同和はこわい考通信 No.12 1988.5.20. 発行者・藤田敬一

《 感想 》

その1.どうも、しっくりしないのです
東京・T.N.
 …ぼくはこの本が気にいりました。作者が言っている「批判を拒否するものは必ず腐敗する」「自らをも糾す思想をもつこと」「両側から超える」。どれも、もっともなことで、大切なことだと思います。しかし…。「しかし」何かひっかかるのです。これが何なのか、いろいろ考えてみました。だいたい学者さんというのは、物事を客観的に冷静に見る眼を必要とされる商売です。だから、何か、突き放したような書き方になるのは仕方がないとは思いますが、どうも、しっくりしないのです。それがなぜなのかを、ずーっと考えてみて、次のような結論が出ました。
 それは、作者に、部落差別に対する“怒り”みたいなものを、あまり感じないということです。いったい、作者には「差別は許せない!」「部落を解放しなくちゃいけない!」という、必要とでもいうか、せっぱつまったものはあるのでしょうか。
 こんなことを書くと、作者から「何を青くさいことをおっしゃる、あなたたちの“怒り”を十分承知のうえで、それを前提に書いたんですよ」と、言われそうですが、なぜかそう感じました。
 ぼくの場合、自分が直接差別されて、その“怒り”をバネに、運動をはじめ、自分の子どもにだけは同じようなめにあわせたくない、もし、子どもが差別にあっても、その時、言い返せるだけの力をつけてやりたい、という気持ちできょうまで続けてきました。この作者が、運動を始めた契機は何なのでしょうね。作者にとって、部落差別は、どうしてもなくさなければいけない必要のあるものなのでしょうか。
 もちろん、ぼく自身も、今の解放運動のあり方、とくに、解放同盟中央の“物乞い路線”とでもいうか、差別の切り売りには、反発を感じていますし、しっかり処分もうけていますので、自分なりに作者の言わんとする“解放同盟批判”は、よくわかるつもりです。もう1つ、作者が「部落民でないものに何がわかるか」と、言われたことなど、とくに「S君」にたいする言い分などを、かなり力を入れて書いていますが、これも、もっともだと思います。ぼく自身にも、次のような体験があります。
 ある「障害」者のグループと、交流会をした時のことです。部落の高校生が「きょうはいい話しを聞かせていただきました。これからは『障害』者の立場になって、頑張っていきます」と、言ったところ、「あなたが、どうして私たち(『障害』者)の立場に立てるのですか。笑わせないでほしい」と、言われたことがありました。このことは、ぼくにはショックな出来事でした。なぜなら、ぼく自身は「自分は、『障害』者や在日朝鮮人に対しては、差別する側にあるから、まず、自分が差別者にならないことを肝にめいじて、運動をしていく」と、常々思っていたからです。何か、その決意を、はねつけられたような気がしたのです。もちろん、その時は、何も言えませんでした。でも、今だったら、何か言えそうな気がします。「自分は、『障害』者の解放もかけて、部落解放運動をいっしょうけんめいしています」と、いうようなことです。
 部落解放運動というのは、今、現在を生きる1人ひとりのたたかいのことだと思います。たとえ、どんな厳しい攻撃があろうと、前向きに、正面からそれを受け止め、したたかに生きているきょうだいたちはたくさんいます。生きること、毎日の生活そのものが、差別とのたたかいだとも言えると思います。この作者の人には、もっとたくさんのきょうだいたちに会って、話しを聞いてもらいたいと思いました。 何ですか、あまり感想みたいにはならず、グチみたいになってしまいました。どうも、いい本をありがとうございました。…

コメント.
 東京の友人の、そのまた友人の感想です。『こわい考』は客観的すぎる、冷静すぎる、なにか突き放したような感じがする、部落差別に対する怒りが感じられないとのことですが、これまで、わたし自身ご多分にもれず情緒的、感傷的に部落差別を受けとめ、そして語ってきた面がなかったわけではありません。しかし情緒や感傷に流されては、見るべきものまで見ない傾向に陥りやすいことに気づき、『同和はこわい考』では、できるだけ抑制するようにしたのです。そのためT.Nさんの感想にあるように「冷たい」と受けとられたのかもしれません。

