同和はこわい考通信 No.112 1997.3.4. 発行者・藤田敬一

《 再録 》
同和事業は部落内外の関係を変えたか
藤田 敬一
はじめに
 地対財特法の期限切れを目前に控えて、部落問題解決のための特別措置法の継続もしくは部落解放基本法の制定をめぐって議論がなされている。一方は差別のきびしさと残事業の膨大さを強調し、他方は実態的差別は一応解消し、あとは心理的差別解消のための取り組みだけが残されていると主張する。しかし、それらの議論には大切な論点が抜けている。部落問題の解決とはどういうことを指すのかが明らかにされないままに、同和事業の存続いかんが議論されているからである。そこで、「人と人との関係を変える」を視点に、同和事業をめぐる問題点を考えたい。

1.同和事業の前提
 「同和対策審議会答申」(65/8)は次のように述べている。

 心理的差別と実態的差別とは相互に作用しあっている。すなわち、心理的差別が原因となって実態的差別をつくり、反面では実態的差別が原因となって心理的差別を助長するという具合である。そして、この相関関係が差別を再生産する悪循環をくりかえすわけである。

 一読、心理的差別と実態的差別の二元論、心理的差別が実態的差別を生み、実態的差別が心理的差別を助長するという心理と実態の相関・循環論であって、これが部落解放同盟の主張を受け入れたものであることは明白である。
 また、こうも書かれている。

 地区における経済、文化水準の低さは、住民の貧困、疾病などの社会問題をもたらすほか、非行、犯罪、不就学、長欠などの病理現象を発生させる原因となる。

 部落問題を社会病理現象としてとらえ、あえて非行と犯罪の問題を指摘するこの叙述にたいしては、70年代初めに「差別だ」との批判が出されたことがあるけれども部落解放同盟からとくに意見が提出されたという話は聞いたことがない。被差別部落の生活実態の一面であるとして、おそらく異議をとなえなかったものと思われる。そこには実態を直視する姿勢があったことがわかって興味深い。
 それはともかく、部落解放同盟は同和事業をどう位置づけていたのだろうか。同盟は「市民的権利(とくに就職の機会均等、教育を受ける権利)が行政的に不完全にしか保障されていないために安定した仕事につけないことが部落差別の本質である」とし、劣悪な生活実態の改善は行政の責任であると主張した。朝田善之助さんは「同じ貧乏でも、部落の貧乏はほかとは違う。それが部落問題の歴史性というもんや」とよく言っていた。部落差別というプリズムを通して社会の貧困が部落に現れており、部落の貧困を一般の貧困を一緒にしてはならないというわけである。この歴史性・特殊性の強調は、特別措置としての同和事業の性格づけと大きくかかわってくる。つまり同和事業は一般施策の底上げになるはずだという主張にもかかわらず、あくまで特別措置として施行されてきたのであって、これが部落内外の「特別・特権」視を生む土壌ともなった。
 しかし、同盟は同和事業についてもう一つの考え方を持っていた。「劣悪な生活実態が差別だ」として要求闘争を組織し、要求を獲得する過程で部落大衆を教育し、かくして自らの社会的立場を自覚した部落大衆を指導して完全解放に向けた、より高次の闘争へと前進するという考え方がそれである。「解放が目的、事業は手段」というのは、要求が実現してしまうと「より高次の闘争」には関心を示さなくなる同盟員をつくらないための「自戒」のスローガンであった。そしてそれは、「同対審答申は毒マンジュウだ」とする共産党グループとのその後の論争において繰り返し強調される。共産党の主張は改良・改善を一切否定する左翼教条主義の典型だが、当時の時代風潮もあって、共産党グループへの対抗上このスローガンは必要とされた。「完全解放」が新しい社会の建設が想定され、核心に社会主義社会がイメージされていたことは間違いない。
 さて、こうして念願の「答申」を獲得した同盟は、「答申」完全実施要求国民運動を展開し、4年後の69年7月、同和対策事業特別措置法が成立する。そこにかかげられている目標(対象地域の住民の社会的経済的地位の向上を不当にはばむ諸要因を解消すること)と施策内容を見ても、事業が部落の住環境、産業・仕事、福祉・衛生、教育・文化の改善・向上におかれていたことは事実であり、経済の高度成長をバックに、15兆円以上とも言われる事業の実施によって部落の生活実態は大きく改善されることになる。
 だが、大衆闘争と法・制度とのジレンマ、事業と「完全解放に向けた、より高次の争目標」との齟齬そご乖離かいりに気づく人はほとんどいなかった。いわゆる窓口一本化問題(自治体が事業を実施するにあたって地域の運動団体や組織に窓口を一本化する方式をめぐっての論議)が表面化したときにも堕民(堕落した部落民)をつくってはならないとされ、その後も大衆運動のスタイルが堅持されるが、70年代後半以降は事業の積み重ねが部落解放につながるはずだとの考えが広がり、「部落解放とはなにか」を問うことなど問題にもならなかった。情況に変化が起こり始めるのは、腐敗堕落・利権暴力問題がウヤムヤのうちに収束させられたあとしばらくたってからで、一部ではあれ「同和事業がこれだけ進んだのに、なぜ差別事象がなくならず、部落解放への確かな歩みが実感できないのか」という疑問が生まれてくるのである。「部落解放運動第3期論」はそうした疑問を踏まえている。ところが同盟の中には、相変わらず「格差=差別」論に立って事業の積み重ねを求める人びとがいる。しかし、それが部落解放につながっているとの確信があるわけではない。「つながっているはずだ」という思い込みにとらわれているにすぎない。

