同和はこわい考通信 No.102 1996.1.10. 発行者・藤田敬一

《 採録 》

広岡 淨進 「今、『同和はこわい考』」
 (大阪大学部落解放研究会情報誌『みちくさ』No.3,1994/12/5 )
 『同和はこわい考ー地対協を批判する』(藤田敬一、阿吽社)という本がある。発行されたのは1987年。前年には地域改善対策協議会(地対協)の「基本問題検討部会報告書」および「意見具申」が出され、部落解放同盟が猛反発をしていたころである。この『同和はこわい考』は発刊されるや大きな反響を呼び起こし『朝日ジャーナル』等でも取り上げられるが、部落解放同盟中央本部はこの本の内容が「敵を利する」として批判し、『同和はこわい考』をめぐって巻き起こっていた議論を圧殺しようとした経緯がある。/しかし今年になって藤田敬一氏と大賀正行氏(部落解放研究所理事)との対談(『こぺる』№17~18、阿吽社より発売)が実現するなど、『同和はこわい考』刊行前後から藤田さんの周囲で続けられてきた議論が認められようとしているように見える。そこで、ここで改めて『同和はこわい考』の主張を紹介して、その意義を考えてみたい。
 『同和はこわい考』という題を見て、ドキッとされる人もいるかもしれない。副題に「地対協を批判する」とあるように、この本は、地対協の「同和はこわい、という意識は糾弾が生み出したもの」という見解に対する批判と、それにもかかわらず、この地対協の見解が一般市民に受け入れられやすいものである、という危機意識から出発している。/藤田さんは、学生時代に京都の被差別部落を訪れた際の緊張感が、直接的体験に基づかずに、しかし意識の底に深く沈み、そのひだにへばりついて形成された「こわい」という意識のためであったことと、某セクトから「糾弾する」といわれたときにおぼえた恐怖感を、「無限責任への恐怖」であったと分析し、問題は「両側の関係」のあり方にかかわると説く。/そして、差別に対する被差別側の心のおののきを指摘し、差別側の、被差別側への責任転嫁の理不尽さを批判する。そのうえで、それにもかかわらず、「同和問題はこわい問題」との意識の原因の一端が、被差別側の一部の対応にもあることを指摘する。そこで問題にされているのは、部落解放運動の中で折にふれて語られてきた、差別判断の資格と基準に関する二つのテーゼである。
 第一のテーゼは、「ある言動が差別に当たるかどうかは、その痛みを知っている被差別者にしか分からない」(足を踏んでいるものに踏まれているものの痛みは分からない)というものである。/藤田さんは、これは資格・立場の絶対化を招くことになり、「批判の拒否」(特に部落外からの批判の拒否)、他者への冷淡さ(つまり「共感の喪失」)、差別の結果を言うことで人間的弛緩を招きかねない「自己正当化」、を伴う傾向がある、と指摘する。
 第二のテーゼは、「日常部落に生起する、部落にとって、部落民にとって不利益な問題は一切差別である」というものである。藤田さんは、このテーゼに劣悪な生活の状態を歴史的、社会的に確認する意義のあったことは認めるものの、それがひとり歩きを始めたこと、そもそも「不利益」という漠然とした規定そのものにある種の恣意性を許す余地があり、極端な場合、差別の概念は無限定的なものになることを指摘する。/そして、部落問題の真の解決と人間解放を求める人びとの「共感と連帯」に支えられた共同の営みとしての部落解放運動と、そのための率直に苦言を呈しあう関係をつくりだすことを提唱する。
 この関係について、藤田さんはこうも述べている。

差別-被差別関係、差別のしくみとの、具体的で緊張に満ちた共同の闘いの中で、一方は差別者への不信一般に逃げこまず、他方は被差別者への絶望に逃げこまず、双方の開かれた批判と自己批判が進められることによって、堂々めぐりの迷路から抜け出す道を探り当てうるのではないか。(中略)
  私たちが探しうるのは、両極から徐々に手をさしのべて、その接点をまさぐりあう、その執念である。
  どこまでもその執念を持続していかなければならない。
 これは、師岡笑子さんが書評(『さらされるものとさらすもの』明治図書)の最後においた金時鐘さんの言葉です。金さんは「両側から超える」とも表現しておられますが、私のいいたいことも、これにつきます。