その2.自己の内面に秘められていた意識が表面に出されてきました
岡山・S.M.
…一人で、ひとつの問題を追及することの強さを痛感しています(本人の気持ちは別にして、外から見えるかぎりの受け止め方ですが)。『同和はこわい考』をめぐって、いろんな考え方や、ものの見方があちらこちらで外にあらわれてきました。その中で

@ 解放同盟をあいてによく頑張る(これには部落解放同盟にたいする偏見もふくまれている)。
A 部落差別の問題になんで本気になるのか。
B 私たちの言いたいことを、よく言ってくれた。
C お互いに、自己の内面にふれることを避ける傾向がつよい社会で、その内面を指摘し、迫る言動に賛意を示す者、否定する者。
D 組織内の同盟員で運動の再点検をしはじめた者。

その他、自己の内面に秘められていた、数々の問題意識が表面にだされてきました。
 これらの意思表示は、部落差別を解決していくためには大事なことです。この意思表示の一つ一つを問題意識をもって究明していくことが、自己の内面にある差別にたいする意識を鮮明にさせ、差別にうちかてる価値観の形成に役立つものと信じます。
 とくに「同和はこわい」という差別意識そのものを書物の表題にすること自体が大切なことだと考えます。部落差別の現実を直視することの大切さを、私たちは常に主張したきましたから。
 書かれていることのなかで「資格、立場」「糾弾権」については、とうぜん論議の対象になるところだと思います。
 「糾弾権」は部落差別によって人権侵害がなされた結果から生じるものですから、だれも異論はないと思います。「糾弾」の内容にふれるとき、「資格、立場」の問題が生れます。「糾弾」では差別の内容や差別意識を糾明しますから、お互いの日常生活における生活習慣、職業意識、格差、位階性、「貧・富」、学歴格差、社会的地位の有無のほか、個人生活における利害得失…等がからんで生じる漠然とした社会意識が問われます。また「過ちをおかしたときの処置のしかた」として日常生活では自己の意識を正すより、なにか物品を持参して、断りにいくことで一件落着にするという常識があり、これも差別糾弾で問われます。このように「立場」の問題には、差別した者とされた者という整理以外に、それぞれの日常生活のもろもろの問題が含まれてきます。そこのところがなかなか通じ合わない点があることを経験してきました。その点については後日書きます。…