2.同和事業と市民意識
 前掲「同対審答申」は、市民の意識について次のように述べている。

 「差別」に関する人権意識に関しては、一般地区において、同和問題の認識不足が強く指摘される。しかも、一般地区住民の間にかなりの誤解や偏見が残されており、性、年齢、階層、あるいは地方によっては、まだ強い「差別的感情」が残存している。(中略)
 一般地区住民の同和地区および同和地区住民に対する直接的な感情、態度を見ると、都市、農村地区に共通して見られる問題は、地区住民との交際が形式的に求められるとしても、本質的には一般地区住民からの交際は消極的であり、むしろそれをさけるという傾向があること。同和問題に関する正しい認識や知識をもたず、また問題解決に対しての積極的な熟慮がうかがわれないこと。地区によっては、地区住民の粗暴さ、態度、服装、教育程度、貧困などの点に問題を認め、明らかに直接的言動を示す場合もあることが認められた。

 いまから30年前の市民意識の一端がうかがえる。こうした意識は、その後どのように変わったのか。
 93年の総務庁の調査によれば、同和問題解決にたいして、「市民の一人として努力」が44.1%だが、「自分とは関係ない」2.1%、「なりゆきにまかせる」20.0%、「誰かが解決する」13.5%、「よく考えていない」18.6%を合計すると54.2%となり、無関係意識・無関心は根強いことがわかる。だから特措法についても、「聞いたことがある」57.0%、「何も知らない」26.3%で、圧倒的な人びとが同和事業の趣旨・内容を知らないか、漠然としか知らないのである。「よく知っている」と答えた15.4%の人でも、事業の具体的内容となるとどこまで知っているかあやしい。
 そんな情況にもかかわらず今後の同和行政については辛口に注文がつく。すなわち、「一体性・公平性」40.1%(同和地区内では50.1%)、「自由な意見交換ができる環境」40.1%(同前42.2%)、「自立を阻害しないように」31.9%(同前19.1%)、「適切な行政運営」28.1%(同前38.7%)。二つ以上の複数選択であるが、問題はこの数字をどう見るかである。思ったほど強烈な批判がないなどと安心するのは楽観的に過ぎるだろう。なぜならカッコ内の数字が示すように、「同和地区住民」自身、同和行政がバランスを崩しているのではないかと気にかけているのがわかるからである。それは陰に陽に表明される市民のホンネへの反応だろう。
 同和事業は、たしかに部落の「生活環境の改善、社会福祉の充実、産業・職業の安定、教育・文化の向上」の面で成果をもたらしたが、それによって部落問題は解決に向かっていると言えるのかどうか。「ネタミ差別」という言い方がある。部落への特別施策にたいする羨望せんぼうを差別だと断定するこの物言いには、同和事業の内容をほとんど知らされず、口出しを認められず、理解と認識だけを求められてきた市民の複雑な生活感覚を断罪する気配すら感じられて、わたしは好きになれないのだが、いまや人びとはホンネを押し殺し、タテマエとしての「国民的課題」というご託宣に頭を下げているかのようであり、ここから人間らしい人と人との出会いとつながりが生まれるとは到底考えられない。