 更に、その後刊行された『部落の過去・現在・そして…』(こぺる編集部編、阿吽社)では、このように書いている。

 やはりここは、集団や組織、団体からではなく個々人から出発して、差別する側と差別される側としてではなく個人として向き合い、部落解放・人間解放の課題達成にむけての共同の営みを模索するほかなさそうである。そのとき被差別部落出身者とか被差別部落外出身者とかの立場・資格は対象化、相対化され、気がついてみれば「私は部落民です」とか「私は一般民です」とかの自己規定からともに解き放たれているような関係が生まれているかもしれない。

 ちなみに、この共同の営みは、『こぺる』や『同和はこわい考』通信誌上や、これらを核にして年に一度開かれる「部落問題全国交流会」において実践されている。
 最後になるが、なぜ私がここで『同和はこわい考』を取り上げたのかについてふれておく。/大学に入学して間もなく、人の縁で部落解放研究会とつながりを持ち、入会を勧められた。しかし、「部落出身者なら部落解放運動」と言われているようで、私個人をみるより前に「部落だから」でくくられているようで嫌だった。私は私であり、「部落出身者」であるより前に広岡淨進という一人の人間でありたかった。(もちろん、しんどそうに見えるとか、何も大学来てまで、という気持もあったが。)さらにそこで語られる「出身者」像や解放運動にも共感を覚えられなかった。/そんな時に、両親が以前からかかわってきていた藤田さんたちの活動の中心とも言うべき『同和はこわい考』を読んだ。やはり、私の考えもむしろこちらに近い。まだ私自身の言葉にできていないところはあるが、今部落解放運動に求められているのはこれだと思う。

コメント.
 広岡さんは「私は私であり、『部落出身者』であるより前に広岡浄進という一人の人間でありたかった」とおっしゃる。紋切り型の決めつけに対するいらだちは、よくわかります。しかし、「私は私だ」「固有名詞を持った一人の人間だ」というときの「私」「人間」の問題は、「自己と他者」という関係を抜きに考えると迷路に入り込むように思いますが、どうでしょう。

《 各地からの便り 》
その1.
 住田さんの論考を読んで感じたことを書きます。
 <部落を出ることことについて>-部落を出ることは部落の人間関係の多くを断ち切り、自立して生きていくことをめざすことである。(もちろん、敢えて人間関係を切ると言うものではない。しかし、生活の実態の中で、月日がたつうちに経済的にも感情的にも徐々に関係が薄れていくのが自然であろう)たとえば京都市内の分譲マンションで、または近郊の新興住宅街に住み、サラリーマンとして働く。その生活と労働の場では、ほとんど部落問題は出てはこない。個人として近所の人達と付き合い、個人として働く。ここでは部落問題を考える必要もないし、その余裕もない。そこで住田さんの論考をヒントにいくらか考えてみる。

1)
 部落を出ることは、住田さんの言う<文化的いびつさ(貧困の文化)>と真正面から対決することから逃げ出すと言えるだろうか。部落の人間関係のわずらわしさから自由になったという意味ではそうであるかもしれない。しかし一方では、それを一人で一身に背負い込んだとも言えるのではないか。

2)
 部落差別が「主観を超えた客観的事実として存在している」こともまた否定できない。しかし、ある日、差別と出会ったとき、それと闘うために、またそれを避けるために、里帰りすることはできない。なぜなら、すでに部落の中での人間関係も希薄になっているし、ましてや生活の基盤はすでにそこにはないからである。まずは一人で差別に対処しなければならない。出る自由を選択したときから背負ったリスクと言えるかもしれない。