コメント.
 自己を対象化するといっても、媒介がなければ、むつかしいものです。『こわい考』が、少しでも媒介のお役に立てれば嬉しいかぎりです。

《 採録 》

佐々木由美子「差別−被差別の関係を運動の側から問い直すこと
−『同和はこわい考』を読んで−(下)」
(社会主義婦人会議『婦人通信』NO.194.1988.4)
 …何が差別か、誰が叫ぶのかー部落の人たちが決めるのだと私はやはり思う。確かに、「○○が決める」「○○が言えばそれは全て差別だ」といういい方だけでは、独善主義とか、思いあがり(?)とか、批判拒否という一方での否定的側面との関係でどれだけそれを排除するに充分かといわれれば検討すべきことはあるのかもしれないが、私は、このテーゼと、藤田さんが指摘している問題の克服は別の闘いであると思う。別の闘いとは何か?この本が完璧なくらいふれていない、部落外の人々の闘いの問題、その相互の関係のつきあわせの中からこそヒントがあるのではないかと私は思うのだ。
 「会館の一つの蛍光灯が切れたから修理に来てくれ」という要求をめぐってのやりとりの中で、「それは差別の結果だ」と述べた意見を聞いて、藤田さんはあきれたと書いている。小学生が、「僕が勉強でけへんのは、差別の結果だ」と言ったことに藤田さんは又「これは一体、どういうことか」と述べている。「自己責任との緊張関係のない『差別の結果』論は際限のない自己正当化につながり、自立の根拠を失わせる魔力をもつようになる」と、「立場、資格の絶対化」が生み出した傾向として批判している。「そう言っているだけでは問題の解決にならない」というのならまだしも(?)、「差別の結果だ」ということにあきれる藤田さんの意識「自己責任をなくした自己正当化だ」という指摘には納得できない。
 例えば、ちっちゃなことかもしれないが、「女の運転手はしょうがない、女は運転にむいていない!」という通説がある。警察が発行している交通安全の手引等には、ていねいにも「要注意!女性ドライバー」という項目を設け、差別と予断にもとづいた「女特有の不適格さ」がルル書かれている。私は、これに怒るのだ。「差別の結果なのだ!」と。
 藤田さんは“際限のなさ”を指摘する。ある段階までは正当な(差別規定に基づく)要求であるが、ある段階からは“際限のなさ”へと転化すると。
 少し、皮肉っぽく聞こえるかもしれないが、少なくとも文章からだけうかがうかぎり、その境界点は、藤田さん自身がこれまでの間に経験してきたことを通して、「しっくりこない」「納得できない」と思った基準が背景にあると思えてならない。くりかえしになるが、先の引用も含め「あ、やっぱり差別された者の痛みは差別された者にしかわからないのだ」と、ここはゆずれぬと思うのです。
 …「ただ自らを相対化しないと傲慢になりやすい」という苦言と同じ危惧を、藤田さん自身にも強く感じてしまうのです。…

コメント.
 佐々木さんは「上」(同誌NO.192,88.2)で「部落解放運動という歴史的存在、その存在の根拠を問うて葛藤している現段階のひとつの表現として本書を位置づけるならば、『重層的』差別構造(あまりスッキリしない用語ですネ)の中でやはり葛藤してきたと思う私のようなもの、女性差別をどうしよう、女性差別をなんとしてもなくしたい(?)と思って葛藤しているであろう多くの人々にとって、批判的にであれ、肯定的にであれ、各々の対象化のための作業の重要な“資料”として本書があると思う」とも述べてくださっていますが、上掲の文章からもおわかりのように『こわい考』を基本的には批判しておられます。なお( )は原文のままです。
 さて佐々木さんは、「何が部落差別かは、部落の人たちが決める」と述べ、あくまで「差別の結果」論は正しいという。そして「差別された者の痛みは差別された者にしかわからない」という点はゆずれないと断言しておられますが、これでは、自己を対象化したり、相対化することなど、とても無理ではないでしょうか。佐々木さん自身、女性=被差別者の資格、立場を絶対化しておられるからです。
 たとえば佐々木さんは、@女性ドライバーに特有の危険な運転スタイルがみられるとの通説があるけれども、Aそれは差別の結果なのだから、B「要注意!女性ドライバー」などという手引等は差別と予断にもとづくものだといいたいらしい。しかし、ここで必要なのは「女性ドライバーに特有の危険な運転スタイルがあるのかどうか」をまず検討し、ついで、もしそれが事実なら「その原因はなにか」を具体的に論証するか、あるいは事実でなければ、通説の誤りと通説にまとわりついている差別的予断・偏見を、これまた具体的に論証することであったはずです。その手続きを抜かしているから論旨に混乱が生じ、したがって「差別の結果だ」といってもいっこうに説得力がなく、まして一足飛びに「差別された者の痛みは差別された者にしかわからないのだ」と力んでみたところで、どうしようもない。気負いすぎると、かえって話がこんがらがるものです。その気負い、力みが資格、立場の絶対化からきていることは明らかでしょう。ただ、わたし自身が「自らを相対化せず、傲慢になっているのではないか」という佐々木さんの危惧については肝に銘じます。