3.「よりよく生きたい」という願いの先にあるものは
 1950年代から60年代半ばごろの部落、とくに都市部落の生活実態の劣悪さは明白だった。貧しさは人びとの心をすさませ、差別は明日への希望を奪っていた。もちろん、そこは「どっこい生きている世界」であり、泣き笑い、さんざめきながら知恵と才覚を働かせて、たくましく生きる世界でもあった。亀井文夫監督の映画『人間みな兄弟』のように相互扶助の世界としてだけ見るのは一面的だけれども、虚飾とは無縁のおおらかな生き方を、わたしは垣間見たように思う。
 しかし、ぶしつけな「差別のまなざし」をはね返し、人間として対等な扱いを求めるには、その日その日の生活のかてを探しあぐねる暮らしではなく、少しでも明日に希望が持て、将来の設計が立てられる生活基盤が必要だとして、その実現を行政に要求したのは当然のことだった。それは、「よりよく生きたい」との人間的な欲求に根ざしていたからである。そして同和事業は人びとのこの基本的で根源的な欲求に応えるものとして出発したはずである。
 ところがいま、同和事業の成果は部落問題の解決につながっているのかという問いが、行政にも運動団体にも投げかけられている。結局のところ、『こぺる』復刊1号掲載の文章(「運動は人と人との関係を変えたか」93/4)で述べたように、同和事業はあくまでもモノとカネなのであって、それだけでは部落差別(意識)を媒介にした人と人との関係を変えることはできなかったと言わざるをえない。いわんや「部落解放運動は、差別と欲のともづれ」などという功利心刺激型・欲望充足型の運動論や組織論が暗黙の前提になっているような情況では、人と人との関係を変えることが運動の課題になるはずもなかった。
 ここには、経済的条件の改善が、社会意識と社会的関係の改革に直接には結びつかないという困難な問題が横たわっている。少なくともこれまで語られてきた「自立のための条件整備」論や「部落民としての社会的立場の自覚」論ではどうにもならないことがはっきりしたのである。
 前掲93年調査によれば、「かりに、日ごろ親しくつきあっている隣近所の人が、なにかのことで、同和地区の人であることがわかった場合、あなたはどうしますか」との質問に、地区外の87.8%の人が「これまでと同じように親しくつきあう」と答えているのにたいし、「かりに、日ごろ親しくつきあっている隣近所の人に、なにかのことで、あなたが同和地区の人であることがわかった場合、その人の態度はどうなると思いますか」との質問に、地区内の43.5%の人が「表面的には同じだが、実際はさけるようになると思う」と答えたという。地区外の人の回答はタテマエに過ぎず、信頼できないという考え方もあるだろう。わたしもこの数字は相当割り引かねばいけないと思う。しかし、そうであっても地区内の半数近くが「自分が同和地区の人間であることがわかれば、人は自分をさけるだろう」と考えていることとのズレは注目すべきである。地区内外のこのズレは、関係の溝・壁を象徴しているのであって、同和事業によっては基本的に溝は埋まらず、壁は取り壊せなかったということである。
 だとすれば、差別・被差別の双方が部落差別(意識)の呪縛から自らを解き放ち、溝を埋め、壁を取り壊す共同の作業に、「いま、ここ」からとりかかるしかない。そのためには、部落問題の解決を願う者がまず一歩を踏み出す必要がある。ここで言う「部落問題の解決を願う者」とは、被差別部落民にかぎらないことは贅言ぜいげんを要しない。問題は、その一歩であるが、それは個々人が自分の言葉で考えるしかないだろう。正解はどこにも用意されていないのだから。