3)
 部落の外で生れ育った子供にとっての課題。「系譜」ということを畑中さんは軽視すべきものとする。しかし、これはあまりにも現実離れしたものと思えてならない。部落を出た親の子供が部落の系譜に連なることは認める。しかし、この場合においても、その子にとって部落は帰属できるものなのだろうか。住田さんは「我が町住吉」にどんなイメージを持っておられるのだろうか。京都市内の分譲マンションで生まれ育った者にとっての部落のイメージは極めて貧困なものである。生まれて間もない頃から、盆正月と言わず毎月1回家族全員で実家に泊まりに帰ってきたとしても、思い出に残っているものは、祖父母、おじ、おば、その家、炬燵、仏壇、テレビゲーム、これで全てである。なんとか細い部落との繋がりだろう。彼にとっての部落は観念に過ぎない。主体的には非部落民が持つ部落についての概念とほとんど変わりがない。もしここで、彼が部落の系譜に連なることをもって自己を「部落民」とするなら、あらかじめ「部落民」なのではなく、意識的に選択したものとしての「部落民」なのである。当然にも、「部落民」として自己規定をしたくないという自由を担保しながら。

4)
 小笠原さんの手記について。「私は地区出身という意識も地区出身でないという意識もなく」というところに欺瞞があるのではないだろうか。この人は、直接に差別と出会うことがなかったかもしれない。しかし、部落差別という事実があることを知りながら、その年にいたるまで、自分の系譜について真剣に考えたことがなかったということがあるだろうか。部落外に生きてきて、「部落民」としての人間関係を持ってこなかったことが事実であるなら、自分は部落民と自己規定したくないと言う方が誠実な態度ではないだろうか。しかしまた一方で、小笠原さんはそのようなものとして人生を送り、人間関係、社会関係を作ってきたのだろう。とすれば、部落を名乗った場合、その後関係を作り直す営みを始めなければならない。差別の現実の中でこれは実に困難なことである。それをするかどうかは小笠原さんだけに与えられた選択の権利である。

 住田さんは「彼女に部落民・非部落民を選択する『自由(意味)』はない」とし、文脈上その理由として「まさに部落差別は主観を越えた客観的事実として存在している」としている。僕はここに暗さを感じる。部落民ということを受け身に、運命的に被害的に、そして集団的に捉えているために暗くなるのではないだろうか。集団的とは内外にわたって個人が損なわれること。自分の人生を自分で選択できない、自己主張できない、このような「とらわれ」が暗いのではないだろうか。住田さんの家庭の中での話や友人との思い出として語っているときには爽やかで明るいものだった。それは自立した個人の問題として考え、系譜は選択されたものではないにしても、これを自分のこととして主体的に捉え直しているからではないだろうか。
 「部落民」の子供は「部落民」か。僕はここでひと呼吸おきたい。部落から出る自由があり、部落問題から自由になる自由がある。部落民であるかどうかは主体的選択の課題である。部落を名乗るということは、個人の問題として、自己実現のために部落を名乗るものでなければならない。指導者や組織に強制されたり庇護されたものではなく、主体的に、個人の責任で。(差別に対してどう闘うか。連帯とか、団結とか、これはまた別個の問題としてじっくり考えれば良いではないか)。一方で、部落を名乗らない自由がある。すなわち、部落とは関係ない人生を形づくる自由がある。誰もこれを非難することはできない。
 ここまで書いても、僕の気持ちは揺れています。しかし、僕自身のこと、僕の近くにいて部落の系譜を引きながらも部落民でない市民として精一杯働き生活している愛すべき人達に対する、日頃の僕の気持ちなのです。住田さんに対する批判たりえるでしょうか。正直な気持を書き連ねました。  (京都 I・Hさん)

