〉は追求されざるを得なかったのである。こうして、「部落民とは何か」という問いそのものが、これまでのすべての〈定義〉と共に、過程全体において止揚されるのである。(注)

(注)J.I.キッセらの《社会問題の構築派》(社会学の一派)は、社会問題を、クレイムを申し立てる人びととそれに反対する人々との間の、当該「社会問題の定義」をめぐる相互作用の総体としてとらえる。この考え方、結論に基本的に賛成である。日本の反差別運動の中には、このような視点から一旦その“立場性”を中和・解毒された方がよいものがいまだに多く残っている、という意味においても。だがキッセらが「ラベリング理論を超えて」、問題を「社会問題」一般へ広げたとき、射程範囲の拡大の他方で抜け落ち、脱色されそうになっているもの、それは、その「定義過程」が──社会問題の種類により濃淡の差はあるにせよ──まさに社会問題の担い手たち(少数者)自身への“両側”からの“who”の問いを核にして、進行しているという緊張感である。社会問題を社会問題たらしめている、“その人たち”への近代社会のまなざしが、歴史的なものとしても現在的なものとしてもそこで意識されていなければならないし、その意識が、差別問題を含む社会問題の分類と、社会問題の個々の事例研究そのものの中で、実際に生かされていなければならない。(J.I.キッセ/M.B.スペクター著、村上直之/中村伸俊/鮎川潤/森俊太訳『社会問題の構築-ラベリング理論を超えて』マルジュ社、1990年)

畑中敏之さんの身分選択論
 ここで、畑中さんのカムアウト論をとりあげたい。住田さんは、畑中さんの著書『「部落史」の終わり』(かもがわ出版、95年)における「部落の起源」論批判に触発され、本誌に「部落を名乗る意味」を寄稿した。これは事の成り行きからしても適切、適確なものだった。というのは、畑中さん自身が述べているように、起源論批判はもともと現在の「部落問題論」、すなわち「〈「部落民」とは誰のことなのか〉という問題意識から出発し、たどりついた結論」だったからである(「身分・身元・アイデンティティ-「部落民」とは誰のことなのか」『こぺる』97年4月号、3頁)。畑中さんの歴史主義批判については別の機会に論じることにして、私もその出発点にあった「問題意識」をしっかり受け止め、ここでのカムアウト論を少しでもおぎなっておきたい。
 『「部落民」とは何か』(阿吽社、98年)で畑中さんはカムアウトについて次のように発言している。

私がこだわるのは、部落のなかで生まれ育った者にとってカミングアウトするのが最高の価値であって、それにたどり着くというレール、物差ししかないのかという疑問です。名乗る名乗らないのは自由だというのではなく、全くそれと違う生き方があるのではないか。隠すのではなくて、部落民ということから無縁の生き方もあるのではないかということです。(中略)住田さんの場合、それ[部落民宣言]は強制したらあかんけれども、カミングアウトすることが最高の価値であるという考え方が、やはり強いのではないか。(63頁)