*本稿は、95年8月、京都の門徒会館で開かれた第12回部落問題全国交流会でおこなった問題提起です。『報告集』に収録されたものに加筆・訂正しました。交流会に参加された方にはすでに『報告集』(96/12) が届いているはずですが、参加しておられない方に読んでいただきたく再録しました。

《 随感・随想 》
『こぺる』合評会(1/25)に出席して考えたこと
高田 嘉敬(兵庫)
 松岡 勲さんの報告「<解放教育の終焉>を考える」をドキドキして聞きました。さまざまな団体がよくやった「査問」にかかわる人間の問題としてです。もう一つは、授業者と当該のこどもと父母に代表されるこどもの保護を自任する人々、これら三者の「交通」の難しさによる部落史学習の成り立ちにくさについてです。

○こどものために/こどもが悲しむ/「この授業は結果として差別を広めた」……
 これらは明らかに、議論を封殺する常套手段になっていると思いますが、本当のところどうでしょうか。これらの言説は、ある種想定されたこども像を前提にして初めて成り立つ議論であることはまちがいありません。こどもを取り巻く人々の想像力が試されているのだと思います。松岡さんの資料にありました「なんで自分らの先祖は部落になったん?」という生徒の問いの中に、なにかヒントがあるように見えます。
 授業をする人・受ける人・まわりで眺める人が、それぞれに授業に何を期待しているのか丁寧に意見交流できる場。これができるといいですが、実際は難しいのでしょう。

○「いわれのない差別」と近世政治起源説
 疑似学説(作業仮説)は世間に数多くあるとはいうものの、どうして近世政治起源説が、ある時代の政治的な要請になったのだろうか、とあらためて考えてみます。(歴史的な検証は、別にすすめられることとして)
 わたしには近世政治起源説が「いわれのない差別」の根拠、つまり「いわれのなさ」を補強するための理論武装だったように思えます。ただ今ある差別の不合理さを訴えるのに「いわれのない」ことほど力強い援軍はない。とすれば一人一人が悩むことも少ないというもの。だれにも責任を問われることがないからです。
 また「差別はつくられたものだ」と言えば、どちらの側もにもほっとした時があったのかもしれません。しかし、弛緩したところから何かが産まれるとも思えません。それは、わたし自身が出会う場より他に、始まりようがないはずだからです。
 学校現場では、いまだに近世政治起源説が現在形のようなので、その大変さは生半可でないことと思いますが、外から眺めていると、「いわれのないこと」がどうして差別されないことの担保になるのか不思議です。

○どうして「いわれがある」とまずいのか
 むしろ、出会った人とのあいだにゆがみがあると思ったのなら、それを変えてゆく営みは、いわれがあろうとなかろうと関係ないように思えます。「いわれのない差別」「差別はつくられたもの」、ここから見えてくるものは何でしょう。
 適切な例ではないかもしれませんが、ハンセン病はまちがいなく「いわれがある」と思います。しかし、そのことは、個々の回復者と出会うときに、わたしにとってどのような意味を持つものなのでしょうか。

○「止むに止まれず在日」論と「いやなら帰れ」との関係
 少し唐突かもしれませんが、ここにも同様な関係を思い浮かべます。「いやなら帰れ」という民族排外的な考え方を「止むに止まれず在日」論が克服したように見えた時代は、かつてあったのだと思います。また、在日朝鮮人形成史はそれとして丁寧に明かされてゆかねばならないことも確かです。
 しかし、どのような理由から「在日」になった人であっても、地域社会に暮らす隣人としてわたしがどう迎えるか、という視点からは本来無関係なはずです。つまり、「止むに止まれず」が在日することを正当化する(「いやなら帰れ」を乗り越える)根拠になるとすれば、わたしは反対です。それでは、わたし個人が問われるはずの主体的な判断の余地をなくしてしまうと思うからです。
 占星術や日本独特の血液型性格といった運命論には、個々人の責任がいっさい問われないという点で似たところがあります。ひところ流行した「自由からの逃走」ではありませんが、自分で判断せずにすますことができる「マニュアル社会」型の人々にとって、宿命論は媚薬になるわけです。