その2.
 先日(12月23日)のこぺる合評会では、いろいろ考える幾つかのヒントを与えられ、自分自身にとっても、とても意味あるものになりました。そういう場に参加させてもらえる機会を持つことができたこと、人と人との出会いでそういうつながりを持てたことを、僕は今とても幸運に思っています。ただ、あの合評会の対話を聞くなかで、なんか違う、自分の考え方とどこかがずれていると思ったことが一つあって、ここではそのことを少し書かせてもらいたいと思います。
 それは、住田一郎さんと畑中敏之さんの話の相違点の一つとして、今回の論点の一つともなっていた、部落を名乗ることにこだわるのかこだわらないのか、またそのことが、その人のアイデンティティー(私とは誰なのかということ)とどう関係するのか、その人を被差別の立場においている社会関係とその人が対峙していくために「名乗り」は欠くことのできない視点となるのかならないのか、といった問題についてです。住田さんの意見は、「私とは誰なのか」という自分自身のアイデンティティーに関わる問題を考えるとき、「自分は部落民である」という認識は必要不可欠なものであり、「部落民であること」を積極的に引き受けていくということでしか、それを自分に押しつけてくる社会状況との関係は見えてこない、だからそこにこだわりたい、そのような意見であったように思います。
 しかし僕は、アイデンティティー(私とは誰なのか)という問題を考えるとき、「自分は部落民である」という認識が必要かというより以前の問題がそこにはあると思うし、それがないと、「部落民であること」を積極的に引き受けていくことで、それを自分に押しつけてくる社会状況との関係が見えてくるということはあり得ないと思うのです。住田さんが言われることは間違いではないし、確かにそのことが自分のアイデンティティーを形成する一つのきっかけになる「場合」もあるでしょう。また、そのことが自分を被差別の立場においている社会状況そのものを認識する一つの契機となる「場合」もあるでしょう。しかし僕は、それも一つの「場合」としてはあり得るだろうと思うだけで、それだけではない、またそうであればそれができるとは思わないからです。
 というのも、アイデンティティーの問題、「私は私である」という認識なり意識といったものが、むしろそれ以前の問題としてあるように思えてならないのです。つまり「部落民である」ということにこだわることと、その人のアイデンティティーの問題とは、決してイコールではなく、それはそのアイデンティティーの形成の問題を考える場合の一つの考え方にすぎないのではないかということです。
 そもそも、社会状況が「私とは誰なのか」ということを決定するのではない。自分とは何者であるかということを考えるその主体は、社会状況が何であれ、もともと別のところににあるもので、自分が一人の人間である前に別の何か(例えば「部落民」であるというような)であることを押しつけられていくときに、「それは違う、私は私だ」と考える、そういうもっと根本のところでその人のアイデンティティーはあるのだと思うからです。そういう位置から「それでも部落であることを積極的に引き受けていく」、逆に「だから私は部落民ではない」あるいは「私は部落民である前に一人の人間である」「私は私である」ということであればよく分かるのです。うまく言えないのですが、僕がどこか違うと思うのは、もともと「私は何者であるのか」ということは、社会状況が決定するのではなく、その主体が決定するものであると僕には思えるからです。「部落民である」という意識は、おかれている社会状況が決定し、無理矢理押しつけてくるものであって、その人がその人であるという、「私は私である」という、意識とは全く別のものです。もともと「私は私である」という意識があってこそ「部落民である」ということを引き受けるか引き受けないかということが初めて問題になってくるのではないでしょうか。
 そこで問題なのは、「私は私であって他の何者でもない」と考えることのできるそういう人間の主体は、じゃあどこから形成されるのかという点です。住田さんの考え方はその一つの場合を示しているとは思いますし、逆にその点については畑中さんの答えは明確でなかったように思います。しかしそれは、畑中さんだけの問題ではなくて、僕自身の問題でもあります。
 以前ある方にこんな話をしたことがあります。「このごろ何かの問題にこだわりをもって考えられるような、そういう子どもや大人が少なくなった。何かの問題にこだわりを持つ人間、その問題は何であってもいいのだけれど、そういう人間の意識というのはどこから生まれてくるのか。そういう意識さえ誰もが持てるようになれば、勉強にしろ差別や人権の問題についても、誰に言われることなく自分で何かを感じながら、考えながら生きていけるようになると思うのだけれど、そういう意識というのはどこから生まれるものなのか。また何がそういう意識を持てる子どもや大人に育てるのか。教育の場に関わる人間の一人として、このごろそこのところをよく考えるのだが、僕にはまだよくそれが分からない。」
 これまでの問題と関わって言えば、ここで僕が言っている「こだわりを持てる意識」というのがそれで、「私は私だ。人がなんと言おうと、私はこう思う」という「こだわりを持てる意識」は、その人のアイデンティティー「私は私だ」という意識から出てくるものであると思うのです。そういう意味で言えば、住田さんの言っておられる「こだわり」もそこから来るものなのでしょう。確かにそういう「こだわり」は、自分とまわりの他者との関係、自分と社会状況との関係性のなかから生まれるものではあるし、住田さんの言われるように、被差別の立場におかれることで、またそれを自分から積極的に引き受けていくことでそれが契機となり、そういう主体が意識化されるのではないかと思っています。
 そこで今現在、僕なりに考えているのはこういうことです。「私は私であって他の誰でもない」と思うことのできる意識や主体の形成、それはその人の固有の経験、人との出会いや別れ、成功や挫折、自然や物との関わりといった、その人の不断の経験の営みや積み重ねの中の一つではないのか、ということです。しかし、そんな固有の経験を、今の時代は子どもであれ大人であれ体験できないような社会状況、社会構造になってきている。人間の主体を形成する不断の経験の場を、僕らは取り戻していかないと、「こだわり」どころか差別や様々な問題もなくならないのではないか、そんなことを考えています。その点で、「河原青少年センター」を核にした子どもたちの共同の経験の場を作り出していこう、取り戻していこうという実践、そのまわりの地域、地域外をひっくるめた、子どもを通しての大人の共通の経験の場を作り出していこうとする実践に、僕は一つの魅力を感じているのです。
 人は、あくまで人であって、社会状況や他人が押しつけてくる「あなたは人間である前に、部落民である、朝鮮人である、障害者である、教師や生徒である」ということでなく、それはあくまで社会状況や他人が勝手に押しつけてくる、社会の中での人間にはられた、ただのレッテルでしかありません。それを引き受けることで社会状況へ対峙し、そうすることで自分を照射し、アイデンティティー形成の契機とするという考えも分かりますが、それは一つの場合であって、「部落民である前に一人の人間である」「朝鮮人、障害者、教師や生徒である前に一人の人間である」と思うことのできる、そういう意識を持つことのできる主体の形成がないと、それも不可能なことではないでしょうか。そういう主体や意識の形成をどうすれば実現していけるのか、そのことがこの論議の論点になっていかないと、このままでは先へは進めないような気がするのです。  (京都 M・Tさん)