 畑中さんは新しい現実をよりストレートに表現している。すでに部落(民)に対する「差別意識」は解消の段階にある。国民融合論の支持者でなくても、そのことに気づいている“部落民”はますます増えつつあるに違いない。その人たちの多くが、部落民であることを「隠すのではなくて、部落民ということから無縁の生き方」を積極的に選び取っているであろうことは推測に難くない。ここでは慎重な言い回しをしているが、前掲書から察するところでは、畑中さんはすでにこの「無縁の生き方」を選ぶ方が現在では一般的であり、部落問題の解消過程として必然であると考えているのである。この違いは畑中さんと住田さんの、部落差別からの解放についてのイメージにかかわっている。畑中さんがその最終局面を、「アイデンティティ=身元=身分を、個々人がどのように主体的に獲得できるか」(前掲『こぺる』論文、15頁)において見ているのに対し、住田さんや私はそれを、部落民が両側の「関係」の中で、どのようにしてその「実態」から解放されるか、また両側の和解をどう果たすか、としてイメージしているのである。
 私がこのイメージにこだわる理由は三つある。
 第1に、これまで述べてきたように、近代部落の発生以来、部落問題は、「部落の実態」をめぐって対抗する両側の「関係」としてあった。現在のカムアウトはそこにおける最後の「実態」からの解放である。「無縁の生き方」を選ぶ人の数がどれだけ増えようと、常に残るであろう人びとによる──カムアウトをはじめとした──「関係」を顕在化させる運動があってはじめて、「関係」そのものも早く終わらせることができる。そしてこの運動は、もし正しく進められるなら、「無縁の生き方」を選ぶ人たちをも何らかの形で支えるはずである。
 第2に、見方を変えれば、「無縁の生き方」を選ぶ人たちも部落民であることからまったく「無縁」になってしまうわけではない。もしその選択が差別を恐れてのものでないとするなら、それは、今は自然なカムアウトができないため、やむを得ずそれを一時保留しているということである。この人たちにとっても、いつか周りの誰かに打ち明け、自分の過去(アイデンティティの一部)を告げることができる方が、幸せなことははっきりしている。差別からの解放にとって、カムアウトが普遍的な意味をもっていることに変わりはない。
 第3に、自然消滅ではなく、上のような運動の総括と両側の意識的で公的な ──同和地区返上など──和解を基礎に、部落問題から差別一般に通じる普遍的な意味と教訓を引き出さない限り、国民はまた別の差別を新たに見いだし、部落差別をそこに転移させるだけである。

                              ☆

 畑中さんには、両側の「関係」の中で部落の今日的な「実態」を解決していくという視点はなく、「関係」と「実態」の代わりに、きわめて包括的で抽象的な「社会的諸関係」と、あまりに狭い「差異」という構図がある。前掲書で畑中さんは、部落差別について「私なりの定義をしておきたい」と次のように述べているが、ここには畑中さんの理論的な中心がよく現れている。

部落差別とは“「部落」であるということ”、“部落民であるということ”を理由(口実)にして加えられた差別である。差別とは何らかの差異(部落差別の場合は「部落民」であるかないかという差異)を口実にしてその人(あるいは集団)に不利益を与える目的で為された行為である。(34~35頁)

 第1に、ここでは差別というものがA.メンミ流に、何かある利害関係つまり「目的」や「利益」に動かされて生じるものとされている。私の場合は近代以降の他のすべての差別と同様、部落差別をまず人と人との直接的で日常的な「関係」における差別・被差別の意識関係(意識構造)において捉える(注)。ところが畑中さんにおいては、差別を発動させる「社会のしくみとしての差別の構造」(83頁)がまずあり、それが「『部落民』の『実在』をもっともらしく見せる“しかけ”(社会的諸関係)」(89頁)として働いているというのである。

(注)A.メンミ『差別の構造』合同出版、71年。江原由美子『女性解放という思想』勁草書房、85年。差別・被差別の意識構造を分析したものとしては、江原の本書第2論文以上のものを私は知らない。