《 お願い 》
「京都部落史研究所」入会のお願い
京都部落史研究所
 京都部落史研究所は20年をかけて収集した図書・史料を研究者のみならず広く市民にも利用していただけるよう資料室を整備拡充し、図書館として本年四月にオープンする予定です。
 このような取り組みを継続していくために、1992年に中止した会員制度を復活し広範な方々に会員になっていただき、所報等を通じて意見の交換、交流をおこなっていきたいと考えています。どうぞ、御支援の程よろしくお願い申しあげます。

会費 年額5000円
特典 「京都部落史研究所所報」(年四回発行)の送付
   「京都部落史研究所紀要」またはそれに替わる発刊物(年一回発行)の送付
   所蔵図書の貸し出し、シンポジュウム・研究会のご案内
 お問い合わせは下記までお願いいたします。
  〒603 京都市北区小山下総町5ー1 京都部落史研究所
  電話 075ー415ー1032   郵便振替 01050ー2ー1597

《 川向こうから 》
●2月はじめ松江に出かけました。友人たちがつくっている和久羅わくらの会が、最近考えていることを聞いてやろうと招いてくれたのです。おかげで久し振りに鳥取県や木次きすき町・加茂町の人びととも会えました。大山だいせんが眺められたし、酒も肴もうまかったけれど、やはりなんと言っても一番は「人」ですな。ひばりの歌(人恋酒)に「洒よ、今夜もおまえとさしむかい」とあるような一人洒もなかなか結構なもんですが、気のおけない友と酒を酌み交わし語りあう喜びは、また格別です。

●先日、四日市市役所に出向き、例のポスターについて私的に懇談、じっくり議論しました。今回の経験をもとにそれぞれが肩の力を抜いて思索を深めるきっかけになったのではと思っています。わたしのしつこさにあきれておられる人がいるかもしれませんが、「他山の石として受け止めたい」と書いてきてくださった読者もあり、拙文はそれなりに意味があったのではありますまいか。

●京都蕗落史研究所が会員制度を復活しました。台所が火の車という事情もさることながら、研究所に心を寄せる人びととのつながりを求め、それを支えにいましばらくの存続をはかろうというわけです。研究者・専門家ではないからなどとおっしゃらないで、ご支援願います。同封の郵便振込用紙をお使いください。

●ある方から、「通信を拝見して、学兄の息づかいが聴えてくるように感じることがあります。突っぱっても突っぱっても-- 力ではなく心で軸--どこからか崩れてくる、今の世の中の情けなさ、そんな気持を、小生も学界の中で感じることがあります。学兄のように、小生などとは比べものにならない生々しい、リアルな世界で発言していられる人にとっては、自分を奮い立たせる為のエネルギーはどんなに大きいだろうかと推察しています」とのお便りあり。少々面映おもはゆいけれど、紹介させてもらいます。わたし自身、,これまであれこれの場でたくさんの聞違いを犯してきました。人を責め、批判するだけではすまないのです。おのれを問い、個人から出発して、人との関係を変えるしかないと思い定めてやってきただけです。時折、ハーハー、ゼーゼーと息を切らすこともありますが。ま、焦らず力まず、もう少しこの道を歩んでみるつもりです。

●さて、この5月で『こわい考』が出版から10年日を迎えます。それで「『こわい考』とわたし」をテーマに寄稿してほしいのです。匿名可。よろしく。

●本『通信』の連絡先は、〒501-ll 岐阜市西改田字川向 藤田敬一 です。(複製歓迎)

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