《 各地からの便り 》

その1.職場で自主的な研修会がもたれることになりました
京都・S.N.
 …あなたの投じた一石が今日の部落問題について多くの論議を呼んだことに大きな意義を見出だすことができます。ともすれば運動者のひとりよがりの見解や行動がまかり通りがちな時に、改めて言うべきことは言い、糾すべきは糾すという大衆運動の原点に立ちかえる機会ともなれば、そのことの評価は、論議の内容如何よりも大きいものだと思います。
 私の職場で全く自主的に職員が『同和はこわい考』で研修会をもつことになりました。何回か継続してやるそうです。こんなところを、思い上がっている人たちにも知ってもらいたいですね。住田さんが書かれているように、思い上がった存在にはヘドが出るような思いがします。…

コメント.
 『こわい考』が研修会、というか学習会のテキストに適しているかどうか、少し気にはなりますが、一つの素材として議論の対象にしていたたければありがたく存じます。

その2.部分的にはわかりにくい論評もありました
三重・Y.K.
 …ご高著は、大分前に一気に拝読しました。すべてを理解したかどうかわかりませんが、大変感銘深いものがありました。問題が複雑なだけに理解したという表現すらおこがましい気もいたします。朝日ジャーナルを定期購読していますので、何人かの論者の意見も読みました。部分的にはわかりにくい論評もあったと申し上げます。私の町にも、小さな地区が二つあり(両方とも農村、漁村部にはない)、地域改善事業をおこないました。表面的には融和が進んでいるようなのですが、──一部の人はそう断言しますが──私自身は、根強い差別意識があると思っている一人です。そこを今後、どう解決していくべきか、むずかしいことだと考えています。
 地区の人びとが、とにかく啓発運動をしないでくれと言うばかりですから。以前のように、結婚問題でトラブルがおこることはありませんが、立派な人が結婚できずにいるケースが沢山あります。すべてが差別から来るとは云えないにしても、考えさせられます。識字教室などを開きたくても、対象者が、やらないでくれというばかりです。ペン習字のような形でやってみたらと進言しているのですが。機会がありましたら、お目にかかり、ご教示を乞いたいと存じます。…

コメント.
 「啓発活動をしないでくれ」「識字教室もやらないでくれ」とおっしやる人びととつながりつつ、いつの日か、ともに部落差別に立ち向かってゆけるような関係をつくるにはどうしたらいいか、いまのわたしにはお答えできるようなものがございません。お許しください。

その3.いま、想っていること
京都・A.M.
 いま、仕事で脳性マヒの彼とかかわっています。彼がアパート生活を始めて約20日間。電話がまだつけられていない関係上、足をはこぶことが、この間多くなっています。(彼は現在、父母もなく親戚もなし,単身)
 『風呂へ行くのはイヤだなぁ』『飯も出来るだけ食べたくないョ』という彼。足が不自由だし、ムリもないなと、私は思っていたのだが、実は、彼自身は、しんどくても外へ出て、いろんな所へ行きたいとの事。
 『他の人が、特に子供が、じろじろ僕を見るので、外へ出るのはイヤなんだ』と、ききとりにくい声で、ひっしに彼はいう。
 「なんで、じろじろ見るんや、と言うたれ!そんなんに負けたらあかんで」と私。
 『……』
 「そしたら、施設入所を考えるか?どうする?」
 『わかった。頑張る。』
彼と二人で腕を組みながら(一人で歩くのがなかなか大変)歩く時、“目をみはる様な人の視線”はやはりきつい。彼は『視線を感じても、無視している』という。
 彼がイヤな視線を感じる、その感じ方を、私は心底わからない。しかし、彼と共に腹がたつことにはかわりない。彼の思い(つらさ)を、つきあう中から私なりにわかり、今の社会を、ちょっとでも変えていく様、腹をたてていきたいと思う。
 あたりまえのこととはいえ、“共感”とは、つきあう中で(関係する中で)しか生まれない。“両側から超える”のも、そう。
 彼に、世間から見られる眼、世間を見る眼、その中で生きるしんどさ、を教えてもらっているともいえる。
 バスのなかで、彼が座った横には、混んでいても、なかなか人は座ろうとはしない…。これに類することで今思い出したのだが、以前こんなことがあった。
 研修の場である人が『私は差別したことはないし、もちろんそんな気もない。げんに、部落の人と一緒に風呂に入ったりもしたのだから』と。なんといったらいいのか!肌を接すると己れがどうなるというのだろうか…。“けがらわしさ”において障害者と部落民は、そういう人にとっては同じなのだろう。そして接しなくても、身近になるということで、排斥する構造もある。(“親戚になる”ということで生ずる差別…)今の世の中の流れをみていると、いらだつことが多いが、徐々にしか変わっていかないのだろうし…。
 考えを深めねばと思っているのですが、なかなかまとまって勉強できません…。