 この「社会的諸関係」は、あらゆるものを包み込んだ「差別の構造」であるとされている。「たとえば政治的支配被支配、経済的利害の対立、社会不安による恐れや人間認識における血統観念等々が考えられる」(123頁)と言う。そしてよくは分からないが、本稿がキーワードにしてきた「実態」も、「様々な実態」(19頁)として、この「社会的諸関係」に包摂される。戦後の部落差別を畑中さんは、すでに体制的基礎をもたない「戦前以来の残り物」(32~38頁)としている。その意味ではこの「社会的諸関係」もすでに体制的=体系的な社会的規定性を帯びていないはずである。ところがこの空疎な形骸が、「差別の構造」として、「“部落民であること”を『実在化』させる」(19頁)という。この「社会的諸関係」はすぐ後で見るように重要な理論的役割を担わされているのである。
 第2に、ここでは「差異」という語の中身は単純で貧しく、住田さんや私の「実態」のような歴史的・社会的な幅を持っていない。(「実態」は「社会的諸関係」の方に入れられているのだから当然ではあるが。)たしかに「差別とは何らかの差異を口実にして」なされるものであるが、畑中さんはそれを、「部落差別の場合は『部落民』であるかないかという差異」による、と単純化してしまう。部落差別は「実態」にではなく、この「差異」に宿る。だが前に整理しておいたように、部落差別は、血統を軸にしながらも、様々な実態をイメージとして、“しるし”として、利用してきた。また以前の「実態」の克服の仕方が、それを新しい「実態」に変化させてきた。運動の在り方も、「関係」の中でのこの「実態」の改め方にかかわって問われてきたはずである。ところが畑中さんは、あたかもこの「実態」の歴史をすべて切り捨てるかのように部落差別をただ「『出自』を根拠に『部落民』というレッテルをはって為される差別」(80頁)の一点において定義するのである。
 すでに以前には多少なりとも“構造的”なものに見えた実態的格差も今は残っていない。「社会的諸関係」の中で、「差異」を「差別」に転化させるめぼしいものは何もない。そこで畑中さんは、「現在の部落問題解決の到達段階」においては、この「出自」=「部落民というレッテル」を「積極的に拒否する生き方」(93頁)こそ重要だと言う。あたかも、“部落民”が主体的に非部落身分を選択しさえすれば問題は解決するというような、身分選択論を提唱する。「『出自』に何か特別の意味があるように『自覚』させられるのが部落差別の構造」(83~84頁)であるとするなら、「出自の自覚」そのものを拒否すべきだと言う。畑中さんが住田さんの、部落民であることを“引き受ける”というカムアウトに疑念を呈したのも、この一点からであった。
 だがこれは実に不可解な展開である。「出自の自覚」にも様々ある。畑中さんが言うように、差別・被差別の現にある関係を認めてしまうような「出自の自覚」もあるだろうが、先に紹介した例のように、はじめはカムアウトする前提としてあったが、「関係」の中で新しい「自覚」に代わる「出自の自覚」もある。もともと「出自の自覚」のすべてが、それぞれの「関係」の中でどう改め、どう克服していくかというふうには問題を立てず、「出自の自覚」それ自体が「部落差別」を存続させていると述べるのである。(注)

(注)そしてここから出発して畑中さんは、「部落の起源」論(=歴史論)それ自体が歴史を差別の口実にする「最大の誤り」(「部落史の陥穽」『現代思想』99/2)である、という歴史主義批判を展開している。

 だがこのような私の批判は、畑中さんにとってすでに織り込みずみである。

「部落民」であるという認識を持たなければ部落差別は解消するなどと、私が主張しているかのように一部で受け取られているが、“まず部落差別ありき”という私の捉え方からすれば、それは全くの誤解である。(前掲書84頁)

 だが畑中さんの“まず部落差別ありき”は額面通りには受け取れない。畑中さんは、「『部落民』の『実在』をもっともらしく見せる“しかけ”(社会的諸関係)が部落差別として存在しているから」こそ、「部落民」もあるのであって「逆ではない」と言う(89頁)。しかし畑中さんにとって、「社会的諸関係」の内実はほとんど何もなくなっており、問題にもなっていない。だからこそ「出自の自覚」だけを問題にしてきたのだろう。このような内実のない「社会的諸関係」(部落差別の構造)が、「差異」を捕らえ、部落差別を発動させるというような理屈はとうてい受け入れられるものではない(注)。「社会的諸関係」の概念は、私には畑中さんが“まず部落差別ありき”と言うためにだけに役立っているような気がするし、マルクス主義の「残り物」であるように思われるのである。

(注)〈差別・被差別の意識関係、対、差異〉という構図(前者の関係が、後者=差異を「根拠」にして差別が成り立つ)は、80年代以来、すでに見なれたものとなっているし、本稿の〈「関係」対「実態」〉もその一つの変形と言えるが、畑中さんの〈「社会的諸関係」対「差異」〉はまったく独自なものである。

                              ☆

 さて畑中さんは前掲『こぺる』論文で住田さんに答え、カムアウトについて問い返しているが、要約するとこうなる。

住田さんは、部落民であることを名乗り、引き受けると言うが、いったい何を名乗るというのか、そのとき「部落民とは誰のことなのか」。名乗られるべき“部落民”は「決して一様なものではない」。集団差・個体差はあるし、時代によっても戦前と戦後、六〇年代の前後の差がある。つまり客観的な実態論としてもあいまいである。それだけではない。名乗られるべき“部落民”は「自己認識なのか、他者認識なのか」。自己認識に思わせて他者からの“部落民”像を強制されている場合もあるはずだ。(10~11頁)