《 お知らせ 》
〇『こぺる』合評会:1月27日(土)午後2時 京都府部落解放センター2階
 藤田 敬一「“部落民”をめぐる最近の議論について」
 次回は、2月24日(土)です。

《 川向こうから 》
〇12月21日、『京都の部落史』全10巻の完成を祝う会が、約200名の出席者を迎えて京都ホテルで開かれました。京都部落史研究所創立以来18年、いろんなことが思い起こされて、またもや感無量。どうも近ごろ、涙腺が弱くていけません。

〇12月23日の『こぺる』合評会は参加者45名と盛会でした。「部落民とはなにか」「部落を名乗る意味はなにか」をめぐる議論への関心の高さのせいではと推測しています。ただ、このテーマは、孤立した<私><自己>にだけ焦点をあてると迷走しがちです。そこで参考までに手ごろな本を二冊挙げておきます。鑪 幹八郎『アイデンティティの心理学』(講談社現代新書、1990)、石川 准『アイデンティティ・ゲーム-存在証明の社会学』(新評論社、1992)。二冊とも本屋さんに注文すれば取り寄せてくれます。

〇採録文の筆者は、文中にもあるように友人の息子さんです。昨年夏、交流会でいただいたのですが、最近読んだばかり。申しわけないことをしました。

〇正月は、お酒を控えて本を読んで過ごしました。おだやかな三が日も終わり、4日、大学に出かけたら、駐車場に捨てられネコあり。ネの年にネコとは縁起がいいわいと拾って帰り、“乱”と命名。これで七匹、いよいよ病膏肓に入り申し候。

〇本『通信』の連絡先は、〒501-11 岐阜市西改田字川向 藤田敬一 です。(複製歓迎)
 
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