コメント.
 「“通信”が届くのを契機にして部落問題について、私が今、考えていることを手紙にして送ろうと思います」と以前お便りをくださった方です(4 号)。これからも遠慮なさらずにお便りを送ってください。

《 お知らせ 》

第5回部落問題全国交流会のご案内

 『同和はこわい考』で少しふれました部落問題全国交流会が今年も開かれます。組織にとらわれず、自立した個人として部落問題について自由に討論し、交流する場ですから、どなたでも参加していただけます。開催案内を摘録しておきますので、ご希望の方は葉書等でお申し込みください。
 日時    1988年7 月30日(土)午後1 時〜31日(日)正午まで。
 場所    平安会館(京都市上京区烏丸上長者町上る。電話075-432-6181.)
 交通    地下鉄・今出川駅下車(烏丸通りを南下、通りの西側)
 講演    横井清さん(富山大学人文学部・日本中世史)

 分科会     第1分科会 部落差別とはなにか
         第2分科会 差別糾弾をめぐって
         第3分科会 同和対策事業の総括と今後の方向
 参加費     6000円(ただし一泊・朝食のみ)
 申し込み先   〒603 京都市北区小山下総町5-1 京都府部落解放センター内
         京都部落史研究所気付 山本尚友さんまで(電話075-415-1032)
 申し込み締切り 6月15日(水)

《 紹介 》

小森龍邦「融和主義への拍車を懸念する−『部落責任論』への回帰を繰り返すな−」
    (『朝日ジャーナル』88.5/6・5/13合併号)
藤田敬一「部落解放運動をめぐる率直な論議を−あわせ聞けばあかるく、かたより信ずればくらし−」
    (京都部落史研究所『こぺる』88.5)

《 あとがき 》

*米田富さんが亡くなられました。享年87歳。5月4日、師岡佑行さん、前川む一さんと一緒に奈良県五條市のお宅に寄せてもらいましたが、眠るように静かなお顔でした。ご遺族のお話によりますと、この3月、部落解放同盟の全国大会が開かれていることをテレビのニュースで知った米田さんは、「狭山を最後までたたかうよう米田がいっていると伝えてほしい」とおっしゃったそうです。「これが部落解放運動への遺言だったのでしょうね」と甥ごさんは語っておられました*さて本『通信』も発行以来まる一年になります。よく続いたものだと、われながら感心しております。現在、郵送分は個人が300 通を越え、大口をいれますと約430部。それに手渡し分が50部あまりです*ところで、せめて宛名は手書きでと決心してやってきたものの、とうとう右手が腱鞘炎にかかったようです。そこで残念ながら宛名印刷をワープロに頼むことにしました。ちょっと見苦しいですが、あしからず*この間、各地のみなさんから切手、カンパを頂戴しました。5月15日現在、その額は101,160円にのぼります。さらに前川む一さんからも援助があり、郵送費の収支はほぼトントンといったところでしょうか。それからウィスキーや地酒を贈ってくださった方がおられます。こういうのは、ほんまに嬉しいですね。といって催促しているわけではありませんので、誤解なきよう*今号から太平天国社の船坂君に手伝ってもらうことにしました。強力な助っ人登場で、まずはひと安心です*本『通信』のご連絡は〒501-11 岐阜市西改田字川向 藤田敬一まで。

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