 このような指摘は、すでに述べたように私の問題意識と重なるものである。だが畑中さんはここから直ちに、私とは逆に、カムアウトに対する消極論を導く。住田さんや私が、部落民が自分の「実態」認識から出発し、「関係」の中でカムアウトすることによって、その「実態」認識をどう生かすことができるか、と考えるのに対し、畑中さんは、住田さんの言う「部落民像」や名乗る「内容」などは、「一般的なものとして〈定義〉可能なはずがない」(11頁)、だから名乗ることに過大な意味はもたせられないと言う。
 先にも述べたように、たしかに住田さんのカムアウト論の出発点に置かれた「実態」認識は、「関係」に入る前にすでに一義的に確定されているような印象があった。その意味で客観主義的・実態主義的な弱さがあった。畑中さんはそこを衝いている。だが住田さんは必ずしもカムアウトそれ自体に価値があるとしているのではなかった。カムアウトが「関係」やそこでの「対話」(『「部落民」とは何か』170頁)をどう発展させたか、そのことがカムアウトの評価基準にしようとしていた。つまり事実上、カムアウトそれ自体には価値を置いていなかった。それに対し、畑中さんは、カムアウトに「無縁の生き方」を対置し、基本的には「関係」そのものからの撤退を唱えることによって、理論上、カムアウトそれ自体の価値を低めようとしているのである。
 このように見てくると、畑中さんの「部落民とは誰のことなのか」という問いは、部落・非部落の両側が、「関係」の中で「部落民とは何(者)か」(who)を問うというものではまったくなく、むしろこの「関係」そのものを越え、否定して、「部落民とはどの人のことか」(which)を問うていたことが分かってくるのである。だが畑中さんは、「部落民とは何か」の〈定義〉など不可能であると断定し、そしてこの「関係」からの撤退を提唱する前に、この〈定義〉が「関係」の中で今も両側から問われていること、そしてこの長い両側の歴史的な「関係」全体、この過程全体において、この〈定義〉の不可能さが今まさに実証されようとしていることに気づくべきであった。(続く)

《 川向こうから 》
●岐阜では大寒をさかいに雪がちらつくなど、やっと冬らしくなってきました。わたしは、年末年始の休みをたっぷりとり、お酒も控えめにして、読書と水泳でのんびり過ごしたためか、体調はいたってよろしい。体重55キロ台の目標を達成、20年まえの体型にもどっております。ご覧にいれたいくらい。アハハハ。

●「部落民とは?カミングアウトの問題などなど、興味深く読ませていただいております。特に色々な人々からの意見が載せられていて、『両側から超える』という、私の長く深いテーマと結びついて読めるので勉強になります。この通信が、こういう形でいつまでも続くよう願っています」とのお便りあり。『通信』の内容に、この方の経験や思索とひびきあうものがあるとしたら、ほんとにうれしい。こんなお便りがあるかぎり『通信』はなんとか続けられそうな気がします。

●最近読んだ本から───☆山田 稔『特別な一日』平凡社ライブラリー、99/11。「私は、オーウェルを通して、物を書く人間の私的動機の大切さ、いかに正義のための運動にかかわっていても、『物書き』としては、公的な、大義名分の立場で書いてはならぬ、という教訓をえたのであった。言い換えれば、物書きは、物書きとしては正義のための運動にかかわるべきではないのである。」オーウェルとは、『カタロニア讚歌』岩波文庫、『動物農場』角川文庫、『一九八四年』ハヤカワ文庫などの著者、ジョージ・オーウェル(1903~50)のことだ。もちろん、「物を書く人間」と「物書き」とは違う。しかし、いずれであれ「物を書く」にあたっての動機と立場、運動との関係については心しておかねばならないことがあるのは確かだろう。わたしは、かつて部落解放運動の団体や組織のなかで多くの文章を書いた。そんなつもりではなかったが、いつのまにか担っていたのは、「物書き」=祐筆としての役割で、書いたものはすべて紙くず同然の運命をたどるしかなかった。「なぜ書くか」という問い(『オーウェル評論集』岩波文庫)が大切だと考えるようになった背景のひとつに、そのときの経験がある。

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